防疫給水部(細菌戦部隊)

莫大な予算と部隊の整備
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最終更新日:2014/05/31 10:58

[ 莫大な予算 ]
  1936年の予算は人件費に300万、各支部に20万から30万、実験研究費600万~1000万円以上。

当時としては非常に莫大なものでした。

当時石井が単に中佐だったことを思うと、異例中の異例だったことが分かります。

貧乏だった軍部の予算を考えると国家の権力中枢が特別の予算を許可したと思われます。

天皇の軍令によって実験開始や再編成がされたことを考えると天皇が直接予算を決めた可能性もあります。

* 梶塚隆二元関東軍軍医部長の証言

ハバロフスク裁判の尋問書から    1949年10月23日

第731部隊は1936年の天皇裕仁の軍令により編成されました。・・・・

この軍令は複写され全将校に示すため日本軍の全部隊に配布されました。

私は部隊定員表を添えた軍令を閲覧してこれに捺印しました。・・・・

部隊の配置に関する事項は、関東軍司令部が自らこれを決定しました。

部隊は1941年まで番号がなく、関東軍防疫給水部又は石井部隊とよばれていました。・・・・

部隊は1941年関東軍司令官の命令により第731なる番号が付与されました。

 

[ 防疫給水部隊の整備 ]
  それまで給水業務は軍の経理部が担当していましたが、

1938年7月29日の「軍令陸甲第50号」によって軍医部の担当になりました。

同時に同日18個の師団防疫給水部が編成され、中国にいた各師団に派遣されました。

師団所属の防疫給水部隊は師団と共に戦地を移動します。

しかしその時点で師団防疫給水部とは別に師団を束ねた軍の固定給水部が既に2つあり、

それが満洲ハルビンと北京にあった石井四郎の部隊です。

その固定部隊つまり石井部隊は翌年にかけて南京と広東にも追加設置されました。

* 石井機関の講演会

「支那事変に新設せられたる陸軍防疫給水機関運用の効果と

将来戦に対する方針並に予防接種の効果に就いて」

1940年3月   報告2部通称99号  から

・・・・北支には石井大佐が事変勃発当初、支那側細菌工作の中心たりし、

北京天壇中央防疫所を占拠して始め、

現陸軍軍医学校教官菊池大佐を長とする北支那防疫給水部を、

中支那南京中央病院には昭和14年5月中支那防疫給水部を、

南支那には同年同月広東中山大学内に田中巌大佐を長とする南支那防疫給水部が新設さられ、

各々支部、出張所を有して居ります。

 

1940年(昭和15年)7月には、部隊名に給水を入れて「関東軍防疫給水部」となり、

この頃から暗号名として「満州第731部隊」と言う呼び方がされるようになりました。

*少しこのあたりの年号を分かり易く整理してみます。

1932(昭和7)年8月       陸軍軍医学校に防疫研究室設置
1933(昭和8)年         ハルビン近郊背陰河に関東軍防疫班設置、

   名称加茂部隊、東郷部隊

   細菌戦研究が軍医学校の正式課題に

1936(昭和11)年8月      関東軍防疫部、関東軍軍馬防疫廠編成
1938(昭和13)年1月26日  「特移扱ニ関スル件」通牒
              6月30日  平房付近に特別軍事地域設定
1938(昭和13)年-39年    関東軍防疫給水部平房に本部移転、

     名称東郷部隊

1939(昭和14年)5月-10月  ノモンハン事件で細菌攻撃実施
1939(昭和14年)        広東第8604部隊、南京第1644部隊編成
1940(昭和15)年5月-6月     寧波に細菌攻撃  (レポ-ト 細菌戦参考)
1940(昭和15)年8月1日    関東軍防疫給水部になる
1940(昭和15)年12月2日   牡丹江・林口・孫呉・ハイラル支部設置
1941(昭和16年)        常徳へ細菌攻撃  (レポ-ト 細菌戦参考)
1941(昭和16)年8月1日    名称第731部隊に、

   関東軍軍馬防疫廠は第100部隊に

 

[ 731部隊の人数 ]
  第731部隊を頂点とした細菌戦部隊には一体どの位の人数がいたのか現在でもはっきりとは分かりません。

参考になる数字をいくつかあげてみます。

* 1940年時点の固定防疫給水部の陣容(人数)

上記石井機関の講演会同報告書より

固定機関名 将校(技師) 下士官(技手) 兵隊(雇員)    合計
関東軍防疫給水部 220 386 1230 1836
北支那防疫給水部 104 196 510 810
中支那防疫給水部 120 264 895 1279
南支那防疫給水部 68 132 465 665
防疫研究室 16 属 22 雇 270 308
合計  528 1000 3370 4898

注: シンガポ-ルの南方軍防疫給水部は1942年発足なのでまだ入っていません

 

* 1982年4月に開かれた内閣委員会では

榊委員が軍人恩給に関連して、731部隊について質問をしています。

援護局業務第1課長の森山説明員が答弁しています。
   その内容を要約します。

    昭和20年1月1日現在で外地にあった部隊の所属名簿から

将校 133
准士官、下士官、兵 1152
文官(技師、技手、属官) 265
恩給公務員でない雇傭人 2009

 

* 2003年9月、厚生労働省は川田悦子衆議院議員の質問に対して第731部隊の人員を公開しました。

  それによると1945年の敗戦直前で3560名が所属していました。

内訳 軍人は 1344名

役職 軍医、薬剤、技術、経理、衛生、歩兵、砲兵

  軍属は 2208名

役職 技術、看護婦、通訳官、現場監督、防疫

  不明    8名


[ 隊員の募集 ]
  初代部隊長になった石井四郎は母校(京都大学)の恩師、木村廉、清野謙次等のル-トや自ら各大学を回って、

助教授クラスの優秀な医学者を集めました。

豊富な研究費、思うままの研究テーマ・・・・

エリ-ト意識と歯止めのない秘密研究でした。

目的は「医学報国」でした。

 

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