日本の細菌戦

1944年の細菌戦
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最終更新日:2015/03/07 12:30

[浙江省温州市のペスト菌実験]

日本軍では普通の村で村人に対しペスト菌の生体実験をしています。

その記録です。

浙江文史資料「鉄証」-侵華日軍在浙江暴行紀実-から

1995年

*村を封鎖し予防接種

1944年9月19日、日本侵略軍・峰岸部隊約7~80人は、

隊長伊藤に連れられて楽清翁垟に進駐し、九房村、陳叔興の新しい村を接収した。

10月21日九房村を封鎖し、白いつなぎを着た数人の日本軍医療関係者が、

人々に予防注射を打ち九房村にペストが発生したといった。

九房村は300戸余1000人余りの人口で住居がかなり密集している大きな村だった。

*ペスト患者を次々[実験」に

間もなく封鎖地区内で予防接種をした人が予定通りペストを患い始めた。

しかしこれがペストだとは誰もわからず脇や太腿に肉団子のようなしこりが出来たと思うだけだった。

屋外のあちらこちらで黒いネズミの屍骸が見つかった。

白衣を着た日本軍医療関係者はいつも封鎖地区内を巡視し、

家の中からうめき声や子どもの泣き声がり、あたふたした村民を見かけると、すぐに入って検査をした。

村人の陳永盖は病気で床につき、日本軍医が検査した時に、リンパ腺が何ケ所か腫れているのが見つかった。

日本軍はすぐに命令して彼を前祠堂の実験所に運び込ませ始めての実験をした。

それから封鎖地区の疫病は非常な速さで蔓延し、病気にかかった者は100例近い。

このように5人が実験された。

*棺をこじあけて採取

封鎖が解かれた後も九房村は引き続きペストが発生し、後街・中街・前街でさえ感染者が出た。

半月ほどたった後、突然白衣を着マスクをした数人の日本軍医務員がやって来た。

かれらは1ケ月前に実験所で死亡した陳俊順と陳余千の母親の家族に案内させて、

棺をこじ開けて死体から何かを取り出し、ガラスビンの薬液の中に入れて持ち帰った。

実験で犠牲になった5人以外に病死したものは15人であった。

 

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