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キーワード「偕行社」を含む投稿一覧

  • 批判的な軍人の記録

    2020/09/25
    11:40

    わずかですが日本軍の中には

    このような虐殺に批判的な記録も見られます。

     

    ● 歩兵第38連隊副官(注:第16師団) 児玉義雄 

        畝本正巳「証言による南京戦史」から 

     連隊の第一線が、南京城1~2キロ近くまで

     近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、                          

     団副官の声で、師団命令として

     「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と

     電話で伝えられた。

     私はこれは、とんでもないことだと、

     大きなショックを受けた。

     師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で

     好ましい御人柄と思っておりますが、

     この命令だけは何としても

     納得できないと思っております。

     参謀長以下参謀にも幾度か

     意見具申しましたが、

     採用するところとならず、

     その責任は私にあると存じます。

     部隊としては実に驚き、

     困却しましたが命令やむを得ず、

     各大隊に下達しましたが、

     各大隊からは、その後何ひとつ

     報告はありませんでした。

     激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。    

     

    ● 畝本正巳「証言による南京戦史」について

     旧軍人の畝本正己氏が自分の主張である

     南京大虐殺はなかった とを証明するために  

     偕行という雑誌で」証言による南京戦史」を

     連載し旧軍人からの証言を連載しました。  

     偕行は旧日本陸軍士官学校出身の

     将校の親睦団体「偕行社」の機関誌です。  

     旧軍人の集まりですから正確で、

     しかし軍国的な団体でしょう。  

     この連載は畝本氏の期待とは逆に

     事件が事実であったことを証明してしまいました。  

     そのため連載は途中で打ち切られました。  

     

    ● 独立攻城重砲兵第2大隊第1中隊・

         沢田正久中尉の証言 

         仙鶴門鎮での捕虜の状況について                         

     畝本正巳「証言による南京戦史」から      

     俘虜の数は約1万(戦場のことですから

     正確には数えておりませんが、

     約8千人以上おったと記憶します)でしたが、

     早速、軍司令部に報告したところ、

     「直ちに銃殺せよ」と言ってきたので

     拒否しましたら、

     「では中山門まで連れて来い」と命令されました。

     「それも不可能」と断ったら、

     やっと、「歩兵4個中隊を増援するから、

     一緒に中山門まで来い」ということになり、

     私も中山門まで同行しました。・・・・

     ちなみに、私が陸士を卒業する直前の

     昭和12年6月、市ケ谷の大講堂で

     飯沼守生徒隊長から記念講演

     「捕虜の取扱について」を聞き、

     捕虜は丁寧に取り扱わねばならないと

     教えられました。

     その生徒隊長は、いま、

     上海派遣軍の参謀長であります。

     卒業後わずか5ケ月の今日

     「直ちに銃殺せよ」とは、

     一体誰が決定し、誰が命令を下したのか。

     当時、私の胸が痛かった印象は、

     従軍中はもとより今日に至るまで、

     私の脳裡から離れません。    

     

    ● 北山与 日記 第16師団歩兵第20連隊       

     (12月13日)“中山門に向かって前進すべし

     ”さあ入城だ。

     直ちに整列、出発。・・・

     壕内に敗残兵がいたと

     大勢の人たちがヤイヤイ云っている。

     紅顔の美少年である。

     シャツは抗日救国連合会の

     署名入りのものを着ている。

     祖国中華民国を守れと随分苦労したろう。

     あまり皆んなが残酷な殺し方を

     しようとするので、見るに忍びず、

     僕が銃殺しようとするが、皆が承知しない。    

     戦友が無残な死に方をしたので

     唯の殺し方では虫が納まらぬのだと云っている。

     無理からぬこと。

     だが、あまりに感情的ではないだろうか?

     日本軍は正義の軍であり、

     同時に文化の軍でなければならない。

     同じ人を殺すにしてなるだけ苦しめずに

     一思いにバサリ殺ってやるのが、

     日本の武士道ではないだろうか。

     少しの抵抗もせず、

     ここを撃って殺してくれと喉を示して

     哀願するのを、よってたかって虐殺するのは、

     日本兵の恥である       

     (12月14日)午後2時、

     戦銃隊は紫金山の残敵掃討に行く。

     午後12時すぎ掃討から帰る。

     800名ほど武装解除したらしい。

     みんな一人残らず殺すらしい。

     敵兵もよもや殺されるなぞと思っていまい。

     学生が主力らしく

     大学生なぞたくさんいたという。

     生かしておけばずいぶん世界文化の発展に

     貢献するひともあるだろうが、

     惜しいものだ。

     尊い生命が何の躊躇も無く失われていく。

     戦争の酷烈な姿をつくづく感じる。

     

    このような事件を起こす一方で日本軍は空から大量のビラをばらまいて

    避難していた中国人を自宅に戻すようにしました。

     

