軍による性暴力

最後に
記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/05/05 16:30

最後に演説と証言を載せます。

 

[盧武鉉大統領の演説]

最近日本と韓国の間が歴史認識をめぐってもめています。

色々な問題があるようですが、実は全ての根底に従軍慰安婦の問題があります。

慰安婦問題がきちんと解決されていないから、あっちこっちへと飛び火するのです。

2005年3月1日、当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の演説があります。

当時日本では反日演説と言われましたが、日本人の歴史認識が問われる演説です。

本当に反日かどうか内容を読んだ上で判断してください。

* 3.1節記念式典での祝辞 韓国大使館 訳  (要旨)

  国民の皆さま!

・・・・今年は韓日国交正常化40周年を迎える年です。

その一方で、韓日基本条約関連文書の一部が公開されて、未だに未解決である過去の問題が再燃し、

新たに難しい問題が浮上しました。

他方で、韓日関係は、法的にも政治的にも相等の進展を遂げてきました。

1995年に日本の村山首相が「痛切な反省と謝罪」を表明し、

98年には金大中大統領と小渕首相が新韓日パートナ-シップを宣言しました。

2003年には、私と小泉首相が「平和と繁栄の北東アジア時代のための共同宣言」を発表しました。

韓日は、北東アジアの時代を切り開くために共に働く運命を共有しています。

相互協力を通じた平和と共通の繁栄の強化の追及なくしては、韓日はその国民に安全と幸福を保証できません。

法的及び政治的分野での進展だけでは両国の将来を保証することができません。

我々がなすべきことを全て行なったとは言い難いのです。

一歩進んで、本格的な和解と協力に向けた努力をする必要があります。

我々は真実と誠実を持って両国の国民間に存在する心理的な壁を打ち破る事で、

真の隣人として生まれ変わらなければなりません。

フランスは反国家的活動に関与した国民に対し厳しい判決を下しましたが、

ドイツに関しては寛大に手を組み、欧州連合を創設しました。

昨年、フランスのシラク大統領は、初めてノルマンディ上陸60周年記念式典に

ドイツ首相を招き「フランス国民は彼を友人として歓迎する」と述べました。

フランス人と同様に、わが国民も日本の寛大な隣国になることを要望しています。

これまで、韓国政府は、国民の間で怒りや憎悪を助長させぬよう自制し、

和解と協力の推進に向けた前向きな努力をしてきました。

実際、私は、韓国国民が自制心と理性を持ち慎重に行動してきたと考えます。

韓日関係の進展に敬意を表し、私は、二国間の歴史問題を外交問題として提起しないと公言しました。

私の考えは今も変わりはありません。

その理由は過去の歴史問題が首を擡げるたびに、二国間交流や協力が行き詰まり、

両国間のもつれが高まる事は、将来に支障をきたすと思うからです。

しかし、この問題は、韓国の一方的な努力だけでは解決できません。

二国間の更なる発展には日本政府と日本国民の真摯な努力が必要です。

日本は過去の真実を糾明し、反省し、心から謝罪し、必要があれば補償し、和解しなければなりません。

これが、世界のあらゆる国々で見られる歴史を清算するための普遍的なプロセスなのです。

私は、日本人の拉致問題をめぐる日本国民の怒りを十分に理解します。

しかし、同じように日本が自らを反省することも同時に要請したいのです。

日本が強制徴用から従軍慰安婦問題に至るまで、日帝36年間に、数千、数万倍の苦痛を強いられた

わが国民の怒りを理解することを望みます

私は、今再び、日本人の知性に訴えたいのです。

私は、日本が、誠実な自己反省に基づき、韓日間の感情的なしこりをなくし、

傷を癒すことにイニシアティブを取って欲しいと思います。

それこそが、先進国として誇り高い日本が、知性的国家としての存在を示すことです。

そうせずに、日本は過去の束縛から逃れられないし、経済や軍備面で如何に強力になろうとも、

日本が、隣国の信頼を得て国際社会で指導力を発揮するのは難しくなるでしょう。

ドイツはそうしました。その結果良い扱いを受けています。

ドイツ人は、自ら過去を探求し、謝罪をし、賠償をし、これらの断固たる倫理的行為により、

欧州社会において指導力を発揮しました。

      以下省略

 

