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キーワード「ハバロフスク裁判」を含む投稿一覧

  • 1941年の細菌戦

    2020/11/08
    11:55

    1941年は前年の作戦の結果をふまえ

    様々な改善をする時期でした。

    そして9月16日大本営から

    常徳に対する攻撃命令が出ました。

     

    [湖南省常徳]

    1941年11月4日 731部隊と

    栄1644部隊(南京の部隊)が合同で実施しました。

    日本軍機が1機、早朝5時頃低空飛行し、

    常徳市市中心部に、粟、麦、綿などと共に

    ペストノミを投下しました。

    投下地点は市の中心の関廟街、鶏鴨港でした。

    直ちに投下物を検査し、防疫対策がとられました。

    約1週間後に11歳の少女が死亡。

    遺体解剖の結果ペストと判明したが、

    早期の対策をした為ペストは沈静化しました。

    しかし翌年春、ネズミから2次感染は始まりました。

    2次感染、3次感染を含め公式記録では死者100になっています。

     

    ●  2002年8月、東京地裁判決から

     出動期間  1941年11月

     出動場所  南昌~常徳

     出動人員  40~50名

     現地指揮官  大田澄大佐、碇常重大佐

     使用細菌  ペスト

     撒布方法  上空から撒く雨下作戦

     死亡者数  7,463人

     

    ●  中国側証言 広徳病院検査技師 汪正宇

     投下物の一部がすぐ広徳病院に届けられ

     検査の結果真性ペスト桿菌,疑似ペスト菌が発見された。

     11日から高熱,そけいリンパ腫,敗血症等で死者が出始めた。

     直ちに大規模な防疫活動を実施し,

     一旦鎮静化したが数ケ月後から

     2次感染などで患者,死者が相次いだ。

     

     ●日本軍人証言 川島清 731部隊第4部細菌製造部長

    (1949年12月25日、ハバロフスク裁判公判記録から)

    注:長くなるため国家検事の尋問は省略して答弁のみ書きます。

         尚原文はカナです。

      質問は簡単に()内に入れます。

    ◎まず私が第731部隊に勤務していた時期に就いて述べます。

     この期間を通じて第731部隊の派遣隊が

     中国中部における中国軍に対して兵器として  

     殺人細菌を使用したことが

     1941年に1度、1942年にも1度ありました。

    ◎第1回目は、私が述べました様に、

     1941年の夏でした。

     第2部太田大佐が何かの拍子で

     中国中部に行くと語り、

     その時私に別れを告げました。

     帰って来て間もなく、彼は私に

     中国中部洞庭湖近辺にある常徳市附近一帯に

     飛行機から中国人に対してペスト蚤を

     投下した事について語りました。

     その様にして彼が述べたように、

     細菌攻撃が行われたのであります。

     その後太田大佐は、

     私の臨席の下に第731部隊長石井に、

     常徳市附近一帯に第731部隊派遣隊が

     飛行機からペスト蚤を投下した事  

     及びこの結果ペスト伝染病が発生し、

     若干の患者が出たということに関して報告しました。

     さてその数がどの位かは私は知りません。

    ◎(派遣隊の人数に就いて) 40人~50人位です。

    ◎(地域の汚染方法について)

     ペスト菌を非常な高空から

     飛行機で投下する方法であります。

    ◎(爆弾投下なのか蚤の撒布か?)

     撒布によってであります。

     

    [浙江省義烏市]

    細菌戦は直接攻撃したときだけに被

    害が出るわけではありません。

    攻撃した地域で一旦流行が収束したように見えても、

    伝播が次々と広がり他の地域で

    数年たってから流行することがあります。

    そのような例が浙江省義烏市です。

    前年に浙江省衢州市で行われた細菌戦が

    130km離れた義烏市伝播したものと思われます。

    1941年の秋に義烏市の市街地で

    ペストが流行り始め約200名の人が

    死亡したといわれています。

    そして義烏市の周辺の村々にも流行は広がり

    1944年まで続いたといわれています。

     

