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キーワード「帝銀事件」を含む投稿一覧

  • 帝銀事件

    2020/08/14
    16:38

    闇の部分を象徴する事件に戦後

    昭和23年1

    月に起きた帝銀事件があります。

    帝国銀行椎名町支店で青酸化合物によって

    12人が殺害され現金が奪われた事件です。

    犯人として逮捕された画家・平沢貞通氏は

    死刑宣告を受けながら死刑執行されずに

    95歳で刑務所内で死亡しました。

    何故死刑執行されなかったのか、

    何故捜査が途中でうやむやになったのか、

    そして平沢が本当に犯人なのかどうかの

    疑問が今でもささやかれています。

    実は捜査当局は軍の防疫給水部つまり

    731部隊関係者を調査していたのです。

    そして旧軍の調査に入ったところで

    捜査は打ち切りになって平沢が逮捕されたのです。

    アメリカが731部隊を免責するため、

    GHQが捜査当局に

    圧力をかけたのではないかという噂もあります。


    実は当時捜査一課の第一係長甲斐文助は、

    4月27日に石井四郎に会っています。

    その時石井はこう話したと言います。

    「おれの部下に犯人がいるような気がする。

    15年、20年たってもおれの力で軍の機密は厳格であるので、

    なかなか本当のことは言わぬだろう・・・」

    真相は今でも闇の中です。

     

    甲斐文助は11冊の日記を残しています。

    その中に別巻「秘」と記された旧軍秘密機関一覧表があります。

    完璧ではないとしても、一介の捜査係長が

    軍の闇の部分をここまで調べ上げたことは驚きです。

    もしかしたらここまで調べ上げ、

    パンドラの箱を開きそうになったので

    圧力がかかったのかもしれません。

     

    一覧表を掲載します。

    ●旧軍秘密機関一覧表  

       〇印は関係深きもの  

       海軍関係は未着手なるも考慮を要す

     参謀本部謀略戦特務機関
     第二造兵廠「板橋」青酸ガス弾
     第一造兵廠「広島」 青酸ガス製造
     衛生材料廠青酸ガスの貯蔵
     陸軍獣医学校軍馬軍犬防疫毒物研究
     歩兵学校マスク関係
     砲兵学校弾丸内充填研究
     工兵学校防空壕
    〇習志野学校ガスの防禦並使用方法
     陸軍病院 
    〇憲兵隊個人謀略
    〇南方軍防疫給水部松井蔚関係(注)
    〇1644部隊「中支軍防疫給水部」防疫給水細菌謀略
    〇731部隊「関東軍防疫給水部」防疫給水細菌謀略
     習志野学校研究部青酸ガス研究
     516部隊 満洲チチハル青酸ガス実施
     526部隊満洲フラルギ青酸ガス実施 
     100部隊関東軍軍馬防疫廠
     陸軍軍医学校防疫給水部員養成
     中野学校特務機関員養成
     86部隊特設憲兵隊
     陸軍糧秣廠青酸解毒剤(ハイポ)研究
     参謀本部二部情報謀略
     兵器行政本部青酸ガス並毒物兵器の取り扱い
     陸軍技術本部第一研究所火砲弾薬
     陸軍技術本部第三研究所工兵器材
    〇陸軍技術本部第六研究所青酸ガス研究
     陸軍技術本部第八研究所防毒科学材料の研究防毒科学材料の研究
    〇陸軍技術本部第九研究所毒物の研究
     東京憲兵隊特設本部中野実験隊「憲兵」毒物の研究
     海軍軍医学校東京築地
     海軍造兵廠神奈川県平塚

     

    帝銀事件の前年安田銀行荏原支店で

    似たような事件がありました。

    その事件は未遂に終わったが、

    その時残された名刺は

    厚生技官松井蔚(しげる)となっていました。

    実在の人物で無罪でしたが、

    松井はかって南方軍防疫給水部(岡9420部隊)に

    勤務していたことから、

    捜査が秘密組織に進んでいったのです。

     

    戦後まもなく調べた努力に感心しますが、

    それよりも日本軍はこんなに

    多くの秘密の部分を持っていたのかと驚かされます。

    これ以外にもあるかもしれませんが、

    全部ではないにしても多くの組織が

    細菌や毒ガスに関係していたことは事実です。

     