[ヴァイツゼッカ-の演説]

盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の演説にドイツのことが述べられています。

ドイツのヴァイツゼッカ-は非常に有名な演説をしました。

日本の慰安婦問題に触れているわけではありませんが歴史認識に関係することなので掲載します。

* 1985年5月8日、連邦議会での演説 (要旨)

リヒャルト・カール・フォン・ヴァイツゼッカ-  第8代大統領

・・・・我々にとっての5月8日とは、何よりも人々が嘗めた辛酸を心に刻む日であり、

同時に我々の歴史の歩みに思いをこらす日でもあります。・・・・

大抵のドイツ人は自らの国の大義のために戦い、耐え忍んでいるものと信じておりました。

ところが、一切が無駄であり無意味であったのみならず、

犯罪的な指導者たちの非人道的な目的のためであった。・・・・

心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、

これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。

そのためには、我々が真実を求めることが大いに必要とされます。・・・・

強制収容所で命を奪われた6百万人のユダヤ人、ソ連・ポ-ランドの無数の死者、

虐殺されたシインティ、ロマ(ジプシ-)、殺された同性愛の人々、

殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人々、

銃殺された人質、ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者。

ドイツ人としては、兵士として倒れた同胞、故郷の空襲で、あるいは故郷を追われる途中で命を失った

同胞、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、

労働者や労働組合のレジズタンス、共産主義者のレジスタンス-これらのレジスタンズの犠牲者-、

計り知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みが続いています。・・・・

罪の有無、老若いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けなければなりません。

全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。・・・・

去に眼を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。

非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。・・・・

かって敵側だった人々が和解しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか、

このことを忘れて5月8日を思い浮かべることは我々には許されません。

ワルシャワのゲット-で、そしてチェコのリジイツエ村で虐殺された犠牲者たち、

我々は本当にその親族の気持になれるものでありましょうか・・・・

人間は何をしかねないのか、これを我々は過去の歴史から学びます。

でありますから、我々は今や別種のよりよい人間になったなどど思い上がってはなりません。・・・・

自由を尊重しよう。平和のために尽力しよう。

正義については内面の規範に従おう。今日5月8日に際し、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。・・・・

 

[アメリカ・オバマ大統領の記者会見]

2014年4月にアメリカのオバマ大統領が来日し、その後韓国を訪問しました。

韓国の朴大統領との会談後記者会見をしましたが、その内容です。(2014年4月26日、東京新聞)

この記者会見も日本の歴史認識に触れています

 (韓国紙記者)

安倍首相は日米首脳会談でも靖国参拝を正当化する発言をしたが、

このような歴史認識についてどう思うか?

 (オバマ大統領)

従軍慰安婦問題はおぞましく、ひどい人権問題だ。戦争中であってもショッキングな被害を受けた、

彼女たちの声を聞き、尊重しなければならない。

安倍首相と日本国民は過去について、より正直に、

公正に理解しなければならないことを認識しているだろう。

しかし同時に日本と韓国の国民が理解したときは、

過去ではなく前を見なければならない。

過去の緊張を解決し、未来に向け繁栄と平和のために努力しなければならない。

これが戦争の最大の教訓だ。

 

「軍による性暴力」のレポ-トもそろそろ最後です。

慰安婦の証言から始まったので最後も証言で締めくくりたいと思います。

2002年7月23日、参議院内閣委員会の質疑に提出された宋神道さんの証言です。

当初本人が証言する予定でしたが、体調を考えて本人は傍聴しました。

 

[宋神道さんの証言]