    ●  被害者証言 陳知法さん

     まず兄が熱を出し、リンパ腺が腫れ、

     喉が渇き、亡くなりました。

     その後、父が発病して亡くなりました。

     私は同じ家に住んでいましたが別の部屋にいました。

     この病気に罹ったら、みんな怖くて

     医者にかかりませんでした。

     兄も父も埋葬するだけで葬式はしませんでした。

     埋葬は母が葬儀屋を呼んで1人で行いました。

     私の家のまわりでも30人ぐらいの人が亡くなりました。

     伝染すると怖いですから、誰も見ませんでした。

     私の家は貧乏でしたから、

     その後の生計は母がたてていました。

     

    [浙江省行政資料]

    ●浙江省第4区行政監査兼保安司令署上申す

     字第273号民国 1942年1月22日発

       注:1942となっていますが内容は1941の事です。

    概要 

     本区義烏と東陽2県のペストの予防と

     治療及び近隣各県の防疫の状況を申上げます。

     詮議の上、何卒よろしくお願い致します。

     本区の義烏県市街区北門で、

     昨年(注1941年)10月8日にペストが発生した。

     本署は通知を受け、直ちにペストが蔓延しないよう、

     義烏県には適切な予防と対策を行い、

     かつ近隣各県には緊急に防疫に努めるよう

     電報で命令すると共に人員を派遣し

     指導に当たった。

     以下、これらの県のペストの発生と

     防疫の状況について申上げます。

     1. 義烏

      当県市街区北門13保で昨年10月2日に

      5匹のねずみの死骸が発見され、

      その後毎日大量のねずみの死骸が

      発見されるようになり、

      8日には住民2人が急死した。・・・・・

      防疫経費不足のため、

      防疫計画にそった適切な対策を  

      実行することができず、

      又民衆の防疫知識不足のため、

      伝染病発生地域はにごとに拡大し、・・・・

      昨年の12月の末までに118名の死者が出た。・・・・

      今月5日に蘇渓鎮徐界嶺のペストが

      蔓延している地域の住宅20数戸全部を焼却し、

      現在ではペストの勢いは弱まりつつある

     2. 東陽

      当県の山岳地帯(魏山区)では、

      昨年11月25日にペストが発生し、

      最初は八担頭村1村だけだったが、

      村の橋の所まで蔓延した。

      その原因は、当地のものが義烏で

      ペストにかかり逃げ帰り、

      次から次へと感染したもので、

      昨年12月末までに40名が亡くなった。

       以下省略

     3 金華  省略

     4 蘭谿  省略

     5 浦江  省略

     

    ●  浙江省第6区行政監察専員公署・保安司令部 代電

         民国30年(1941年)8月25日 部字8号

       事由 有毒細菌を撒布する敵の挑発に関する命令の伝達

     各県県長、第1、2中隊長へ  

     黄省主席末廻勤電によると、

     軍令部電報が、

     「報告によると、敵の特務機関長宮崎少将は

     近々第1、第2両特務隊60人を召集して

     有毒細菌撒布を組織し、平吉少尉が率いる。

     隊員の多くは華人と台湾人で、

     夜間船で寧波に行き、

     それぞれ有毒細菌を撒布する。

     同隊はペスト菌、腸チフス菌、

     コレラ菌、ジフテリア菌などを携帯する。

     隊員は商人に扮し、上海~寧波間の

     偽造イエズス会身分証明書を

     携えているとの事である。

     これを注意深く摘発するよう命じられたい」

     とのことなので、それぞれに打電するほか、

     所轄の県機関が一体となって

     摘発にあたることが肝要であるとの命令を

     伝達するということであった。

    注:宮崎少将は1940年12月2日に着任した

      上海特務機関長宮崎繁三郎のことで、

      第13軍特務部との共同作戦を行う情報担当者である。

     

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  • アメリカによる隠蔽とソ連

    2020/08/13
    10:56

    戦後ソ連は東京裁判で細菌戦部隊のことを

    公けにすることを要求しました。

    しかしアメリカは731部隊の

    膨大な研究資料・情報を手に入れるため、

    石井四郎をはじめ主要メンバ-と取引を開始し、

    結局関係者は全員戦犯から外され、

    私たち日本人からも戦後隠されてしまいました。

     

    ●D・マッカ-サ-   

       動物実験はあったかもしれないが、人体実験などなかった

    ●J・キ-ナン判事   

      日本は先の戦争で生物兵器を使用する計画がなかった

     