     

    つづきを読む

  • 陸軍登戸研究所

    2020/08/12
    12:24

    日本陸軍には陸軍技術本部と

    陸軍科学研究所と言う研究機関がありました。

    1937年11月に淀橋区(現新宿区)戸山ケ原にあった

    陸軍科学研究所の一部を

    現在の川崎市多摩区生田に移転した事から

    登戸研究所はスタ-トしました。

    1941年には組織が整備され

    陸軍技術本部に新たに7つの研究所ができ、

    登戸研究所は陸軍技術本部第9研究所となりました。

    注:陸軍だけではなく海軍も

      特殊研究をしていました。

      神奈川県平塚にあった

      海軍技術研究所化学実験部で

      布とゴムを使った風船爆弾を作りましたが

      実用化はされませんでした。

        (元工員志村泰一氏の手記から)

     

    今回のテ-マとは少し外れるかもしれませんが、

    南京の栄1644部隊と協力して

    生体実験を行っていますので、

    関連として少し書いてみます。

    登戸研究所は陸軍に沢山ある

    研究分野の中でも特に公には出来ない特殊研究

    つまり謀略・秘密戦の研究を担当していました。


    [組織]  第2科員、伴繁雄の記憶による

    所長 篠田鐐中将 工学博士

    第1科 科長 草葉季喜少将

     庶務班 中本少尉

     第1班 武田輝彦少佐 

      風船爆弾、宣伝用自動車

     第2班 高野泰秋少佐 

      特殊無線機、ラジオゾンデ

     第3班 笹田助三郎技師 

      怪力電波、殺人光宣

     第4班 大槻俊朗少佐  人工雷

    第2科 科長 山田桜大佐 工学博士

     庶務班 瀧脇重信大尉

     第1班 伴繁雄少佐   

       科学的秘密通信法、防諜器材、謀略兵器、

       憲兵科学装備器材、遊撃部隊兵器、ほか

     第2班 村上忠雄少佐  

      毒物合成、え号剤

     第3班 土方博少佐   

      毒物謀略兵器、耐水・耐風マッチほか

     第4班 黒田朝太郎中尉 

      対動物謀略兵器ほか

     第5班 丸山政雄少佐  

      諜者用カメラ、超縮写法、複写装置ほか

     第6班 池田義夫少佐  

      対植物謀略兵器ほか 

     第7班 久葉昇少佐   

      対動物謀略兵器ほか

    第3科 科長 山本憲蔵大佐

     北方班 伊藤覚太郎技師 

      用紙製造ほか 

     中央班 岡田正敬少佐  

      分析、鑑識、印刷インキ

     南方班 川原廣眞少佐  

      製版、印刷

    第4科 科長 畑尾正央大佐

      第1科、第2科研究品の製造、補給、指導

     夏目五十男少佐


    組織一覧表には仕事の内容が書いてありますが、

    実際にどのような研究をしていたのか拾い出して見ます。

    研究内容を大きくまとめると下記のようになります。

    科や班別には判りませんので全体としての内容です。

     ◎電波兵器並びに風船爆弾に関する研究

     ◎防諜、諜報、謀略兵器、器材に関する研究

     ◎経済謀略(主として贋造紙幣)の研究と印刷製造

     
    もう少し具体的な研究内容は。

    ●「ち」号研究  

     極超短波を利用した高性能レ-ダ-の開発

     佐竹金次大尉、松平頼明技師、幾島英技手

    ●「く」号研究  

     電波による破壊殺傷兵器の研究

     松山直樹大尉、笹田助三郎技師、山田原蔵技手

    注:元工員和田一夫の話から

      「巨大真空管から電波を引き出し敵を殺傷する。

         実験ではネズミの殺傷には成功した」

    ●大型真空管製作研究

       曽根有技手、宇津木寅三技手

    ●雷の研究  

     雷の現象を兵器に利用する研究

     村岡勝大尉、大槻俊郎技師

    ●「ふ」号研究

     風船爆弾による米本土攻撃研究と実施

     風船爆弾は和紙をこんにゃく糊で貼り合わせ、

     直径10メ-トルもの風船を作り、

     水素を充填し、風船の下に爆弾を吊るした兵器です。

     1944年秋から製造開始し、太平洋側の3基地から

     約9300個を偏西風に乗せてアメリカに向けて飛ばしました。

     約300個がアメリカに届き6人が死亡したと言われています。

