防疫給水部(細菌戦部隊)

特移扱証拠文書
記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/06/15 11:39

特移扱と言う言葉は分かりました。

では具体的に一人一人の人間をどのようにして特移扱にしたのでしょうか?

敗戦時に日本軍は全ての書類を焼却したので資料はないとされていました。

しかし焼却の焼け跡から焼け残りの貴重な憲兵隊の特移扱文書が発見されて中国に保存されていました。
黒龍江省档案館は1999年8月2日、保存していた資料の一般公開に踏み切りました。

その後2001年に吉林省档案館でも資料が発見されました。

その2つの資料から実際の憲兵隊の特移扱文書を転記します。

原資料はカナで縦書きです。

見やすく手直ししました。

 

表の右側に「特機移牒」とか「特移送」と書かれている人が

731部隊に送られて、氏名を消されて単に番号で呼ばれて生体実験にあった人です。

* 東憲高第613号

整理諜者第1次抑留者の処置等に関する件報告

7・4東憲作命第15号参照
7・14東件高第532号参照

昭和16年7月25日    東安憲兵隊長 白濱重夫

 関東憲兵隊司令官 原守殿

6月28日関憲高第625号に基き第1次抑留せる諜者並仝容疑者は

・・・・各隊所に於いて誠意真相究明に努め夫々別表の如く処置したるに付報告す 
 別表
整理諜者第1次抑留者の処置一覧表   東安憲兵隊本部 
整理担任隊所   虎林分隊

系統 楠工作

氏名 年齢 取締概況 処置
呉祥 55 厳重真相究明に努めたるも容疑事実なし 放遣せしむ
宮俊卿 33 同上 同上
李鳳閣 37

昭14・4月「ソ」連謀略員孫炳興の勧誘を受け

列車転覆謀略に加担セル外日軍情報蒐集の上

孫炳興に提報しあること判明す

司法処分せしむる予定

(取調べ状況は近く調整発送す)

系統 張旭武関係

氏名 年齢 取締概況 処置
黄炳文 55 7・19虎林憲高第259号参照  特機移牒(特別移送)
劉遠聲 7.19虎林憲高第257号参照  同上
柳鳳魁 63 7・14虎林憲高第238号参照  厳諭放遣せしむ
李家驂 39 7・14虎林憲高第239号参照  特機移牒
以下省略

 系統 其の他

氏名 年齢 取締概況 処置
李桂山  46 通蘇容疑者として抑留厳重究明せるも
容疑事実なし
放遣せしむ
萬希全  45  7・13虎林憲高第235号参照 特機移牒
李興田  取調中
李長玉 42 7・15虎林憲高第244号参照 特機移牒
李玉恒 25 7・15虎林憲高第245号参照 事件送致
王克明 59 通蘇容疑者として抑留厳重究明せるも
容疑事実なし
放遣せしむ
徐貴珍 56 7・16虎林憲高第244号参照 特機移牒
曲景生 47 7・19虎林憲高第258号参照 同上
魏傳突 46 7・16虎林憲高第254号参照 同上
陳元明 48 7.14虎林憲高第236号参照 同上

 

*東憲高第760号

ソ諜の特移送に関する件報告「通牒」

昭和16年8月20日   東安憲兵隊長白濱重夫

関東憲兵隊司令官原守殿

主題の件左記の通り特移送したるに付報告「通牒」す

(注: 全員特移扱いです)

原籍、住所、職業、氏名年令 特移送日時場所 摘要

原籍 山東省高塘県十里堡

住所 東安省密山県鶏寧街

煉瓦工 趙成忠 当33年

8月8日21時

ハルビン隊本部

7月25日関憲高第755号に
基き半截河分遣隊下士官以下
2名をして特移送せしめたり

原籍 河北省天津揚柳青

住所 東安省虎林県虎頭村

無職 劉元傑 当25年

8月9日18時30分

ハルビン隊本部

7月26日関憲電第438号に基き

(特移送)

原籍 山東省牟平県段家村

住所 東安省虎林件虎頭村

靴屋 段鳳樓 当43年

(同上)

7月26日関憲電第438号に基き

(特移送)