    朝鮮戦争でアメリカが日本の旧部隊員と協力して

    細菌戦を行ったことも、絵空事として否定しました。

     

    アメリカの調査は1947年末頃終了しましたが、

    ソ連はハバロフスクの裁判に備えて、

    東京裁判のソ連検事局から、

    石井四郎等関係者の身柄の引渡しを

    要求してきました。

    アメリカは身柄引渡しを拒否したため、

    ソ連の調査団が石井の訊問に来日しました。

    しかしアメリカ軍立会いの訊問で成果は得られませんでした。

    このことは前項目で書きました。

     

    ソ連からの情報提供の要求に対し

    協議を続けていた三省調整委員会は

    1947年3月21日に結論を出し、

    マッカサ-に結論を連絡しました。

     

    ●三省調整委員会からマッカ-サ-への打電  

         (「731部隊の生物兵器とアメリカ」から要約)

    パ-トⅠ

     以下の条件の下に、連合国最高司令官は

     石井中将、菊池、太田両大佐のソ連による

     尋問を管理することを許可する。

     a.菊池、太田両大佐はアメリカの専門家の

      尋問を受けさせること。

      陸軍省は尋問の実行とそれに続く

      ソ連の尋問を傍聴するために、

      特別に訓練された専門家をただちに

      派遣する用意がある。

     b.事前の尋問において

      ソ連側に暴露するべきでないと

      思われるほど重要な情報が出てきた場合。

      菊池と太田はその情報をソ連側に

      明らかにしないよう指示をうけるようにする。

     c.ソ連の尋問に先立って、

      日本の生物戦専門家たちはこの件について

      アメリカの尋問を受けたことを言わないよう

      指示を受けること。

    パ-トⅡ

     日本人による中国に対する戦争犯罪について

     興味を持っているということは明確に示されていないので、

     尋問はそうした角度からというよりは、

     友好国の政府に対する友好的な態度の

     表明といして許可されるものである。

     今回の尋問許可は将来の前例になるものではなく、

     その都度検討されるべきものであることを

     ソ連側に明確に示すこと。

     

    この連絡を受けGHQ参謀第2部(G2諜報部門)の

    ウィロビ-部長はソ連の対日理事会代表

    デレビヤンコ中将にソ連の尋問要求に対する

    回答書を出しました。

     

    ●ウィロビ-部長からの回答 

          (731部隊の生物兵器とアメリカから要約)

     ソ連側には中国人や満州人に対する

     戦争犯罪について取り調べたいという

     明確な興味が感じられない。

     当該の人物についてはすでに

     極東国際軍事裁判のソ連検察団の協力を得て、

     国際検察局、連合軍最高司令部合同の尋問を考慮していた。

     しかしながら、この合同尋問は

     戦争犯罪調査の目的では認められないし、

     また将来の前例となるものではない。

     

    つまりアメリカはソ連からの要求を拒否したのです。

    そして1947年8月アメリカ政府の

    三省調整委員会極東小委員会はは次の決断を下しました。—

     

    ●SFE  188/2、State-War-Navy  Co-Ordinating

                    Sub-Committee  for  the  East

     実際上、石井と彼の協力者によって

     もたらされた日本の生物戦計画に関する情報を

     情報チャンネルにとどめる。

     という彼らとの約束は、米

     政府が生物戦活動に戦争犯罪行為はあったが、

     それにたずさわった者はだれも

     追訴しないと約束するのに等しい。

     このような了解は、石井と彼の協力者がこれまでに提供し、

     これからも提供し続ける情報の存在ゆえに、

     アメリカ国民の安全保障のために

     きわめて重要な価値をもつだろう。

     しかしながら以下に述べる事態が発生する

     わずかな可能性についても留意しておく必要がある。

     すなわち、奉天地区でソ連が独自に行った捜査によって、

     アメリカ人捕虜が生物兵器機能の実験目的で使用され、

     その結果死亡したことの証拠を暴露する可能性。

     さらにその証拠が東京で審理中の重要日本人戦犯の反対尋問で

     ソ連人検事によってもち出される可能性である。・・・・

     アメリカにとって日本の生物戦デ-タは

     国家安全保障上、高い重要性をもつものであり、

     「戦争犯罪」として訴追することの重要性は

     それに及ぶものではない。


    「GHQが731関係者に現金を」

    アメリカは731部隊関係を隠蔽し、

    情報を独占するために関係者に

    多額の現金を渡していた事がわかりました。

     