     1945年3月には製造中止になりました。

     製造は劇場のように屋根の高い建物が選ばれ、

     全国の20都道府県にまたがり、

     現場の作業には20万人以上の

     女子学生が動員されたといわれています。

     東京では東京宝塚劇場、旧国技館、

     日本劇場、国際劇場が工場だったといわれています。

      注:風船爆弾は海軍でも第四科研究室で開発していました。

        試作品のテストは

        1943年11月に小田原の酒匂川でおこなわれました。

      2回目の実験は千葉県の一宮海岸、3回目は大分で行われ、

      1944年4月には中国・青島で行われました。

      海軍の実験デ-タ-は全て陸軍に提供されてとなっています。

    *殺傷謀略器材(爆破及び殺傷器材)

    パテ状の新爆薬  偽装爆薬(缶詰型、レンガ型、石炭型、チュ-ブ型、トランク型、

    梱包箱型、帯型、磁石型・・・) 汽車、電車、自動車の運行を妨害する各種妨害用具

    *放火謀略器材 証拠を残さずに放火する器材 (石鹸型焼夷剤、撒布型焼夷缶、自然発火性焼夷剤・・・)

    殺傷器材 特殊拳銃 万年筆型、ステッキ型、・・・

    ●毒物生物兵器の研究

     毒草系薬物 トリカブト、毒ニンジン、ニコチン・・・

     毒蛇系薬物 ハブ、ガラガラ蛇、コブラ、アマガサ蛇・・・・

     魚毒系薬物 フグ・・・・ 

     無機系毒物 アヒサン、ダリウム、シアン化合物、

           塩素ガス、一酸化炭素・・・・

     有機系毒物 ホスゲン、イペリット、マスタ-ドガス、

           アセトン・シアン・ヒドリン

    ●偽札製造

     1938年に陸軍省参謀本部は

     対支経済謀略実施計画を作成し

     「杉工作」と称して偽札を大量に生産しました。

     作られた偽札は敗戦までに約40億円が印刷され、

     中国で流通したのは25億円と言われています。

     細菌戦部隊とは直接関係はありませんが、

     参考までに偽札製造の陸軍の実施要領を書いておきます。

     ◎実施要領

      1. 本工作の秘匿名を「杉工作」と称し、

       偽札の製作は登戸研究所において担当し、  

       必要に応じ大臣の許可を得て

       民間工場の全部または

       一部を利用することができる。

      2. 登戸研究所において製作する

       謀略資材に関する命令は、  

       陸軍省および参謀本部担当者において協議の上、

       直接登戸研究所長に伝達するものとする。

      3. 支那における本謀略の実施機関を

       松機関と称し、本部を上海に置き、  

       支部又は出張所を対敵の要衝地域

       並びに情報収集に適したる地点に置くことが出来る。

         注:松機関(機関長岡田少佐)はアヘンの密売工作をしていた。

           その実務は阪田誠盛が仕切り、阪田機関と呼ばれた

           更に里見甫に引き継がれます

      4. 5. 6. 省略 

      7. 「松機関」は機関の経費として

       送付した法幣の2割を自由に使用することが出来る。

    注:法幣は中国重慶政府の通貨で

      日本では主としてこの偽札を作った

     

    そこでいよいよ南京の細菌戦部隊

    栄1644部隊との共同作業です。

    元登戸研究所所員の和田一夫氏の回顧録からです。

     

    ●悪魔の人体実験

     1941年6月上旬、参謀本部の命令により

     第2科長畑尾正央中佐(後、大佐)を長として

     伴繁雄技師(後、少佐)、土方博技師(後、少佐)と

     研究者、技術者計6名は

     研究所が開発した各種毒物の人体実験を行うため

     中国南京に出張した。

     この実験は前もって篠田研究所長が

     関東軍防疫給水部(関東軍731部隊)の

     石井四郎少将(後、中将)に協力を依頼しその結果、

     実験所を南京防疫給水部(秘匿名栄1644部隊・通称多摩部隊)とし、

     実験期間は約1週間、

     実験者は同防疫給水部軍医とし、登戸研究所員が立会い、

     実験対象は中国人捕虜または

     一般死刑囚役15~16名(30名との説もある)とすることで

     合意を得ていた。

     6月17日、登戸研究所員は長崎港を出発、

     海路上海を経て南京に到着した。

     

