支部の内容

牡丹江支部(第643部隊)

支部長 池井貞夫   

    尾上正男少佐

 総務課 河上清久

 経理課 竹内源蔵

 第1課   河上清久

  課員 菊池則光

     須田軍曹 

     愛戸軍曹 

     西山一等兵 

     置山下士官 

     鈴木

 第2課  神尾頼久

 第3課  山崎克己

       山田正曹長

 資材課 神尾頼久

 教育課 河上清久

  所属不明 軍属 斉藤マサハル

 

林口支部(第162部隊)

 部隊員約300名(内中国人15~16人、朝鮮人1人)

 ソ連との国境に近かったため,

 対ソ細菌戦の最前線基地で、

 設備や量産体制が整っていました

  注:山田乙三証言 ハバロフスク裁判資料から(原文カナ)

    ・・・対ソ戦の場合における細菌兵器の対ソ使用は」

    ソビエト同盟統治地域汚染のための

    飛行機利用と、第100部隊関係の

    謀略工作とによるべきものと考えていました。

    対ソ戦が起こらなければ

    細菌兵器はアメリカ合衆国その他の

    諸国に対して使用される可能性がありました。

支部長 山口吾一(省一?)大佐    

    荒瀬精一少佐  

    原島修一(岡山県出身、軍医少佐)  

    榊原秀夫少佐(1934年岡山医科大学卒、

    44年11月から支部長)