    ●2005年8月15日 東京新聞 

          ワシントン=共同 全文掲載します

    第二次大戦中に中国で細菌による人体実験を行った

    旧関東軍防疫給水部(731部隊)関係者に対し、

    連合軍総司令部(GHQ)が終戦2年後の1947年、

    実験デ-タをはじめとする情報提供の見返りに

    現金を渡すなどの秘密資金工作を展開していたことが

    14日、米公文書から明らかになった。

    総額は国家公務員(大卒)の初任給ベ-スで比較すると、

    現在の価値で2000万円以上に達する。

    人体実験で3000人ともいわれる

    犠牲者を出した同部隊をめぐっては、

    GHQが終戦直後に戦犯訴追の

    免責を約束したことが分かっているが、

    米国が積極的に働き掛ける形で資金工作を

    実施していた事実が判明したのは初めて。

    文書は、米国が731部隊の重大な戦争犯罪を

    認識していたにもかかわらず、

    細菌兵器の開発を優先した実態を記している。

    文書は47年7月17日付の

    GHQ参謀第2部(G2諜報部門)=肩書は当時、以下同=の

    ウィロビ-部長のメモ「細菌戦に関する報告」と、

    同月22日付の同部長から

    チェンバリン陸軍省情報部長あて書簡(ともに極秘)。

    神奈川大の常石敬一教授(生物・化学兵器)が

    米国国立公文書館で発見した。

    同文書によるとウィロビ-部長は、

    731部隊の人体実験を調べた米陸軍省の細菌兵器専門家、

    フェル博士による部隊関係者への尋問で

    「この上ない貴重なデ-タ」が得られたと指摘。

    「獲得した情報は、将来の米国の細菌兵器計画にとって

    最大限の価値を持つだろう」と、

    G2主導の調査結果を誇示している。

    具体的な名前は挙げていないものの

    「第一級の病理学者ら」が資金工作の対象だったと記載。

    一連の情報は金銭報酬をはじめ食事や

    エンタ-テイメントなどの報酬で得たと明記している。

    陸軍情報部の秘密資金から

    総額15万円から20万円が支払われたとし

    「安いものだ」「20年後の実験、研究成果が得られた」と

    工作を評価している。

    当時の20万円を国家公務員(大卒)の初任給で

    現在の価値に置き換えると

    2000万円-4000万円に相当する。

     

    つづきを読む

  • 731部隊の組織

    2020/08/07
    15:42

    組織は本来秘密でしたから正確には分かりません。

    年代によっても変更があり

    人員の移動も激しかったと思われます。

    色々な資料を混ぜて製作しましたので

    その辺考慮して参考にしてください。

    解説ですが、別にして分かりづらいものは、

    少し長くなりますが一覧の中その都度に入れす。

    実際の731関係の資料では「課」は

    「科」になっていますが現代風に課にします。

     

    部隊長 石井四郎 軍医中佐 

           (1936年8月1日~1942年8月1日)京都大学

        北野政次 軍医少将

           (1942年8月1日~1945年3月1日)東京大学

        石井四郎 再任 軍医中将(1945年3月1日~終戦)

     

    総務部  川島清、村上隆、今津綱幹、

         中留金蔵軍医中佐、大田澄大佐

     副官室 景山杏祐、青木広市

     調査課 石光薫技師 川上技師

      翻訳班 秦正氏(軍医中尉・千葉医科大学出身)

      印刷班 小館美実

      写真班 小館兼務  土屋技師

      兵要地誌班

      調査班  臼井竹次郎

      図書室  新井??  田村清

     人事課 本部および支部の軍人、

         軍属の人事、審査などの業務を担当

       山下健次衛生少佐  工藤(嘱託)