    この実験について伴技師は、

    自著「陸軍登戸研究所の真実」の中で、

    次のように書いています。

     青酸ニトリ-ルを中心に、

     致死量の決定、症状の観察、青酸カリとの比較などを、

     経口と注射の2方法で実施したこと、

     実験結果は予想した通りであったことを述べている。

     注射が最もよく効果を現し、

     皮下注射の良かったことも分かった。

     青酸ニトリ-ルの致死量は

     大体1ccで、2~3分で微効が現れ、30分で完全に死に至った。

     しかし体質・性別・年令などにより死亡までに

     2,3時間から10数時間を要した例もあり、

     時間の特定は出来なかった。

     

    この実験について毎日新聞1981年12月23日付は、

    この実験に参加した元登戸研究所職員

    6人の告白として次の記事を掲載しました。

     

    ●毎日新聞の記事から

     1644部隊の人体実験は、

     旧陸軍第9研究所(登戸研究所、川崎市)の技術将校など

      7人が、昭和16年同部隊に派遣され、

     各種青酸性毒物やヘビ毒、炭疽菌などの細菌と

     手に入る毒物のすべてを使って

     中国人捕虜約30人を対象に死ぬまで実験を繰り返した。

     実験には同部隊の軍医2人も加わり

     「日本人の医者だ、薬で身体を治してやる」と騙したと言う。

     実験の模様は「密室内で捕虜を椅子に縛りつけ、

     青酸ガスを吸わせた」

     「ベットに寝かせた捕虜に液体の青酸を注射するなど行った。

     捕虜は瞬間に痙攣を起こし、

     グッタリしたが完全死には数分かかった」

     また伴少佐は、戦後世間を騒がせた

     「帝銀椎名町支店の毒殺事件」に関連し、

     1948年4月26日付け警視庁捜査第1課

     甲斐係長の捜査手記第5巻に先述の証言のほか、

     1941年5月22日から南京病院(多摩部隊本部)で

     佐藤少佐の指揮で人体実験をしたことを証言している。

     はじめは嫌であったが慣れると一つの趣味になった。

     注射は万年筆型でキャップを取ると針がでる。

     その針で着物の上から刺すような仕組みになっている。

     これは主としてハブの毒で、

     一呼吸で倒れる(針を抜かない内に倒れる)

     死体はすぐに解剖して研究の材料にした。・・・・・

     

    敗戦時に陸軍省軍事課出した通達で

    全てが闇に葬り去られました。

     

    ●陸軍省特殊研究処理要領  原文カナ

     「方針」

      敵に証拠を得られることを不利とする特殊研究は全て

      証拠を隠滅する如く至急処置す

     「実施要領」

      ふ号及び登戸関係は兵本(注:兵器行政本部)、

      草刈中佐に要旨を伝達し直ちに処置す

    15日3時30分

    以下省略

     

     

    つづきを読む

  • 岡9420部隊(威9420部隊)

    2020/08/12
    9:06

    正式のシンガポ-ル陥落は、

    1942年2月15日との事ですが、

    2月12日には防疫給水部隊の先遣隊は上陸していました。

    部隊としては4月1日(3月26日と言う資料もある)に、

    軍令で細菌戦を準備するための

    防疫給水部として正式に編成されました。

    そして5月5日南京で編成され、

    天皇に上奏の上6月20日に

    部隊はシンガポ-ルに正式上陸しました。


    当初の人数は200人で、後では600人になりました。

    シンガポ-ルのエドワ-ド7世医科大学病院の

    一角を接収して本部を設置しました。

    この部隊もやはり細菌戦目的の部隊で、

    ペストノミを大量に生産していましたが、

    実際に細菌戦を行なったかどうかはよく分かっていません。

    但し1945年6月に米国蝶報機関が

    マッカ-サ-司令官に提出した「日本の秘密戦」には、

    日本の南方軍でマラリヤの人体実験がおこなわれたと

    報告されていますので、

    細菌戦を行った可能性はあります。

    松村知勝関東軍参謀副長の証言では

    「太平洋諸地域における戦況悪化で、

    アメリカ、イギリス、その他の国々に対して

    731部隊の細菌兵器が使用される筈で・・・・」

    とありますが、間に合わずに敗戦を迎えたと言われています。

     