宋神道(ソンシンド)さんは1922年11月24日、朝鮮忠清南道論山郡で生まれました。

威寧で戦争が終わり、1947年頃村田金作という日本人に結婚しようと騙されて来日、

福岡で捨てられました。

流れて仙台で金沢幸一(1998年の証言では河本幸市・・・・同一人物か?)に助けられる。

現在仙台在住。

私は今年満80歳になります。

だまされて慰安所に連れて行かれたのは16歳の時です。

まだ何も分からない、ままごと遊びをしているような子どもでした。

何も分からないまま、性病の検査台に乗せられたときには、恥ずかしいやら、恐ろしいやら、

あんまり暴れたので、軍医もお尻をぴしゃりとはたいて降ろしてくれました。

泣いて、泣いて、そっち逃げたり、こっち逃げたり。隠れていたら捕まって、髪結び付けて殴ったり、足でけったり。

暗い部屋に縛り付けて、飯も食べさせない。

そうして死ぬ前に保護して、今日から兵隊さんの言うことを黙って聞くんだぞと、こう言います。

そう言われても、その時間になると、やっぱり嫌だから、また同じ事の繰り返し。涙ばかり流して。

逃げようとしても帰る道も分かりません。

最初は泣いてばかりいましたが、軍人の言うとおりにしなければ帳場で担当している者に殴られる。

軍人には刀で脅される。命が惜しくて、死ぬのは嫌でした。

だから軍人の言うことを聞ぐしかねがったんです。

日本語も必死に覚えて、はたかれないように、殺されないように、一生懸命やったんです。

明日は死ぬという覚悟で戦やっている気の荒い軍人ばかり相手にしてたから、私の気性もすっかり荒くなりました。

毎日毎日ビンタ取られて、ほっぺたにタコが寄って、今じゃ何ぼ叩かれても痛くありません。

鼓膜が破れて、耳も片一方しか聞こえません。

慰安所で彫られた刺青が恥ずかしくて風呂にも行けません。

それでも、生きてこられただけ何ぼかましかも知れません。

隣の慰安所では、クレゾ-ルを飲んで死んだおなごもいました。

病気のとき相手をするのを断ったら軍人に殺されたおなごもいます。

空襲で死んだおなごも、兵隊さんと心中したおなごもいました。

一緒に死んだって、兵隊さんは自分の国に骨が帰るけど、朝鮮のおなごは死んでも自分の国には帰れません。

ただそこで穴補って埋めるだけです。

あんな地獄のような慰安所で死んで、ただ穴掘って埋められておしまい、

死んでも国に帰ることもできない朝鮮のおなごたちは本当にかわいそうでした。

けれど、生き残った方が幸せだったのか、戦地で死んだ方がよかったのか。

戦争が終わって日本に来てから、海に入って死のうと思ったことが一度や二度じゃありません。

汽車から飛び降りたこともあります。

若い頃は毎日、毎日兵隊の夢を見ました。

うんうんうなされて、びっしょり汗かいて、金沢幸一に起こされました。

慰安所のことは何年経ってもいくら忘れようとしても忘れる事は出来ません。

ぐしゃぐしゃして、荒れて、大酒飲んで暴れたこともありました。

大酒飲んで暴れても、悔しい気持ちが晴れるわけじゃなし、ますます腹が立つだけなのに、

ばかなことをしたと今では思います。

でも、そのときはそうしねえでえられねがったんです。

なして、日本の戦に、まだ訳も分からない朝鮮の子どもが連れていかれて、

あんなに苦労しなければならなかったのか。

考えても、考えても、意味が取れません。

だから悔しい気持ちが出るんです。

年を取ってから敬老の日に近所の年寄りには座布団が配られるけんど、私には届きません。

何年も同じ町会に暮らしていても、こんなところまで差別付けられています。

近所に軍人恩給もらって大威張りで暮らしている人もいます。

遺族年金をもらっている人もいます。

戦地に引張っていくときには、御国のため、御国のためといっておいて、

今になって、なして朝鮮人だの慰安婦だの生活保護だのと差別をつけられるのか。

全く意味の取れないことばかりです。

だから裁判に訴えました。

なんじょのものだか、意味を知りたかったんです。

なして私が慰安婦にされたのか、なして差別を付けられるのか、その意味をはっきりさせたかったんです。

そして近所で白い目で見られないようにして欲しかったんです。

裁判を始めたら、生活保護受けて人の税金で食ってるくせに、何の文句があって裁判するのか、

