防疫給水部(細菌戦部隊)

朝鮮戦争での米軍による細菌戦
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最終更新日:2014/10/05 10:18

アメリカにも細菌部隊がありました。

戦後日本に置かれた細菌戦部隊米国第406部隊には、
731部隊の幹部たちは戦犯の免責と引き換えに協力、編入されていきました。

そしてアメリカ軍は1950年からの朝鮮戦争に日本の旧731部隊員の協力を受けて

大規模な細菌戦を展開することになるのです。

*米国第406部隊

日本での発足は1946年5月横浜でスタ-トし、やがて丸の内の三菱ビルに移転、

1956年に厚木に移った。

部隊は細菌学、化学、昆虫学、寄生虫学、病理学、血清学などの研究部門をもち、

米軍将校教授9人、助教授2人、技術研究者25人、さらに100人以上の日本人研究者で構成されていた。


1952年北朝鮮と中国が北京で開いた国際科学委員会(ICS)には

英国、スエ-デン、ソ連、ブラジル、イタリア、フランス等の研究者が参加して現地調査を行いました。
委員会は9月15日に「アメリカ軍の細菌戦争」という報告書をまとめます。

報告書の要旨

*・・・1952年のはじめ以来、朝鮮と中国にひどく異常な現象が起こっているので、

  これらの国の人民と政府は、アメリカが細菌戦をやっているのだと主張するようになった。

  細菌戦に関連のある事実を調べるためにつくられた国際科学委員会は現地に2ケ月以上も滞在し、

  いまその活動を終わるところまできた。・・・・

  朝鮮と中国の人民は、たしかに細菌兵器の攻撃目標になっている。

  この兵器を使っているのはアメリカ軍部隊であり、

  その目的に応じて実に種々様々の違った方法を使っているが、

  そのうちのいくつかは第二次世界大戦中日本軍の使った方法を改善したものであると思われる。
*・・・・日本が第二次世界大戦中にやったペストその他の細菌戦の古典的方法は、

  容器または噴撒の方法によって、ペスト菌に感染している大量のノミをばらまくことであった。

  1952年のはじめから、北朝鮮のあちこちに、ぽつぽつとペスト流行の中心点がたくさんあらわれた。

  その際、いつもそれと一緒にたくさんのノミが突然あらわれたし、

  その前にはかならずアメリカ機がそこを通過していた。・・・・

  そのうち6件ではペスト菌がノミの中に見つけ出されたことが証明された。・・・・

  その撒布後の20日、その地区の発南里にペストが発生した。

  村の人口600人のうち50人がペストにかかり、36人が死んだ。
*52年の初めごろ、細菌戦の指摘が出始める前に、石井四郎が2回、韓国を訪問したとの新聞報道がある。
*石井四郎の助手がネズミの大領生産のために飼育所を運営してるとの新聞報道がある。

 

また、2001年6月23日にニュ-ヨ-クで開かれた民衆法廷「コリアン国際戦犯法廷」でも

米国軍の生物兵器使用を有罪にしています。

恐らく日本の旧731部隊関係者が協力したであろう事は北野政次の告白からもわかります。

*北野政次の告白 「日本医事新報」 防疫秘話 その4 から

・・・・マッカ-サ-からの指示で朝鮮戦争の戦地で、約4ケ月間、

流行性出血熱ウイルスの確保に従事した・・・・

日本軍による細菌戦の歴史的事実を明らかにする会の

共同通信記者中嶋啓明さんの調査研究の報告があります。

内容を整理してみます

「ビルマ・ラング-ン発のテレプレス」1951年12月  (注:)まだ完全確認はされていません

歴代731部隊長の石井四郎、北野政次と、100部隊長だった若松有二郎らが米軍の顧問として、

ペスト菌、コレラ菌などを積み込んだ貨物輸送機で南朝鮮に派遣された。

「キム・ソンジュンの証言」

日本支配下の京城帝国大学医学部で学ぶ。

戦後は北朝鮮の保健省衛生部防疫局長

現在(2002)は医学科学院通報センタ-勤務

*米軍が中国志願兵部隊や朝鮮人民軍に対して細菌爆弾を使用したとの報告で、

  1952年キム・イルソン主席の命令で戦線地帯の調査をした。

*1月18日の未明米軍機が低空で何かを落としていった。

  爆発はしなかったが、現地にはハエやノミ、南京虫などの昆虫のほか,

  ネズミなどの動物,紙切れ,磁器の破片が雪の上に無数に散らばっていた。

  ある朝、伊川の現場で2つに割れた磁器製の爆弾を見付けた。

  私は以前731部隊の石井式磁器爆弾を見た事があるので,すぐにそれだと分かった。

* 昆虫等の落下物を採取して検査をしたところ、

  ハエからはコレラ菌、腸チフス菌、パラチフス菌が、ネズミのノミからはペスト菌が検出された。

これらの調査をきっかけに研究を開始したクム・ソンジュン氏の研究結果を整理してみます。

* 第1期 1950年の朝鮮戦争開始前から1951年6月まで

1)1950年4月から6月にかけて、朝鮮軍の炊事場や水源地、貯水池がサルモネラ菌で汚染され、

    数百名に被害が出た。

2)1950年8月15日、大邱周辺の洛東江沿岸で畑の瓜とスイカを食べた兵士ら数百名が

    コレラに感染して40%が死亡した。

3)1950年末から51年1月、天然痘を流行させ、江原道、黄海道、咸鏡南道の各地方だけで

    3500人以上が発病し10%が死亡した。

4)1950年12月から1月にかけて米韓軍に再帰熱や発疹チフスが発生、

   撤退時に発病した韓国兵を残したため、その後数万人が感染し20%が死亡した。

5)51年秋から冬にかけて清川江の北から鴨緑江の南端までと陽徳、咸興、元山に

    汚染された日用品、お菓子、水産物が投下され、被害は数万に及んだ。

6)51年3月、元山沖で人民軍の捕虜ら数千人に対し数十種の細菌を使った人体実験をした。

    巨済島収容所でも人体実験は行なわれ、第4収容所だけでも2000人以上が伝染病で死亡した。

    ここでの人体実験では日本人の専門家が参加したといわれている。

* 第2期 1951年7月から1953年7月の休戦協定まで

1)52年1月から4月まで、5回飛行機連隊を動員して北半分の200の市、

    169もの郡に対しのべ8000回にわたって、細菌弾、毒ガスを投下。

    散布した昆虫は20種類以上だった。

             以下省略

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