軍による性暴力

地域別・台湾、海南島
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最終更新日:2014/05/05 10:18

台湾で最も古い日本軍慰安所の記録は1937年12月です。

これは大本営が計画した広東上陸作戦を中止したため、

準備した部隊を台湾に上陸させたので、あわてて慰安所を作ったといわれています。

* 「ああ戦友 台湾歩兵第連隊第1連隊第1中隊史」 小野茂正 編

・・・・(上海の)激しい戦闘の後で女に飢えており、暴行、強姦、殺人などヘイチャラ・・・・

当局は一策として駐留予定地域の多くの農家を一夜のうちに明け渡すように命令し

大工が徹夜作業で翌日は急ごしらえのお粗末な慰安所が出来上がった。・・・・

女は新竹州、台中州、高雄州の大勢の商売女を急遽半強制的に狩り集めた

内地人、朝鮮人、台湾人の女たちであった・・・・

 

その後は台湾内よりも、中国や南方に慰安婦が送り出されていきました。

当時、台湾は朝鮮と同じように日本の植民地だったため、東南アジア等国外に徴集・連行された例が多いのですが、

台湾現地の日本軍駐屯地で強姦にあった例も沢山あります。

 

資料の重複を防ぐため国の関与に関してはここでは述べませんが、

「軍の要請に基いて台湾総督府が必要人数を州知事、庁長に割り当て、

郡守、警察署長が業者の選定にあたり、業者に女性たちを集めさせ・・・・」

という事は朝鮮の場合と同じだと思われます。

人数については確実ではありませんが、

日本政府の調査資料(女性のためのアジア平和国民基金、1997年)では、

1938年11月から1940年1月までで260人となっています。

これは最低の人数でしょう。

注: 260人が働かされた場所はは上海9名、残りは華南です。

 わずか1年2ケ月の集計です。

 それ以降の南方への戦線 拡大を考えると、10倍以上と考えられます。

台湾の民間団体が1992年に調査した記録があります。

* 台北市婦女救援社会福祉事業基金会の1992末までの調査で、

  確実に慰安婦だったことが証明されたのは48名です。

注: 同会が1999年に出版した「台湾慰安婦報告」では生存者51名になっています。

どのような経緯で慰安婦になったか

          騙された者         22名

             (食堂のウェイトレス、酌婦、看護婦、洗濯、炊事)

          強制連行された者        10名

          役場からの割当て        5名

          承知して応募した者       3名

年齢は       16~20歳       24名

               21~25歳       16名

                以下省略

慰安婦として集められた時期  1938~1939年   5名

                 1940~1941年   7名

                 1942~1943年   28名

                 1943~1945年   6名

                  不明       2名

働かされた場所(重複あり)  海南島       14名

                 インドネシア    12名

                 フィリピン     8名

                 ビルマ         8名

                 広東省         8名

                 シンガポ-ル      4名

                   他         3名

 

この調査は台湾人女性(中国人)対象の調査で、原住民女性は含まれていませんが、

1996年には原住民女性への調査も実施され、16人が名乗りを上げました。

2002年現在の調査では1,200人以上が慰安婦にされたという記録になっています。

                  (2002年5月、平壌でのシンポジウムで王清峰さんの報告)

 

台湾でも国会(立法院)で日本の参議院に提出された法案を支持する声明が全会一致でなされました。

* 「慰安婦」問題の早期解決を求めた台湾立法院決議  200年10月8日(全会一致)

1 第二次世界大戦中、日本はその植民地と占領区で欺瞞や誘拐などの方法で無数の女性を招集し、

   強制的に従軍慰安婦にして、軍隊に性的サ-ビスを提供させた。

   日本政府はこの事実を認めたが、繰り返し無数の女性の名誉と尊厳を傷つけ、

   日本政府の名義で謝罪と補償を拒否し、被害者に一生癒せぬ障害を蒙らせた。

2 ・・・・日本政府はいまだにサンフランシスコ条約と戦後の2国間平和条約で

   すでに補償問題を解決したとし、

   非公式な「アジア女性平和国民基金」を通じて元慰安婦にささやかな慰撫を与えることに止まった

   今年5月に・・・・業務は締め切ったが、

   台湾人元慰安婦と一部の韓国籍元慰安婦がまだその慰撫金を受領しておらず、

   この問題を解決するには日本の国会に提出している法案を通過させるしかない。

以下省略

3 元慰安婦の生存者はすでに7~80歳の高齢で、

   ともに生きている間に補償問題が解決でき、その人権が真に尊重されることを希望している。

     以下省略

 

[地域別・海南島]

   1939年に日本は海南島を占領しますが、3ケ月後には慰安所の設置が始まりました。

設置に関しては、陸軍省、海軍省、外務省で計画を進めますが、

実際には台湾総督府を通じて、海南島に進出した台湾拓殖(株)に慰安所設置と慰安婦の徴集を依頼しました。

このことは前のほうで詳しく述べました。

西野瑠美子氏の1997年までの調査では、慰安所の数は62ケ所、人数は最低でも1,300人以上が確認されています。

海南島の南側、三亜市にあった慰安所のことが少しわかっています。

地元の老人の話では、三亜市の、三亜、崖城、楡林の3角地区に10数件の慰安所があったといわれています。

地区と名前は一致しませんが、将校用の「華南荘」、兵隊用の「崖泉荘」にそれぞれ30人ほど。

工兵隊用の「中島慰安所」、将校用の「桃荘」、

兵站陽の「海荘」「南恩光慰安所」「欧家園」・・・・の名前が証言で出てきます。

* 原住民、黎族の黄有良さん  1926年生れ 証言

15歳のある日田圃から家に帰る途中、7~8人の日本兵が後ろから追いかけてきて私を止め、

その場で私の服を脱がしました。

私は抵抗し、助けを求めましたが、皆日本軍が恐く助けに来てくれる人はいませんでした。

その場で2人の日本兵が私を犯しました。

その時から彼らは時々家に来て、両親がいるかいないかも、夜も昼も構わず、

家の中でも外でも、欲しいままに私を強姦しました。

時には村人の家に逃げ隠れしましたが、私がいないと両親を殴るので耐えられず家に戻ったこともあります。

その後彼らは私を兵舎で働くようにしました。仕事は炊事と洗濯でした。

それに彼等は好きなように私を陵辱しました。

その兵舎には私と同じ様な女性が他に11人いました。

4年目になった時、トラックで藤橋という町に連れて行かれ、同じ様な事をさせられました。

そこにいた10数名の女性は皆、歳の若い娘でした。

ある女の子は3~4人の日本兵に慰安所の中で輪姦されて大出血しました。

それを見てとても恐かったです。

 

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