    ● ビラの内容 

     各自の家庭に帰ってくる良民には

     食料と衣服を与える、

     日本は蒋介石によって

     踊らされている以外の全中国人の

     善き隣人であることを希望する

     

    このビラを信じた数千人の中国人は

    避難先から自宅に戻ったが、

    その人達もまた殺害・強姦の被害に

    遭ってしまいました。

     

    大晦日になると難民区の役員は

    日本大使館に呼び出され命令を受けました。

     

    ● 命令の内容 

     明日はお祝いを実施するから、

     各自自発的に間に合わせでよいから

     日本の旗を作って旗行列をやって貰いたい。

     内地の日本人は日本軍が

     こんなに歓迎されているニュ-ス映画を見て

     きっと喜ぶ事だろう   

     

    また13年3月になると

    東京放送局は南京の偽情報を

    世界中に流した。

     

    ● 放送の内容 

     中国人がこんなに沢山殺されたのは、

     不良中国人たちの仕業であり、

     私有財産の破壊者たちは

     既に逮捕され死刑を執行した。

     彼等の大部分は蒋介石陣営に

     不満の中国敗残兵であった。

     

    多くの日本人たちはこのような軍や政府による

    偽情報を信じていました。

    現在でもまだ信じている人が

    少なからずいるようです。

     

     

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  • 始めに

    2020/09/03
    13:14

    日本による中国侵略戦争中、

    中国の首都南京で多くの忌まわしい事件が

    あったことは世界的に周知の事実です。

    と書くと「あったと言う意見となかったと言う意見があり、

    真実はどうなの?」聞く人が最近増えています。

    広島、長崎に原爆投下があったという事実以上に

    南京の多くの事件は世界的には有名なことです。

    少なくとも数十年前には日本国内でも

    当然のこととして受け止められていました。

    ところが最近になって色々な屁理屈を並べて、

    「なかったこと」にしようとする人たちが現れました。

    日本でわずか数十人ですが

    何度も主張を繰り返すことで、

    「ウソも1000回言えば真実になる」とのとおり

    世間を惑わせています。

    戦中・戦後生まれで学校や自ら歴史を学ばなかった人、

    つまりきちんとした歴史観を持っていない人は

    「南京で事件があったって本当なの?」と

    信じてしまうのでしょう。

    こんなことでは、あと数十年たったら

    「日本がアメリカと戦争したって本当なの?」と

    言う時代が来るかもしれません。

    「目も前で殺人があっても、

    それを見ながら殺人はなかった」・・・・

    あまりに当然なことに、

    改めて証拠を示して反論をするのは変な話です。

    しかし日本人としてみっともないことなので

    細かく証拠を積み上げていこうと思います。

     

    南京で事件がなかったとする証拠(?)は一切示されていません。

    どんな証拠資料、正式文書、写真があっても

    すべて無視してでっち上げだと主張しているだけです。

    ただ虐殺の被害者の数にこだわっているだけです。

    東京大空襲、原爆の被害、沖縄戦の被害、

    水俣病などの被害、南洋の戦没者・・・・

    すべて人数は確定されていません。

    人数が確定されていないからといって、

    なかったことにはなりません。

    単に事実だけど人数が確定しないだけです。

     

    当然なことですが南京事件の証拠は山ほどあります。

    ◎日本国内の資料

      現在の日本政府の公式見解

      当時の日本政府の正式資料

      参加した日本軍の当時の正式記録

      日本兵の多くの手記

      日本軍兵士の将校の会「偕行社」の資料

      東京裁判の記録

    ◎当時の同盟国ドイツの資料

    ◎アメリカを始めとした

     諸外国のメディアの記録

    ◎被害地中国の資料

     

    これらをふまえて長くなりますが

    南京事件を書くことにします。

     

    以前、元自衛官だった70歳代の男性と話をしたとき、

    「南京では一人も捕虜や住民を殺害していない、

    殺ったのはゲリラつまり便衣兵」だと言われました。

    その人は航空自衛隊でしたが、

    2008年秋にも同じ航空自衛隊の幕僚長だった

    田母神氏の論文が問題になりました。

    その田母神氏は講演で南京事件に

    ついて次のように話をしています。

     