原籍 山東省菜陽県佳化

住所 東安省饒河県大代河

農  楊吉林 当54年

(同上) 7月28日関憲電第765号に基き

原籍 山東省菜陽県林格村

住所 東安省虎林県虎頭村

料理業 劉文斗 当39年

(同上)

7月30日関憲電第774号に基き

虎頭分遣隊下士官以下4名をして特移送せしめたり

原籍 山東省?霞県?格庄

住所 東安省密山県東安街

雑貨小売商 劉恩 当39年

8月11日18時30分

ハルビン隊本部

8月7日関憲電第488号に基き

東安分遣隊下士官以下2名をして特移送せしめたり

                               (了)

           発送先
             関憲司、哈憲、  写 東安、虎頭、半截河

 

*佳憲高第413号

ソ諜 王明春の抑留取調状況に関する件報告「通牒」

昭和16年7月4日   佳木斯憲兵隊長宇津木孟雄

関東憲兵隊長  原守殿

満洲第834部隊配属憲兵は6月17日13時頃鶴立県梧鎮軍工事地域内に於いて

旅行者に対する不審満人を発見し之を追及したるに

略々ソ諜たるの確信を得たるを以って興山鎮分隊に隠密抑留せり。

中略   状況左記報告「通牒」す

左記

1.省略

2.国籍 中国 
  原籍 河北省保定府青元県于家庄
  出生地 右仝
  住所不定  
  農業働夫  王明春
3.4.省略 
5.身柄の処置 本名は入満直後抑留せられたるを以て何ら実害なかりしと言えども

  ソ連指令を確実に実行する意図を有しありたるものなるを以て

  時局の推移に鑑み「特移」と致し度に付認可相成り度し

以下省略


半分焼け焦げたこのような証拠書類が沢山発見されたのです。

これでもまだ一部でしょう。
生体実験の対象になる人間が足りないからという勝手な理由で(時局の推移に鑑み・・・・)、

特移扱いとして何千人もの庶民がいきなり731部隊に放り込まれたのです。

 

[ 特移扱いの被害者の名前 ]
   被害者の数が1000人、2000人、3000人と言っても、それはただの数字です。
物や材料扱いです。

被害者一人一人の人生が特移扱いとなった瞬間に絶たれてしまうのです。

どんな人にもかけがえのない人生があります。
ここで、人の悲しみ、辛さ、後に残された者の苦しみに思いを寄せるため

焼き焦げた「特移扱文書」から読み取れる範囲で被害者の実名を書いてみます。

これらの方々は全員731部隊で生体実験の生贄になり殺されました。

一人一人の人生を考えていただければと思います。

同時にその行為に関わった日本軍憲兵の名前も列挙します。

憲兵の家族や遺族で不快な思いをされる方がいらっしゃるかもしれませんがお許し下さい。

氏名 年齢 男女 職業 住所
劉元傑 25 無職 東安省虎林県虎頭村
段鳳楼 43 靴屋 東安省虎林県虎頭村
劉文斗 39 料理業 東安省虎頭県虎頭村
楊吉林 54 農業 東安省饒河県大代河
趙成忠 33 煉瓦工 東安省密山県鶏寧街
劉恩 39 雑貨小売商 東安省密山県東安街花楽区
劉宝湖 32 東安県密山県滴道村金剛大路
王振達 25 東安県密山県城子河村宝山屯
朱雲岫 32 東安省密山県城子河村保山屯
王明春 34 農業働夫 住所不定(原籍)河北省保定村青元県于家庄
黄文華 不明 不明
李長義 不明 不明
任殿曹 38 農業 三江省撫遠県東安鎮下営
周景生 不明 不明
徐子峯 不明 不明
李興田 51 果物商 東安省密山県滴道村金剛路五牌
劉漢升 48 農業 東安省虎林県虎頭村撲實屯
長生文 28 商業 東安省虎林県虎頭村撲實屯
盛桂題 35 商業 住所不定(原籍)山東省掖県小瑯冴村
董殿全 55 農業 東安省虎林県虎頭村撲實屯
劉世傑 38 警察 東安省密山県城内朝陽区13牌
田立順 40 警察 東安省虎林県独木河村
安鴻勛 42 無職 東安省虎林県虎頭村29牌
國恩章 32 調理師 東安省虎林県虎頭村西順街20牌
李厚彬 32 無職 東安省虎林県虎林街虎林区40牌
蘇介臣 41 飯店炊事夫 東安章虎林県虎頭村西順街
張振起 37 炊事夫 東安省虎林県虎頭村飯塚木材部
原美瑧 40 飲食店主 東安省虎林県虎林街安楽区2牌
張汝成 47 雑貨商 東安密山県黄泥河子安楽屯30牌
于金喜 32 苦力 東安省虎林県虎頭村興隆街
矯吉明 44 苦力 東安省虎林県虎頭村平安街
王勤山 33 農民
馬尚文 27 苦力
劉維平 60 商人

