軍による性暴力

慰安所はいつ頃出来たのか?
記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/05/05 9:37

 資料が不足しているため断定は出来ませんが、

1932年1月の第一次上海事変の時には既に海軍の慰安所があったようです。

海軍慰安所は当初数ヶ所でしたが、1936年には専用慰安所が7軒になっています。

* 北朝鮮の最近の調査で、1928年に北朝鮮の清津市に「軍人慰安所」があった事が分かりました。

   もしかしたらこの慰安所が一番古いかもしれません。

    • 津市チョンアム区域芳津洞と清津市羅南区域ブンゴク洞の2ケ所

* 昭和11年中に於ける在留邦人の特殊婦女の状況及其の取締

             在上海領事館警察署沿革誌 原文カナ

・・・・七軒は海軍下士官兵を専門として絶対に地方客(注:軍隊用語で地方とは民間の事)に接せしめず、

且つ酌婦の健康診断も陸戦隊員及び当館警察官立会いの上、

毎週2回専門医をして施行しあるほか、

慰安所に対しては海軍側とも協調取締を厳にし、

且つ新規開業を許さざることとせり・・・・

陸軍の慰安所は同年の3月から設置が始まりましたが、

設置をした上海派遣軍岡村寧次参謀副長の回想録には「海軍を見習って作った」とあります。

 

* 1932年3月14日 岡部直三郎上海派遣軍高級参謀の日記より

この頃、兵が女捜しに方々をうろつき、いかがわしき話を聞くこと多し、

これは軍が平時状態になるほど避け難きことであるので、

むしろ積極的に施設をなすを可と認め兵の性問題解決策に関し種々配慮し、

その実現に着手する。主として永見中佐これを引き受ける。

その後1933年には中国東北地方の平泉駐留の混成第14旅団に「防疫・衛生施設」という名称で慰安所が出来ました。

旅団司令部の衛生業務旬報によれば、朝鮮人芸妓酌婦35名、日本人芸妓酌婦3名となっています。

  軍の慰安所が大量に出来たのは、1937年の南京攻略戦からです。

上海から南京に行く途中で強姦事件が多発したため、南京占領前に中支那方面軍は軍慰安所設置の指示を出しています。

 

* 飯沼守上海派遣軍参謀長 日記から

1937年12月11日 慰安施設の件、方面軍より書類来たり、実施を取り計らう

   12月19日 迅速に女郎屋設ける件につき、長(勇)中佐に依頼す

 

* 上村利道上海派遣軍参謀副長 日記から

1937年12月28日 軍隊の非違いよいよ多きがごとし、参謀2課をして各隊将校会報を招集し、

    参謀長より厳戒する如く手続きをなさしむ・・・・

    ついて第2課案南京慰安所の開設審議す

 

 

その後中国各地に慰安所は多数作られていきます。

 戦争が東南アジアに拡大してくると慰安所も同時に東南アジアに作られ始めました。

* 南洋方面占領地における慰安所開設に関する件       1942年1月10日(原文カナ)

            台湾総督府蜂谷照雄外事部長から東郷茂徳外務大臣宛

南洋方面占領地において軍側の要求により

慰安所開設の為渡航せんとする者(従業者を含む)の取り扱いに関し、

なにぶんのご指示を仰ぎたい

 

* 南洋方面占領地に対し慰安婦渡航方の件    大臣から外事部長へ(上記の返事)   1942年1月14日

この種の渡航者に対しては(旅券を発行することは好ましくないので)

軍の証明書により(軍用船にて)渡航せしめられたし

       注: ()内は、外務省としては慰安婦にあまり係りたくない為、

   軍で勝手にやってくれと書いたのですが、

   軍を刺激するため後で消した部分です。

 

* 南方派遣渡航者に関する件    台湾軍司令官から陸軍大臣宛     1942年3月12日(原文カナ)

陸密電第63号に関し「ボルネオ」行き慰安土人50名、出来る限りすることを、南方総軍より要求があるため、

憲兵が調査選定した左記経営者3名の渡航許可を申請する。

       注: 慰安土人とは台湾人慰安婦の事です

 沖縄や日本国内にも軍専用慰安所は作られました。

 

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ご意見・ご感想はこちらへ ※個人情報の取り扱いについて

お名前 (必須)

メールアドレス ※返信をご希望の方はご記入ください

メッセージ本文