     庶務課  本部各部課、各機関の連絡の統括を担当。

         所属部隊に指示、部署当を伝達する       

         高橋伝、篠原岩助衛生大尉、鈴木穐男

    労務班(労工) 工藤与四郎

    庶務室 飯田衛生大尉

    食堂

    酒保

    学校

    郵便局

    小学校

    自動車班

    警備班

     企画課  関東軍の作戦の必要にもとづき、

         細菌戦、毒ガス戦、防疫、給水などの計画を作成

      田部邦之助中佐(軍医学校卒)、

      二木秀雄技師

     経理課 経費の予算、配分、決算を担当。

         物資調達、賃金、物資供与などの業務  

       伊地治俊雄、佐藤??、堀田良一郎

     管理課  中村留八  

      建設班 永松喬 在田勉(技師)   

      工務班 小山博   

      動力班 在田勉   

      運輸班 増田??  

      電話班

     軍需課  鈴木??

     

    第1部 基礎研究

    部長 田部井和(技師・京都大学卒)   

       北川正隆、   

       菊池斉軍医少将(東京大学医学部卒ペストに関する研究者)   

       川島清(軍医大佐)      

      注:この第1部は世界でも一級の

        研究設備を持っていると言われた。        

        設備は細菌培養基製造用1トン容器-4缶        

        培養基滅菌用自閉缶14個

        (自閉缶には石井式細菌培養缶が各30個収容)        

        大型冷蔵庫1度に100個の培養器を収納できる。        

        石井式培養缶は一度に30キログラムの細菌

        (数にして3京と言われる)を製造

     第1課 チフス

      田部班 チフス研究 

       田部井和(技師・京都大学出身)

       古都ヨシオ 

     第2課 コレラ

      湊班 コレラ研究 秦正男、

         瀬戸川??(軍医少佐)

     第3課 生理・捕虜管理・凍傷研究・栄養失調の研究

       吉村寿人(京都大学出身、戦後 京都府立医科大学学長)

      吉田班 健康診断  吉田源二

      宮川班 レントゲン 宮川正

      栗秋班 薬理    栗秋要

      在田班 レントゲン 在田勉

    薬味班 薬理    草味正夫

    石井班 捕虜出入  石井利夫

    蓬田班 捕虜出入  蓬田三平

    志村班

    特別班 特設監獄  石川剛男

     第4課 赤痢

      江島班

      赤痢研究  江島真平(技師)

           藤井(軍医少佐)

     第5課 ペスト

      高橋班 ペスト研究 高橋正彦
                鎌田信雄

     第6課 病理

      石川班 病理研究 

        石川太刀雄丸

           京都大学出身、戦後金沢大学医学部部長

      岡本班 病理研究 岡本耕造  京都大学

     (第7課) 病理

     第8課 リケッチア・ウイルス 

      野口班  リケッチア・ノミ  野口圭一

        笠原四郎技師(北里研究所から、濾過性病原体に関する研究者)

        作山元治軍医少佐(慶応大学医学部卒)

     第9課 水棲昆虫

      田中班 昆虫研究  田中秀雄

      朝比奈正二郎

     第10課 血清    秋元寿恵美

      内海班 血清      内海薫

      小滝班 ツベルクリン  小滝

     第11課  結核・性病 二木秀雄(技師)

      肥之藤班 脾脱疽  肥之藤信三(脾脱疽の研究者)

      樋渡班           樋渡喜一

      降旗班   ペスト       降旗武民(軍医少佐)

      金沢班           金沢謙一

      大田班   脾脱疽(炭疽菌)  大田澄

      貴宝院班  天然痘       貴宝院秋雄(技師)

      二木班  結核       二木秀雄

     

    第2部 実施研究

    部長 早川工敏

       大田澄大佐   

       村上隆   

       碇常重軍医大佐

     第1課  

      航空班   平沢正欣  

      庶務     

      操縦班

     第2課  増田美保

      技術班   松尾光

      無線班   山田二郎

      気象班   山田兼務

      運輸班

     田中班(第3課?) 昆虫  

      田中英雄 技術中佐(理学士、蚤の研究者)    

        注:戦後 大阪市立医科大学長 

          私立兵庫医科大学で教鞭      

          約70人以上の人体実験 

          ネズミの習性に関する研究

          ネズミを使ってのノミ繁殖研究

       (班員)     