  以下名前だけ追悼の意味で列挙します。

王照儒  呉春福  唐永金  尹文生  趙新貴  呉天貴  樂仁璞  劉文秀  孫福発  薛孟祥

冉慶順  李福林  李懐顕  周殿平   ?憲度  張興華  丁元英  于興飛  于成海  于進堂

于忠  于嘉盛  馬伝林  馬伝鈞  馬連発  馬青山  馬相田  馬徳富  馬徳祥  王子明

王鳳玉  王長生  王雲峰  王守礼  王兆臣  王守金  王安岩  王秀貴  王和  王忠興

王国財  王宝信  王宝珍  王金信  王貴?  王登雲  王徳富  王徳福  王毓栄  王懐吉

尤長発  孔慶玉  孔慶有  牛殿禄  白永財  申永祥  付良民  盧振海  馮興全  馮瑞年

田永 石明玉  石福廷  石徳発  祁鳳亭  伊明俊  任相臣  西毓賢  劉口  劉義清  劉鳳山

劉鳳山  劉元志  劉中海  劉文軒  劉存国  劉発成  劉学義  劉青山  劉昆玉  劉宝林

劉宝貴  劉項  劉栄吉  劉蔭生  劉振玉  劉振奎  劉恩起  劉清柱  劉喜山  劉徳盛

朱鳳  朱雲?  朱鳳洲  朱喜真  許長城  許春甫  許富  孫芳  孫学君  孫国民  孫紹徳

孫祥  孫登俊  孫祥  孫日生  孫玉文  孫清楼  蘇長峰  辛永山  辛培源  呉誠斉

鄒殿章  鄒啓忠  宋世志  宋栄興  宋緒倹  陳憲   陳伝志  陳紹夷  楊九祥  楊永和

楊守業  楊吉田  楊景雲  張士君  張広盛  張公挙  張長海  長天源  張立山  張玉田

張慶  張伝盛  張抻  張紹文  張学江  長宝清  張桂舟  張海林  張煥張  宗武張晋

張鴻珠  張福恒  張徳君  李万財  李文剛  李長海  李長潤  李守純  李興徳  李寿山

李良文  李金生  李宝生  李明順  李学梅  李秉衝  李樹春  李洪安  李湘雲  李品三

李樹民  李桂海  李煥晋  李桂奎  李殿山  李徳山  李鵬閣  李徳福  尚慎霖  金士貴

宗昌徳  羅玉菅  周潮周  殿兵  聞徳清  胡重禄  侯文田  ?清玉  砂利盛  姜栄泉

賀伯珍  姚子明  姚万福  姚振声  姚振昌  費立林  費立徳  ?文臣  ?振広  趙成財

趙廷忠  趙忠  趙泰松  趙連城  趙清章  凌玉忠  聘郷  夏春発  秦化雕  顧福先

袁淑貴  袁永利  徐発廷  徐兆田  高維金  高惠郷  高喜文  高福   郭明山  郭臨喜

郭喜山  郭増漢  康永昌  蕭振梅  隋広文  隋忠盛  崔玉山  崔学瑞  崔畑栄  蒋瑞臣

彭鳳昌  程茂積 葛成池  葛成?  葛煥清  韓子明  韓文忠  韓忠挙  韓福  路柱風

甄永書  崔作元  蔡鳳春  蔡明慶  臧希如  潘玉剛  潘樹太  霍万順  載寛  載文来

戴好善  戴鴻河  ?万祥  ?義盛  ?元譲  ?振興  ?殿祥  バスロ-(ロシア人・女52才)