    「組織」

    部隊長 北川正隆軍医大佐(1944年死亡)

        羽山良雄軍医大佐(後に少将)

    総務科(庶務)
     総務部長 内藤良一軍医少佐

          731部隊で乾燥血漿の研究をした後、

          東京の軍医学校の教官をしていた。

          戦後ミドリ十字を創設した。

    資材科

    経理課

    検疫科

    細菌研究班

     所属は不明ですが勤務していた部隊員

      市川利一  731部隊から転任

      貴法院秋雄 京都大学出身 731部隊では天然痘の研究

      早川正敏軍医中尉

    松井蔚 戦後の帝銀事件で犯人はこの名前の名刺を使っていた

      大快良明 軍属

      柴田 軍属

      岡野 軍属

      高具安三郎 衛生大尉

      星子 衛生曹長

      村井 獣医

      稲葉 通訳

    支部

     マニラ

      支部長 軍医少佐 帆刈喜四郎

     ジャカルタ

     泰緬(タイ・ビルマ)国境

     バンドン

     

    「部隊の見取り図」

    SCN_0095 細菌部隊シンガポ-ル図

     

    ペストノミを大量に生産した部隊と書きましたが、

    ペストは主としてネズミを介して感染するので、ネ

    ズミが多い南方は研究に有利になります。

    もともとペストが多ければ、

    細菌戦をしてもばれないので、

    このシガポ-ルの部隊でも研究は進んでいました。

     

    1943年4月に参謀本部で開かれた

    「ホ号打合」の会合の内容を業務日誌から見てみます。

     

    ●金原節三大佐(陸軍省医務局医事課)の業務日記から

    南方軍、

     イ、昨年9月より研究を開始す。

       ケオピス(注:Keopisネズミの事)

       粟南方において発育良好なり。

       繁殖力も大なり。

     ロ、南方では山稜地区に肺Pestあり

       (気温15℃)、海岸には腺Pestあり。

       一般に四季を通じ散発しあり。

     ハ、南方のKeopisは硬度大なり。

       熱に対する抵抗も強し。

       アスファルト道路(45℃)では1分で死亡するも、

       草原その他では2日以上生存す。

     ニ、原法。使用場所小。使用人、餅麦。増殖率小 

       改良第一法。南方に適。

       改良第二法。保存適。

     ホ、捕鼠は捕鼠器の約1割弱

       (南方1年を通じ同率で捕獲し得)。

       北方は時季により異なる。

     ヘ、南方では気候の干渉で四季増殖に適す。

       雨と日光とを避ければ到る処飼育場となる。

     ト、北方より輸入の鼠は馴化に1ケ月を要す。

     チ、種餅を1回輪入すれば、あとは現地自活も可能なり。

     リ、人員265名を要す。50kgの生産可能なり。


    ●真田業務日記(参謀本部第一部長真田穣一郎少将)

          1943年11月28日 原文カナ

     南方軍、「ホ号(細菌戦)関係、あわ(ノミ)の

     生産は馬来(マレ-)の精神病院のあとで

     黒もち(ネズミ)を使い生産す。

    注:タンポウと言う町のプルマイ病院

     黒モチは日(月?)量2.5疋とれる

     一応の目途あるものの如之

     今93、-所有、(ジャバ)が一番繁殖大-、

     黒モチでpX(ペストノミ)を作る。

     pX(ペストノミ)30kgに回復するには来2月までかかる

     pX仕上げ完成には更に暇かかる

     「マレイ」の支部はpXの生産に専念、

     運用は他より部隊をよこされ度

     

    証言内容からも見てみます。

     