    ● 講和

    「我が愛すべき祖国日本」

      航空幕僚長 田母神空将 熊谷基地初度視察時

      2008年1月30日

     ・・・・南京大虐殺というのは、

     見た人が一人もいないのです。

     そういう話を聞いたことがあるという

     伝聞の証言だけです。

     普通の裁判では、

     伝聞の証言だけでは裁くことは出来ないのです。

     これは東京裁判でも

     証明することができなかったのです。

     南京大虐殺というのは

     1937年の12月の13日、

     松井石根大将という陸軍大将が

     当時中国国民党の首都であった

     南京に入っていったのです。

     南京は蒋介石隷下の

     唐生智という将軍が守っていたのです。

     松井大将は、

     南京をオ-プンシティにしなさい、

     要するに戦わないと宣言しなさい、

     どうせ日本軍が勝つから、

     そうすれば人が死ななくてすむから、

     と言ったけれども唐生智中国将軍が

     これを拒否したのです。

     後ろでコミンテルン、

     それに共産党とつながっていたのですけれども。

     それで松井大将は南京に入っていった。

     松井大将は隷下にちゃんと通達を出してから入っている。

     悪さをする兵隊がいたら厳重に取り締まれ、と。

     そこに孫文の墓があったのですけれども

     孫文の墓は中山陵といったらしいのですが、

     この孫文の墓というのは高台にあって要衝らしいのです。

     戦略の要衝だけれどもそこに立ち入ってはいけない、

     というような通達を出して入っていった。

     そういう人が虐殺を命ずるわけがないのです。・・・・・

     

    この講和の中身は、完全に事実と違いますが、

    自衛隊のトップにいる人がこの程度の

    歴史認識しかないのかと思うと驚きます。

    学問的(歴史学的)には南京で忌まわしい事件が

    発生した事は事実として決定した事です。

    日本に原爆が落とされた事や

    ナチスのガス室があったと

    同じような世界の定説です。

    東京裁判でも裁かれ、

    日本政府はそれを認めています。

    歴史学を研究する学者も人間ですから

    色々な考えや立場や感情や性格があります。

    しかしいわゆる右よりの研究者から左よりの研究者、

    また研究者ではありませんが

    日本の旧陸軍の将校の親睦会(偕行社)でさえ、

    100%、南京で虐殺があった事を認めています。

    ただ虐殺された被害者の人数に

    2万人から30万人と差があるのです。

    ところが活動家、教育者、文筆家、漫画家等

    ほんの一部の人たちが無かったと主張しています。

    目の前で殺人が起きても無かったと

    主張しているようなものです。

    元東大教授の藤岡信勝氏は

    「私は南京虐殺なかったと云う立場です。

    なかったのだからすべての資料はなかったのであり、

    写真はインチキである」の奇妙な趣旨を語っています。

    そしてマスコミは面白くその事を取り上げ

    出版物は大量に売られますから、

    若い人は混乱してしまうのです。

     

    一般に南京戦をめぐる事件では

    虐殺の問題が多く取り上げられています。

    勿論虐殺の問題は大きな問題です。

    しかし南京戦では虐殺以外でも

    明治以降の日本の軍隊が持つ大きな問題が露呈しています。

    特に昭和に入って軍部が

    政治をないがしろにして独走した体質もあります。

    虐殺以外にも無差別爆撃・強姦・掠奪・放火・阿片・・・・

    このような多くの問題を含み過ぎるのが南京事件です。

    それだけに無かったと主張したい人がいても

    当たり前なのかもしれません。

    南京で何人殺されたのか、

    何人レイプされたのか・・・・

    人数は問題ではありません。

    1000人の殺害でも10人のレイプでも犯罪です。

    沖縄戦や空襲や原爆の被害者ですら

    まだ人数は決定できません。

    人数が決まらないからといって

    無かった事にはならないのは当然な事です。

     

    南京事件を否定する人たちは、

    事件に該当する期間、場所、被害者等の条件を

    かなり狭くして事件を小さく見せようとします。

     例  

      期間  南京陥落した12月13日から

          17日の入城式時期までの5日間

      場所  南京城の中

      被害者 便衣兵(ゲリラ)のみで、

          民間人や捕虜は殺害していない

     