日本の国に住んでいるのに日本人ばかり悪者にするな、文句があるなら韓国に帰れ、などと言われました。

国民民基金(注:アジア女性基金)を貰えばいいんだと言う人も近所にはいますが、

意味の取れない金を貰うわけにはいきません。

民間人の金を集めて呉れるといっても、また白い目で見られるだけです。

最初に裁判に訴えたときの首相は宮澤さんでした。

今の小泉さんでもう8人目です。

首相がころころ入れ替わり立ち代わり変わっても、民間人の金を集める話以外何も出てこない。

国会で何か話しが出るかと思って、いつもテレビで国会中継を見ています。

でも近頃じゃちっとも話も出ねえじゃないですか。

恥を忍んで、針のむしろに立つ思いで訴えたのに、10年もの間ほん投げられてきました。

きちんと謝罪して、申し訳なかったと、意味の取れる補償をしてくれなければ、また恥をかくだけです。

20年ほど前に金沢幸一が亡くなってからは、ずっと独りで暮らしてきました。

日本には肉親は一人もおりません。

風邪でもひいて寝ていると、このまま独りで死ぬんじゃないかと思い、恐ろしくて、情けなくなります。

近所の人達には家族もおり、子どもも孫もいるのに、私は独りです。

戦地で日本の軍人の子を2人産みましたが、慰安所では育てられずに他人に預けました。

どうにも仕方がなかったとはいえ、親が子どもを捨てるような罪作りなことをして罰が当ったんだと涙が出てきます。

中国から親捜しの子どもが日本に来ると、一人一人顔を確かめて見るが分かりません。

せめて子どもでもいてくれれば、こんなに肩身の狭い思いをしなくて済んだのではないかと思えてならねえんです。

裁判を始める前は恥ずかしくて誰にも慰安所のことを話せませんでした。

でも、裁判を始めてから本当に沢山の人の前で体験を話しました。

信用してもらえるか心配でしたが、みんな心から聞いてくれました。

中には、私が慰安所に連れていかれた丁度同じ年頃の子どももいました。

こんな子どもに意味が取れるのかと心配で心配で恥ずかしくて話したくなかった。

逃げ出したかったけんど、仕方がない、

話をしたら、こんな子どもでもちゃんと意味を取って、涙を流しながら聞いてくれました。

半分は気持ちが晴れました。安心しました。

人の心の一寸先は闇です。

慰安所で7年、日本に来てから50年以上、人の心が信じられずに生きてきました。

疑うことしか知りませんでした。

でも、裁判かけて体験を話してから、少しは人間らしくなれたと思っています。

私は16歳から日本人の中で暮らしてきました。日本人と気持ちよく付き合いたいと願い、そう努めてきました。

私はあと何年生きられるか分かりません。

けれど、日本に住む朝鮮人の子どもと日本の子どもたちが仲良くするためにも、

過去の過ちは過ちとしてきちんと反省して、申し訳なかったと謝罪して欲しいです。

世間では、慰安婦は民間業者が連れ歩いたと陰口を言う人もいます。

戦地のことは戦争に行った者でなければ分かりません。

戦争がどんなに残酷なものか、民間業者がそんなことできるはずがありません。

あんな残酷な戦争は2度と繰り返してはいかぬのです。

慰安婦ばかりではなく、中国の人も、日本の兵隊も、苦しめられた惨めな姿を、私はこの眼で見てきました。

なのに、日本政府は再びあの残酷な戦争を始めようとしているように見えます。

過去を反省していないから、戦争の恐ろしさを知らないから、そんな事を考えるんです。

私の話を聞いて涙を流してくれた子ども達が、あんな残酷な戦争に引張られて行くことがあったらと思うと、

近頃はまんじりとも出来ません。

ほんと、幾らも寝られねえんです。

慰安婦問題を子ども達の時代まで持ち越さないように、子ども達を2度と残酷な戦争に巻き込まないように、

再び戦争をするための法律ではなく、過去の問題をきちんと解決する法律を作ってください。

そうでないと死んでも死に切れません。よろしく頼みます。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ご意見・ご感想はこちらへ ※個人情報の取り扱いについて

お名前 (必須)

メールアドレス ※返信をご希望の方はご記入ください

メッセージ本文