        田中淳雄軍医大尉(京都大学出身)     

        阿部徳光薬剤大尉     

        松田兵技中尉     

        米沢衛生中尉     

        浜崎曹長小山曹長     

        中井軍曹     

        渡辺伍長

     篠田班(第4課?) 昆虫(ハエとカの研究)   

        篠田統(技師)     

        八木沢班 植物菌    

        八木沢行正(技師)

     第5課  安達実験場  

        西田重衛

     

    第3部  防疫給水

    部長 今瀬一夫    

       江口豊潔(濾水機の研究者)    

       増田知貞薬剤少佐       

      注:正規の病院運営と給水が仕事だったが、  

        1944年からは細菌爆弾の製造をするようになった

     庶務課   中田秋市

     第1課 検索 佐藤??

     第2課 毒物検知 河島三徳(薬剤少佐)

     第3課  濾水機、弾筒製造窯

      濾水班

      給水班

      運輸班 越定男

      焼成班 鈴木重夫

      瀬越ケンイチ

         (ハバロフスクの証言では材料部第4課と証言)

      工作班 濾水機 小原定夫

          濾水機・弾筒製造窯

     

    第4部 細菌製造

    部長 川島清軍医少将

       注:1949年のハバロフスク裁判の

         川島清少将の証言によれば

          「・・・・第4部にあった生産能力

         及び全設備を最大限に利用すれば、

         この部が1ケ月にペスト菌300キログラム、

         或いはチフス菌800-900キログラム、

         炭素病菌500-700キログラム、

         コレラ菌1トン製造できたのである・・・・

       大田澄   

       大谷薬剤少将

     第1課  培養生産  

        鈴木啓之(軍医中佐)

        柄沢十三夫(軍医少佐・東京医専出身)

        軍属 尾関シゲオ

      培地班 班長 早川清    

        大量生産隊  小林隊(小林孝吉?)       

        技手    今野信次          

        篠塚良雄

     第2課  ペスト、脾脱疽 

        野口圭一

     第3課  乾燥菌、ワクチン   

        三谷恒夫軍医大尉  

        大西芳雄技師大尉  

        江田武一曹長

     第4課 ワクチン    

        小滝秀雄

      有田班 発疹チフスワクチン  

        有田正義 少佐

      植村班 ガス壊疽、脾脱疽   

        植村肇 大尉

    不明  朝比奈班  ワクチン製造  朝比奈正二郎

     

    教育部

    部長  

      園田太郎(軍医中佐)    

      西俊英(軍医中佐、孫呉支部長兼任)    

      永山太郎(軍医中佐)        

     部員 

        篠原鶴男             

        千田英男      

        大竹康二      

        溝渕俊美伍長

       注:1945年現在600名 

         主として衛生兵としての訓練が9ケ月行なわれた。  

         最初の3ケ月、個人教練、分隊教練、

         中隊教練等一般的な戦闘行動の基礎教育。  

         6ケ月は衛生部門に関する教育。  

         その後731部隊の各部門に配属された

     庶務課  佐藤実

     教育課  山下建次

     衛生兵

     炊事班

     診療所

     錬成隊

     少年隊 少年隊員を訓練し各所で作業をさせた

      隊長 田部邦之助軍医少佐  
         佐々木重吉(衛生少尉)
      隊員 阿部徳光    

         斉藤和勝    

         藪本勇    

         小笠原明    

         篠塚良雄    

         鎌田信雄    

         鶴田兼敏

     

    資材部

    部長 大谷章一(薬剤少将)

       柴野金吾
     庶務課 萩原博治

     第1課(薬品合成)  草味正夫    

      山口班(細菌弾) 山口一孝    

      堀口班(ガラス) 堀口鉄夫

     第2課(購買補給)  浜武正喜

     第3課(濾水機)    鈴木??

     第4課(倉庫)     萩村兼務

     第5課(兵器保管)   目黒??

