軍による性暴力

地域別・フィリピン
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最終更新日:2014/05/05 10:19

フィリピンの慰安婦の実体は1992年9月にTFFCW(Task Force on Filipino Comfort Women)の呼びかけで、

マリア・ロサ・ルナ・ヘンソンさんが証言を始めてから明らかになりました。

1993年8月の時点で従軍慰安婦と思われる女性は75人(注:その後100人以上になりました)、

強姦38件、拷問2軒が報告されています。その調査の中からいくつかの証言を書きます。

* 被害者「A」の証言 強姦

米を売りにマニラに行った時だった。

姉の借家を訪ねたが留守で、近所一帯焼け落ちていた。

避難場所と思われるサン・アウグスチン教会に行った。

教会は広く、彼女がいた場所だけでも50人ほどの女性がいた。

姉は彼女に顔に泥や炭を塗るように言ったのでその通りにした。

日本兵は昼夜を問わずやってきて恣意的に若い女性を連れて行った。

彼女は教会に行ってから5日後に、日本兵によって駐屯地になっていた近くの女子大に連れて行かれた。

とにかく生き延びて子どもに再び会いたいという思いと恐怖で泣きもせず抵抗もしなかった。

連行された建物にはたくさんの部屋があり、その部屋の1つに連れ込まれた。

家具はなく、書類のようなものが床に散らばっているだけであった。

まず2人の日本兵が彼女を床に倒して強姦した。

強姦された部屋の戸が開いており、2人の女性が連れて行かれるのが見え、その後叫び声が聞こえた。

次の日の夜また別の2人の日本兵が強姦した。

* 被害者「B」の証言 (臨時の軍慰安所?)

マニラ市内の市場で物を売っていたところ、周囲にいた者も含めて日本兵に拉致され、

近くの空き家でまず強姦され、その後現在は動物園の入り口付近になっている大きな家に連行され、

かなり長い期間にわたって監禁され強姦され続けた。

監視員の他、管理、世話をする女性もおり、性病検査も週1回定期的に行なわれていた。

* 被害者「C」 拷問と強姦

夫がゲリラに加わったという容疑で、日本軍に捕らえられて駐屯地に連れて行かれ、角材で殴打された。

現場では他にも拷問を受けているフィリピン人が数人いた。その後2日間にわたって強姦された。

 

次に、2001年5月29日に東京高裁に提訴された「フィリピン従軍慰安婦補償請求裁判」での証拠書類から見てみます。

この証拠は防衛庁所蔵

「比島防衛295第11独立守備隊比島討伐に関する書類其1(第11独立守備隊 昭和17年12月~昭和18年4月)」で、

それをもとに7人の被害者と加害部隊の調査をしたものです。

① 原告 クリスティ-ナ・アルコベル 1926年7月26日生れ  当時16歳

・・・・原告と弟は、銃や刀を持った日本兵に連行され、

1キロほど歩いたサンホセの海沿いの飛行場に近い駐屯地に連れて行かれた。・・・・

弟と引き離され、毎朝点呼を受けて夕方まで塹壕掘りなどの強制労働をさせられた。・・・・

連行されて3日後から30人ほどの他の女性と共に浜辺のココナツヤシやバナナの木の下で強姦を受ける。

最初の強姦の時に抵抗したため平手打ちで倒されて左鎖骨を骨折、

さらに腿の付け根を銃剣で刺された。・・・・

44年の秋頃の米軍による空爆・砲撃に紛れて逃げ出すまでの2年余り監禁され、強姦を受け続けた。

          * 加害部隊  第3南遣艦隊所属第103施設部

② 原告 アンドレサ・フェルナンデス 1929年2月26日生れ  当時14歳

・・・・11月頃のある日の早朝、泉に行って水浴びした後、

7~8人の小隊と遭遇し、「キャプテン タナカ」と名乗る日本兵(将校)により

タリサヤン村の駐屯地に連行された。

10日間監禁され、昼夜を問わず強姦を受ける。川で水浴びをしている時に脱走した。

          * 加害部隊  歩兵第9連隊第3大隊(福田大隊)

   ③ 原告 フェリサ・ボルナレス  1917年12月22日生れ  当時25歳

・・・・銃撃があると母親と林に遭難したが、病気の父親の面倒を見るために家に戻る必要があった。・・・・

夜11時頃、家に入ってきた日本兵に連行された。

パニタン町中心の公設市場内のテントで仕切った部屋に連れ込まれ、6人の日本兵から強姦される。

公設市場は日本軍が駐屯地として使用していた。

その後、1日に1~10人の日本兵から強姦を受け続ける・・・・

          * 加害部隊  独立歩兵第33大隊(瀬能部隊)第2中隊第2小隊

   ④ 原告 トマサ・サリノグ   1928年12月8日生れ  当時14~15歳

・・・・自宅に押し入った日本兵2人に父親は斬首されて死亡。

サリノグさんはただちにその場から数百メ-トル離れた大きな建物に連行された。

翌日未明、同じ2人の日本人から強姦される。

サリノグさんは、2人の内1人の名前をキャプテン・ヒロオカ・ゲンノスケと記憶している。

その直後の3日間を除き、連日強姦が続いた。一般の検診はあったが、性病検査はなかった。・・・・

置き忘れた鍵を拾って脱走した。

          * 加害部隊  独立歩兵第33大隊(瀬能部隊)第1中隊

その後又、日本兵に発見され、

オクムラ大佐と名乗る日本将兵が単身で滞在するギビエ-ル通りの石原産業倉庫脇の家に連行され、

たびたび強姦される。

          * 加害部隊  独立守備歩兵第37大隊(後に独立歩兵第170大隊・戸塚部隊)

 第4中隊(吉岡隊)

   ⑤ 原告  パシ-タ・サクラン・サンティリアン  1928年1月7日生れ  当時15歳

・・・・家族等11人で洞窟に隠れていたが、約15人の日本兵に見つけられた。

後ろ手に縛られる。

谷間の滝でサンティリアンさんの母や姉も含めて女性6人は全員強姦される。

兄も含めた男たち3人と母・姉は首をはねられて殺害された。

別の家族の2歳と3歳の子どもは投げ上げられて銃剣で切られた。

          * 加害部隊  独立守備歩兵第37大隊第3中隊の逸木見習下士官の指揮する16名

         以下省略

 

フィリピンの国会では日本の参議院に提出された慰安婦問題を解決する法律

戦時性的強制被害者問題の解決の促進のための法律案」を全面的に支持する決議がなされました。

* フィリピン共和国下院第12会期第2通常国会 2002年10月4日提出     下院決議案799号

フィリピン共和国議会下院は、未解決の「慰安婦」問題を終結させるため、

いわゆる慰安婦として広く知られる戦時性的強制被害者問題の解決のために必要な事項を定める事を求めて、

日本の国会に提出された法案に対するフィリピン共和国議会下院の全面的な支持を表明する。

さらに、フィリピン共和国議会下院は、

第二次世界大戦中に日本帝国軍人によって行なわれた性的虐待の被害者に対して公正に正義をもたらすために

日本の国会に対して速やかにこの法律を制定するように要請する。

 

 

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