李基洙  韓成鎮  金聖瑞  高昌律  他氏名不明者2名

 

[ 特移扱いをした憲兵の名前 ]

焼け焦げた特移扱文書で判読できた氏名のみです。

東安憲兵隊長          白濱重夫  
東安憲兵分隊長         辻本信一
佳木斯(チャムス)憲兵隊長   宇津木盂雄
関東憲兵隊司令官        原守
半截河憲兵分遣隊長         日比野亀三郎
虎頭憲兵分遣隊長        樺澤静茂
虎林憲兵分隊長         長島恒雄
ハルビン憲兵隊長        加藤圭二
下城子憲兵分遣隊長       稲邑六之丞
延吉憲兵隊長          阿部起吉
東寧憲兵隊長          谷川岩吉
北安憲兵分隊長         打道武正
孫呉憲兵隊長          和田昌雄
チチハル憲兵隊長        星実敏
新京憲兵隊長          門田善美

?琿憲兵分遣隊長         角西秀

東寧憲兵隊長          坂元正
佳木斯憲兵隊長         出口元明

 

[元憲兵の証言]

前の方で元憲兵三尾豊さんの証言を書きました。

今回は三尾さんと共に証言と謝罪活動をしている長沼節二さんの証言を掲載します。

長沼さんは1913年生まれ、

1936年から関東軍憲兵隊の所属で山海関、密山、虎林の憲兵隊を経て

1943年大連憲兵隊の時に「特移扱」で4人を731部隊に送りました。

敗戦時ソ連の捕虜になりましたが、その後中国に引き渡され

1956年瀋陽の軍事裁判で釈放になり帰国しました。

*長沼節二 証言  2002年   (一部手直ししています)

私は天皇制のもとで皇国教育を受けて育ち、

上官の命令は朕の命令と心得えよ」との教えのままに殺人ロボッット皇軍兵士となった。

憲兵となり、満洲国で「人から鬼」になり鬼の所業を続けた。

731部隊へ「特移扱」という形で中国人4人を送り、虐殺した。

特移扱いにする書類を私は書いたのです。

その結果4人の中国人は731部隊で人体実験され、生体解剖されて、虐殺されたのです。

敗戦後、ソ連のスタ-リンによりシベリアに抑留され、1950年に新中国へ戦犯として送り返されました。

撫順戦犯管理所で「鬼から人」へと生まれ変わる6年間の教育を受け、

あり余る時間の中で自分を見つめ、自分の頭で考える事の大切さを学び、

罪業を告白し、罪を許されて帰国しました。

それでも私にはまだ「自分の手で直接殺してはいない」という気持ちがあったのです。

家族にも誰にも「特移扱」のことは話せなかったのです。

帰国した当時の日本社会は、

我々を「共産主義に洗脳されたアカ集団、危険分子」として白い目で迎えました。

しかし当時の迎え入れた日本人こそが

天皇制教育に洗脳されていた戦前の日本人のことをすっかり忘れ去っていたのです。
教育は人を変えます。

教育の持つ力は恐ろしい。

教育は人をどのようにでも変え得るのです
メスを握った医者達と自分は同罪であると心の底から悟ったのは

1993年新宿で731部隊展はが開催された時でした。

私は80歳になってようやく自分の犯した罪の深さを自覚したのです。

「特移扱」の証言が出来たのは1994年になってからです。

・・・・若者にしっかりと歴史を学ばせること

自分の頭で考える教育をするためには、戦争体験を伝えることが重要です。

広島や長崎の原爆被害の記憶だけではなく、

加害の歴史、加害の記憶を引き継ぐことが大切なのです

私は自分の加害証言を死ぬまで続けます。
証言することは辛いのです。

前の晩は興奮し、かっての自分の行為を思い出し、慙愧の念で眠れません。

しかし証言しないわけにはいかないのです。

先に天国に行った三尾豊君と約束しました。

「ワシも死ぬまで証言を続ける」と。

どうか応援してください。

命の続く限り証言をします。・・・・

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ご意見・ご感想はこちらへ ※個人情報の取り扱いについて

お名前 (必須)

メールアドレス ※返信をご希望の方はご記入ください

メッセージ本文