     第6課(動物飼育)   石井三男

     

    診療部  

    部長 永山太郎軍医大佐(流行性出血熱の研究者)

    注:診療部といわれていますが、

      他の部と協力して生体実験をしています。

        他の部隊員の証言では

        診療部から来る時は

       看護婦が同行していたことで分かったそうです。

      看護婦  赤間まさ子

      ハルピン伝染病棟        

      平房診療室        

      家族診療所

    薬剤部

     薬理研究室     

        現地資源利用に関するさまざまな薬理研究を担当

     衛生材料補給課   

        機械、薬品、消耗品の生産および

        修理、備蓄、供給などの 業務を担当

     憲兵室  乙津一彦
          田坂千晴(憲兵曹長田坂具隆と同一か?)       

          酒井??

      保機隊

     

    731部隊の実際の関係書類では

    色々な氏名が出てきます。

    しかし所属が「科」のみで「部」が書いてありません。

    そこで氏名だけを書いてみます。

     

    ●論文「きい弾射撃に因る皮膚障害並一般臨床的症状観察」

     池田苗夫 軍医少佐

       注:加茂部隊、池田苗夫となっています。

         加茂部隊は731部隊の事です。

     

    ●論文「破傷風毒素並芽胞接種時に於ける筋(クロナキシ-)に就いて    

     池田苗夫 軍医少佐

     荒木三郎 陸軍技師

        注:恐らく診療部の所属と思われます。

     

    ●第5回石井部隊研究会記事   昭和15年4月24日

     第1科   佐藤大雄  陸軍軍医少佐

            村田良介  陸軍軍医中尉

            村上醇    陸軍軍医中尉

          村上仁男   陸軍軍医少尉

           山中太木   陸軍技師

     第2科    柴田進     陸軍軍医少尉

           笠木甲一  陸軍軍医少尉

           岡田子    陸軍軍医少尉

     第3科  小川透     陸軍軍医少尉

           児子廉夫   陸軍軍医少尉

           樋口正人   陸軍軍医少尉

     第4科  星野隆一   陸軍技師

           工藤益夫   陸軍薬剤中尉

     

    ●研究報告「満州に於ける流行性出血熱の発生並に分布(其の三)」

       所属不明  陸軍技手 楠本健二

     

    ●本部の平面図です。

    SCN_0090

     

     

     

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  • 莫大な予算と部隊の整備

    2020/08/06
    13:10

    [ 莫大な予算 ]
    1936年の予算は人件費に300万、

    各支部に20万から30万、

    実験研究費600万~1000万円以上。

    当時としては非常に莫大なものでした。

    当時石井が単に中佐だったことを思うと、

    異例中の異例だったことが分かります。

    貧乏だった軍部の予算を考えると

    国家の権力中枢が特別の予算を許可したと思われます。

    天皇の軍令によって実験開始や再編成がされたことを

    考えると天皇が直接予算を決めた可能性もあります。

     

    ●梶塚隆二元関東軍軍医部長の証言

     ハバロフスク裁判の尋問書から 1949年10月23日

     第731部隊は1936年の天皇裕仁の軍令により編成されました。・・・・

     この軍令は複写され全将校に示すため

     日本軍の全部隊に配布されました。

     私は部隊定員表を添えた軍令を閲覧して

     これに捺印しました。・・・・

     部隊の配置に関する事項は、

     関東軍司令部が自らこれを決定しました。

     部隊は1941年まで番号がなく、

     関東軍防疫給水部又は石井部隊とよばれていました。・・・・

     部隊は1941年関東軍司令官の命令により

     第731なる番号が付与されました。

     

    [ 防疫給水部隊の整備 ]
    それまで給水業務は軍の経理部が担当していましたが、

    1938年7月29日の「軍令陸甲第50号」によって

    軍医部の担当になりました。

    同時に同日18個の師団防疫給水部が編成され、

    中国にいた各師団に派遣されました。

    師団所属の防疫給水部隊は師団と共に戦地を移動します。

    しかしその時点で師団防疫給水部とは

    別に師団を束ねた軍の固定給水部が既に2つあり、

    それが満洲ハルビンと北京にあった石井四郎の部隊です。

    その固定部隊つまり石井部隊は

    翌年にかけて南京と広東にも追加設置されました。

     