    私なりの解釈を先に述べておきます。

     期間  

      南京戦は第二次上海事変の延長です。      

      上海事変で不拡大方針をとっていた

      軍部が11月6日に急に作戦変更して     

      中国軍を追撃して南京を攻略したのです。   

      上海から南京に行くまででも

      忌まわしい事件が多発しています。   

      ですから時期としては

      上海戦から南京陥落後、

      完全に治安が安定するまでということになります。

     場所  

      南京は世界的な大都市です。

      南京の城内は大きな南京市の一部に過ぎません。   

      日本軍の多くの部隊は

      南京郊外で戦闘し掃蕩し駐屯しました。   

      したがって地域は南京市に限らず郊外まで含めます。   

      行政区としての南京は南京特別市と近郊6県を含みます。

     被害者 

      国際法上捕虜と民間人の殺害は禁止されています。

      そのため便衣兵(ゲリラ)は

      殺害してもよいという考えがあります。   

      これは無茶な考えです。 

       捕虜は全員便衣兵だというのは、日本軍の考えです。   

      便衣兵とは平服(民間人の服装)を着たゲリラの事です。   

      当時南京に便衣兵がいたかどうかはまだ分かっていません。   

      多くの日本兵の証言にありますが、

      軍服や武器を捨てて逃げた中国兵が多かったようです。   

      これはゲリラではなく

      敗残兵で捕虜の扱いを受けるべきでしょう。   

      それ以前に、日本は戦争を支那事変と呼び戦争とせず、   

      戦争でないから国際法の制約を受けず、   

      制約を受けないから、

      捕虜でも民間人でも皆殺害したのです。

     事件の内容   

      虐殺だけが大きく取り上げられますが、   

      私が南京虐殺と言わずに南京事件というのは、

      それ以外にも多くの事件が起こったからです。   

      勿論虐殺が大変な事である事は言うまでもありません。 

       虐殺以外にも毒ガス使用、無差別都市空爆、

      大量強姦、放火、略奪、麻薬・・・・等、   

      どれを取ってもいわゆる

      天皇の軍隊にあるまじき事件を起こしています。

     

    南京事件が無かったと主張する人たちは、

    中国側の資料は信用できないと言います。

    そこでなるべく中国側の資料は避けて、

    日本で発見された資料、

    欧米の資料を中心に説明しようと思います。

    勿論中国側資料でも歴史的資料としてに

    認められたもの或いは格式のある研究者の資料は使います。

     

    次は第二次上海事変の起きる前から書き始めます。

     

     

     

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  • 南京事件の事実は確定している

    2020/07/05
    10:58

    学問的には南京事件の事実は確定した事です。

    どんなに確定した事でも、なかったと主張している人が数人いる。

    ただそれだけの事です。

    しかしその数人の声がとても大きく、新聞や雑誌などの手段を持っているので

    本屋さんに本が一杯並ぶのです。

    ですから若い人は、ついそうなのかなあ~と思ってしまうのです。

    学者で言えば秦郁彦先生と言う方、私から見るとかなり右よりな研究者ですが、

    それでも約2万人の殺害があった事を認めています。

    研究者では一番少ない数字でしょう。

    又、旧日本陸軍の将校クラブ、偕行社と言います。

    今でもあります。

    皆、かなりご高齢なので確か資料を靖国神社の資料室に移したと思います。

    その偕行社では、世間であまり南京大虐殺と騒ぐので、

    機関紙「偕行」で南京事件に関するアンケ-ト調査をしています。

    会員向けの調査と雑誌連載です。

    対象は旧陸軍の将校ですから一番正確ですね。

    「証言による南京戦史」と言う連載は1984年4月号から85年2月号まで連載されました。

    ところが当初の目的とは逆に虐殺の証言がどんどん出てきてしまったのでした。

    その結果、連載終了翌月の3月号で書くはずだった責任者畝本氏の総括は中止になり

    編集者が代わりに総括を書いています。

    ●総括的考察

     ・・・・中国人民には深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった・・・・

    そして虐殺の人数を3000人~6000人(畝本氏)、13000人(板倉由明氏)として機関紙の連載は終了しました。

     

    政府レベルでも2006年に日中間で歴史共同研究がスタ-トしました。

    当時の安倍晋三総理と中国の胡錦濤国家主席の合意でスタートしたのです。

    日本側の座長は北岡伸一東大教授。

    中国側座長は歩兵社会科学院近代史研究所長です。

    研究会は2010年1月31日に共同研究報告書を発表しました。

    その報告書の日本側論文です。

     

    ●日中歴史共同研究

     ・・・・昭和12年12月10日、日本軍は南京総攻撃を開始し、

     最初の部隊は12日から城壁を突破して城内に進入した。

     翌13日、南京を占領した。・・・・

     中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、

     南京陥落後における城内侵入部隊を想定して

     「軍紀風紀を特に厳密にし」という厳格な規制策(南京攻略要領)を通達していた。

     しかし日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、市民に対して

     集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、掠奪や放火も頻発した。

     日本軍による虐殺行為の犠牲者は、

     極東国際軍事裁判における判決では20万人以上

     (松井石根司令官に対する判決文では10万人以上)、

     1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、

     中国の見解は後者の判決に依拠している。

     一方、日本側の研究では20万人を上限として、

     4万人、2万人などさまざまな推計がなされている。

     犠牲者数に諸説がある背景には

     虐殺の定義、対象とする地域・期間・埋葬記録・人口統計など

     資料に対する検証の相違が存在している。

     宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、

     日本側に、俘虜の取り扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、

     また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、

     食料や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、

     略奪行為が生起し、軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている。

     

    これは国家同士の正式な共同研究です。

    ですから南京事件があったということは日本国家の正式な見解と言って良いでしょう。

    国家がきちんと認めたことを公の地位にある人が否定する事はおかしい事です。

    ドイツでは犯罪になります。

    まあ友人と一杯飲みながら自説を展開するのは良いでしょうがね!

     

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