 総務課 細矢博少佐

企画主任 細谷少佐

庶務主任  島田衛生准尉  

  奥村軍属

経理室主任 西屋敷主計少尉

 第1課 研究室 細菌の保存・培養・細菌検査

  課長 細矢博少佐兼任

  課員 渡辺誠中尉 

     七夕衛生曹長   

     上野管衛生伍長   

     久留島祐司衛生兵

 第2課 給水部 部隊の給水と濾水器の修理

  課長  間所昇薬剤少尉

  課員  渡辺軍属

 資材課 各種衛生材料と生産材料の保管と手入れ、

     ならびに動物、ノミやシラミの飼育

  課長  間所昇少尉兼任

 教育課  細菌戦に関して必要な要員の養成・訓練

  課長 渡辺誠中尉兼任

  課員 森軍曹、

     溝淵伍長

証言

◎支部長榊原秀夫供述書から

   林口支部の生産機材設備、その他 

 支部の中でも最大であった。

 直径1.5メートル、長さ2メートルにも達する

 大型高圧蒸気滅菌釜5具、

 小型高圧蒸気滅菌釜1具、

 小型蒸気滅菌器2具、乾燥滅菌器3具、

 大型孵卵器2具、小型孵卵器3具、

 顕微鏡35台、天秤10台、遠心沈降器3台、

 水素イオン濃度測定器1台、白金条100本、

 アルコ-ルランプ80個があった。

 培養室、鏡検室、消毒室などがあった。

 細菌生産用材料はペプトン10トン、

 肉エキス10トン、寒天30トン、塩3トン、綿花2トンである。

 飼育されていたものは、白鼠6000匹、

 モルモット100匹、兎25匹、馬2頭、ノミ1キログラムがあった。     

 保存していた細菌は、チフス菌、A型パラチフス菌、

 B型パラチフス菌、赤痢菌、結核菌が

 それぞれ10缶、純細菌総量は0.5グラムであった。

 1生産周期(48時間)内に、3000缶、

 30グラムの純細菌を生産することが出来、

 1ケ月に450グラムの純細菌の生産が可能であった。

◎手記 原島修一 林口支部長 中帰連機関誌から

 ・・・林口支部は皇軍がソ連攻略を企図した時期に創設された・・・・

 建物は731部隊の飛行機による前進拠点として、

 対ソ細菌戦に使用することを考慮して設計されたものである。・・・・

 1944年、731部隊長北野少将は、ソ連との開戦を予期し、

 ソ連軍の爆撃により同部隊の細菌生産業務が

 低下するのを防止するために、

 生産材料の分散配置をとり、

 さらに細菌戦準備のために細菌生産の拡大増強を企図して、

 各支部の潜在能力を考え、支部の設備、能力を調査させた。・・・・

 私は1945年1月第1課長細谷少佐に命じて、

 細菌戦準備のために、以前から培養していた

 チフス菌、A型及びB型パラチフス菌、

 赤痢菌の保存培養の中から、

 各菌株の動物に対する毒力検査を実施させ、

 強毒菌株を選定し、各菌試験管10本宛保存培養を実施して、

 大量細菌生産の命令にただちに応じ得る体制を整えた。

 当時の支部の細菌培養の設備では、

 細菌生産量は1ケ月最大450グラムであったが、

 もし設備を拡大すれば、

 約1週間に324グラムの驚異的な細菌量を生産することが出来た。

 支部に送られてきた50トンの生産材料から

 菌を生産すると、約500キログラムの細菌が生産できたのである。・・・・

 支部が生産し得る500キログラムの細菌とは、

 飛行機の雨下器で撒布するとすれば、

 約17万平方キロメ-トルの面積、

 すなわち中国東北の1/3以上の地域に撒布出来、

 その地域内に伝染病の大流行を

 起こさせるにたる十分な量であり、

 また中ソ東部国境地帯に撒布すれば、

 同地域内の中ソ部隊および中ソ両国の

 平和人民を屠殺しうるにたる驚異的な量であったのである。・・・・

 ソ連軍との開戦当時、支部の細菌戦実施方法について、

 私は2つの場合を予想し計画していた。

 第1は従来と同じく731部隊長の指

 揮のもとに細菌戦を実施する場合と、

 第2は731部隊長の直接の指揮を離れて、

 第一線の軍に配属され、

 軍防疫給水部として行動し細菌戦を実施する場合であった。・・・・

 1945年に入るとすぐ、

 軍医中将石井四郎より支部長集合の命令を受け、

 私は731部隊に集合した。・・・・

 石井の口から恐るべき大陰謀計画が伝達された。

 それは、大本営の指示に基づいて、

 731部隊が8月末を期限として、

 ペスト菌蚤1~2トンを使用できるように準備することであった。

 

孫呉支部(第673部隊)  

  部員は当初30数名、1941年には80名以上

支部長 佐々木義孝少佐    

    松平豊太郎少佐    

    西俊英少佐

 総務課

 第1課

  課長  金沢一久軍医大尉

 第2課 資材

 教育課

 所属不明の隊員

  金子、一条、大熊、多井

◎証言 孫呉支部の状況  冬明賢の調査から

 1940年4月9日、

 同工場は孫呉県城の西南の方向に置かれ、

 県城から約8華里離れていた。

 1940年9月に建設が開始され、

 同年12月には全面的に竣工した。

 工場全体で部屋が300室あまりあり、

 そのうち15室が鼠類の飼育に用いられた。

 鼠飼育室の下には大きな野菜貯蔵用の穴があり、

 もっぱら鼠飼育のための野菜を入れるのに使われていた。

 鼠が1000匹ほど、江猪200匹あまり、

 兎50匹ほど、羊3頭、ハタリス10数匹がいた。

 毎週1回、これらの動物から順番に血を採った。

 このほか、日本兵が毎日鼠捕り籠を背負って町へ行き、

 住民に生きた鼠を要求していた。

 設備としては、本部、実験室、

 新しい設備の置かれた部屋があり、

 そこに大型ボイラ-2具を設置する予定だったが、

 1具を設置しただけで勝利(注:日本の敗戦)の日になった。

 

ハイラル(海拉爾支部・第543部隊)

支部長 清水富士夫    

    藤井英太郎

    蓬田正二

    加藤恒則少佐

 総務課 浦部倉次

 経理課 堀田??

 第1課 防疫課 伊藤嘉明

 第2課 給水課 松浦茂輝

 資材課     瀬越健一

 教育課

 

大連支部(大連衛生研究所・第319部隊)

支部長 安東洪次技師

    萩原技師

 総務部 目黒正彦

 研究部 岡本良三

 製造部 目黒正彦

●旅第市公安局の調査から  1953年12月4日

 南満洲鉄道㈱衛生研究所(大連衛生研究所)は

 もとの大連市下霞町20番地にあった。

 同研究所は1925年末に設立された。

 当時は、主として流行病や伝染病予防のための

 ワクチンや痘苗の製造などについての研究、

 および衛生事業の分野の研究をしていたということである。

 設立時は規模が小さく、基礎も脆弱であった。

 初代所長には当時、満鉄地方部衛生課長であった

 金井章次博士が就任した。

 その後絶え間なく発展、拡充をつづけて、

 近代的な規模を持ち、

 ワクチン大量生産の能力を備えた生物製品機関になった。

 1939年頃、同研究所は日冠(注:日本軍のこと)の

 ハルピン731部隊に帰属することになり、

 ワクチンの生産実験を始めた。

 当時の所長は安東洪次博士であった。

 山内豊紀の供述資料ではこう述べている

 「同研究所には石井式細菌培養缶が5~600個あり、

 細菌室で大量生産に用いられていた。

 日本軍の降伏の際、すべて大連港外の海に捨てられた」

 日本軍降伏後我々に接収された設備から見て、

 主としてペスト・コレラ・チフス・

 猩紅熱などのワクチンを製造していた。