    ●石井機関の講演会

       「支那事変に新設せられたる陸軍防疫給水機関運用の効果と

       将来戦に対する方針並に予防接種の効果に就いて」」

       1940年3月   報告2部通称99号  から

     ・・・・北支には石井大佐が事変勃発当初、

     支那側細菌工作の中心たりし、

     北京天壇中央防疫所を占拠して始め、

     現陸軍軍医学校教官菊池大佐を長とする

     北支那防疫給水部を、

     中支那南京中央病院には

     昭和14年5月中支那防疫給水部を、

     南支那には同年同月広東中山大学内に

     田中巌大佐を長とする南支那防疫給水部が新設さられ、

     各々支部、出張所を有して居ります。

     

    1940年(昭和15年)7月には、

    部隊名に給水を入れて「関東軍防疫給水部」となり、

    この頃から暗号名として「満州第731部隊」と言う

    呼び方がされるようになりました。

     

    ●年号を分かり易く整理してみます。

     1932(昭和7)年8月      

      陸軍軍医学校に防疫研究室設置

     1933(昭和8)年        

      ハルビン近郊背陰河に関東軍防疫班設置、

      名称加茂部隊、東郷部隊

      細菌戦研究が軍医学校の正式課題に

     1936(昭和11)年8月     

      関東軍防疫部、関東軍軍馬防疫廠編成

     1938(昭和13)年1月26日  

      「特移扱ニ関スル件」通牒
     1938(昭和13)6月30日 

      平房付近に特別軍事地域設定
     1938(昭和13)年-39年   

      関東軍防疫給水部平房に本部移転、

      名称東郷部隊

     1939(昭和14年)5月-10月  

      ノモンハン事件で細菌攻撃実施

     1939(昭和14年)       

      広東第8604部隊、南京第1644部隊編成

     1940(昭和15)年5月-6月     

      寧波に細菌攻撃 (HPレポ-ト 細菌戦参考)

     1940(昭和15)年8月1日   

      関東軍防疫給水部になる

     1940(昭和15)年12月2日  

      牡丹江・林口・孫呉・ハイラル支部設置

     1941(昭和16年)       

      常徳へ細菌攻撃  (HPレポ-ト 細菌戦参考)

     1941(昭和16)年8月1日   

      名称第731部隊に、

      関東軍軍馬防疫廠は第100部隊に

     

    [ 731部隊の人数 ]
    第731部隊を頂点とした細菌戦部隊には

    一体どの位の人数がいたのか

    現在でもはっきりとは分かりません。

    参考になる数字をいくつかあげてみます。

     

    ●1940年時点の固定防疫給水部の陣容(人数)

    上記石井機関の講演会同報告書より

    固定機関名将校(技師)下士官(技手)兵隊(雇員)合計
    関東軍防疫給水部22038612301836
    北支那防疫給水部104196510810
    中支那防疫給水部1202648951279
    南支那防疫給水部68132465665
    防疫研究室16属 22雇 270308
    合計 528100033704898

    注:シンガポ-ルの南方軍防疫給水部は

      1942年発足なのでまだ入っていません

     

    ●1982年4月に開かれた内閣委員会では

     榊委員が軍人恩給に関連して、

     731部隊について質問をしています。

     援護局業務第1課長の森山説明員が答弁しています。

     その内容を要約します。

        昭和20年1月1日現在で外地にあった部隊の所属名簿から

    将校133
    准士官、下士官、兵1152
    文官(技師、技手、属官)265
    恩給公務員でない雇傭人2009

     

    ●2003年9月、厚生労働省は川田悦子衆議院議員の

     質問に対して第731部隊の人員を公開しました。

     それによると1945年の敗戦直前で3560名が所属していました。

     内訳 

      軍人は 1344名

     役職 軍医、薬剤、技術、経理、衛生、歩兵、砲兵

        軍属は 2208名

       役職 技術、看護婦、通訳官、現場監督、防疫

        不明    8名


    [ 隊員の募集 ]
    初代部隊長になった石井四郎は

    母校(京都大学)の恩師、

    木村廉、清野謙次等のル-トや自ら各大学を回って、

    助教授クラスの優秀な医学者を集めました。

    豊富な研究費、思うままの研究テーマ・・・・

    エリ-ト意識と歯止めのない秘密研究でした。

    目的は「医学報国」でした。

     

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