    ●大快良明  1917年生れ 1993年の聞き取り、

         及び1996年の庄和高校での講演禄から

     ・・・・昭和19年になり、

     大本営が「細菌戦用にノミを5トン製造せよ」

     という命令を出したと聞きました。

     そのために石油缶を5万個集めようとしたといいます・・・・

     10月に入って大本営から南方軍防疫給水部に

     “衛生材料宰領”と言う命令が出ました。

     衛生材料とはネズミの事です。

     私は同じ軍属の柴田と岡野の3名で

     ネズミ輸送の命令を受けました。

     飛行機に乗り、サイゴン、台北に1泊ずつして、

     10月24日に東京の立川飛行場に到着しました。

     そして新宿の陸軍軍医学校に行きました。

     休暇をもらい・・・・

     帰途につくために立川飛行場に行ったときには、

     すでに731部隊の専用機3機、

     これは97Ⅱ式重爆撃機でしたが,

     これにネズミ数万匹が積み込まれていました・・・・

     ネズミは縦40センチ、横30センチ、高さ30センチ、

     ぐらいの金網の篭にギュウギュウ詰めに入れられて、

     重爆の胴体部分に積み込まれたわけです。

     1機に5000匹ぐらい、

     3機で15000匹を運びました・・・・

     結局シンガポ-ルに着いたときには、

     3分の1は死んでいました。

     こうして運んできたネズミは、

     本部とジョホ-ルバルの梅岡部隊、

     クアラピラの飼育場にトラックで運んでいきました。

     このようにしてわたしは

     10月から11月にかけて2回のネズミ輸送に従事しました。

     計画では5万匹を輸送するつもりでしたが、

     結果は3万匹ぐらいだったわけです。

     これらのネズミは、

     埼玉県などの農家に依頼して生産していました。

     本部に戻ってからは春日部から

     空輸したネズミを飼育するので、

     マレ-半島中央にある小さな街

     クアラピラと言う所の英国の中学校を接収し、

     ネズミ数万匹を飼育したのです。

     私は動物の餌を作るための

     大きな山を開墾し、農園を始めました。

     クアラピラ飼育場は隊長が

     衛生大尉高具安三郎、衛生曹長星子、

     飼育係りは獣医の村井技手と

     稲葉通訳技手等でした。・・・

     南方最前線で米国本土攻撃のため、

     あらゆる努力と準備をしていたのでした。・・・・

     ノミを養う石油缶などを5万個位購入して

     グランドに積んでありました。

     ネズミを使って生産した細菌は、

     アメリカ軍に対して使う予定でした・・・・

     結局、南方軍防疫給水部隊は

     細菌戦の準備はしていたものの、

     私が知っている限りでは

     実戦に使用したことはなかったのではないかと思います・・・・


    ●オツマン・ウオク

    17歳の頃、岡9420部隊で2年以上勤務

    戦後スンガパ-ル社会問題大臣

     実験場で働いていた中国人、

     インド人、マレ-人の少年7人は、

     ネズミにたかっているノミを捕らえて

     容器に入れる役割を与えられていた。

     日本人およそ40人がシンガポ-ル中の

     ネズミを捜しまわり、獲物を実験場に持込んだ。

     次にネズミにクロロホルム麻酔をかけ、

     少年たちがピンセットでノミを集めた。

     その後の作業は日本人スタッフが引き継いだ。・・・・

     ペスト菌に汚染されたノミを、

     砂、馬の乾燥血液、未確認の化学物質を入れた

     石油缶に移し、およそ2週間繁殖させた。

     繁殖したペスト汚染ノミは、

     シンガポ-ルから出されて、

     タイに送られたとのことです。


    ● 上記 オツマン氏新聞のインタビュ-記事 

    (上記内容と重複している可能性もあります)

    シンガポ-ルのストレ-ツ・タイムス1991年9月19日

     1942年半ば、当時17歳だったオツマン氏は

     職探し中に叔父に紹介され、

     市内のカレッジ・ロ-ドにある

     古い医科大学の建物の中の、

     秘密の研究所に勤めることになった。

     そこでは、ネズミにペスト菌が注入され、

     そのネズミにノミをたからせて

     ペストノミを「生産」する作業に従事させられていた。

     不注意から、ネズミに指をかまれた日本人職員が発病した例を挙げ、

     同所が細菌戦準備のための組織だったことは

     間違いないとしている。

     

    こうした点について同誌の記者は松村高夫

    慶応大学教授に照会して、確認したと書かれている。

     

    ここまで731を初めとした

    日本の5つの細菌戦部隊について個別に書きました。

    次に全体として、今まで述べなかった細菌戦に付いて書きます。

     

    つづきを読む

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