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キーワード「庄和高校」を含む投稿一覧

  • 実験動物の供給基地埼玉県春日部周辺

    2020/08/16
    13:16

    戦争中細菌戦用の実験小動物を大量に飼育して

    軍の研究所、100部隊、731部隊などの

    細菌戦部隊に供給していたのは埼玉県です。

    春日部周辺の農家が副業として動物の飼育をしていました。

    その数4000軒とも言われます。

    陸軍省医務局医事課の金原節三大佐の業務日誌には

    43年の段階ですでに埼玉で年間47万匹、

    さらに飼料を補給すれば20万増産可能・・・・と

    書かれています。

    庄和高校の生徒たちが周辺の農家で

    聞き取り調査をした結果では、

    1軒で5箱(20~40匹)ぐらい飼っていたようですし、

    庄和町内だけで仲買をしていた人が23人

    (名前が確認できた人だけで)いたそうです。

    ネズミの価格は1940年以前は1銭ぐらいだったものが、

    45年になるとラット1円、マウス10銭にまでなったそうです。

    飼育された動物は立川の飛行場から

    各地の細菌部隊に空輸されました。

    支払は当初防疫給水部が直接担当していましたが、

    扱い量が多くなると陸軍省経理局が

    「委任支払」というかたちで業者に

    代金を支払うようになりました。

    敗戦後はアメリカ軍の第406部隊に

    引き続き動物の供給をしています。

    朝鮮戦争の細菌使用に役立ったと思われます。

    農家から小動物を集めて軍に納入する業者もいました。

    その内の一人春日部の試験動物集荷業者小澤市三郎は、

    戦後は連合軍総司令部御用達の看板をかかげ、

    米軍406部隊に動物の供給を続けていました。

    朝鮮戦争が始まると需要が増大し、

    小沢は集荷所を

    埼玉県販売農協連合会医科学試験動物取扱所と

    組織替えし、その所長となりました。

    同時に日本実験動物総合研究所

    (731部隊の小林孝吉が勤務した)を併設して

    新しい動物の飼育も始めました。

    戦争中はラッテマウスが中心でしたが、

    アメリカ軍の需要に答えるため、

    モルモット、ハムスタ-、兎、猫、鶏、亀、

    がま蛙、カマキリ、山羊まで飼育したといわれています。

    当時仲買人が不当な利益を上げているとの告発が

    農家からGHQにあり、GHQ埼玉地方経済調査庁調査をしました。

    その報告書で当時の状況が分かります。

     

    ●埼玉県に於ける医科学試験用マウス種、

            20日鼠の飼育状況実態調査

     1. 飼育状況

      埼玉県下における農家の副業として

      南埼玉、北埼玉、北葛飾の3郡及び

      足立、入間両郡の1部計2市16町93ケ村に亘って

      飼育されている。

      飼育戸数 6038戸  

      飼育頭数 81400匹

     2.集荷体系

      右の表(略)の体系を以って連合軍406部隊へは

      毎週月曜木曜の2回に亘って納入している。

      其の他予研伝研帝大等に納入している。

      納入数量は 昭和23年において 429219匹

      昭和24年において   510897匹

     

    1943年4月に参謀本部で開かれた

    「ホ号打合」の様子を業務日誌から見てみます。

    ●上記金原大佐の業務日誌からネズミの供給について・・・・

      (記述からネズミの供給が茨城や栃木でも

      行われていたことが分かります)

     医校(軍医学校の防疫研究室)

     1.粕壁(春日部)付近が主力となる。

      1軒30。  

      4千軒で1組合(親1匹1ケ月2)2匹)

      本年度予定 埼玉47.5、茨城20.5、栃木6.45、

      計74.45万  

     2.埼玉に飼料を補給せば20万増産可能。

      茨城県、栃木県は指導強化により

      10万程度増産見込。  

      最大産出見込100万。 

     3.輸送の円滑にゆくのは関東軍のみ。

      南方軍には種を補給す。北満、南満特に予定せず。

     関東軍

     1.  2万だけ中支、残の全部関東軍に、

      北支、南支、南方は餅種のみ。  

      これが輸送の援助を行うべし。
     2.  体重が増加すればする程生存日数長く」

      抵抗大となる。80g以上。

     

    新聞記事からも見てみます

    ●埼玉新聞の記事  1943年12月10日

     粕壁(春日部)で小動物増産協議会・・・・

     田中一郎(仮名・小沢の事か?)組合長の

     挨拶に続いて協議に移り、

     小動物増産が決戦下重要使命を帯びる為、

     これが増産に関する協議をなし・・・・

     

    証言

    ●小沢と親しかった高木一郎の証言 1991年11月

     日本実験動物研究所の職員が昼休み

     よくビリヤ-ドをやっていましてね、

     私も好きなもんで入れてもらってたんですけど、

     ある日アメリカ兵がビリヤ-ドをやってたんです。

     それがちょうど朝鮮戦争のちょっと前でした。

     それから日本実験動物は、

     アメリカ軍が細菌爆弾を開発するのに

     必要な実験用のネズミや兎を大量に

     供給してるんだってことが町中の噂になったんです。

     そのころからネズミを飼育している農家は

     急に需要が増えて、農閑期だけじゃなく、

     年中農業の忙しい時期も飼育するようになりましたね。

     小沢さんとこの集荷人も20人くらいに増えて、

     毎日回ってました。

     1軒の農家は少なくとも

     週1回1度に50-60匹出していました。

     朝鮮戦争が始まってからは、

     4トントラックが来ることもありました。

     

    ●田口新吉 証言   1991年11月

         元陸軍衛生兵、戦後共産党に入党、

         河辺村で飼育者の組合を作った

     アメリカ兵がトラックで実験動物を取りに来ていました。

     そのトラックには大きく

     「アメリカ陸軍医学研究所」と書いてあり、

     その下に406と書いてあるので、それで分かったわけです。

     ある程度親しくなってから、

     農協の職員に「今日のはどこへ持っていくんだ」とか、

     さりげなく聞いたりしたが、

     「朝霞」とか「座間」とか「根岸」とか色々でしたね。

     忙しいときはね、月にラッテマウスがね20万匹、

     モルモットは1万匹くらいは扱っていたと思う。

     朝鮮戦争の頃はよく督促されたね。

     集荷人の数も増やしたから、

     集荷地域を拡大したんじゃないかと思うね。

     昆虫なんかも出荷していた。

     高さ2メートル、幅2メートルくらいの

     風呂桶のようなものを出荷しようとしていたから、

     これは何に使うのかと聞いたら

     「これは水槽なんだと、このなかにボウフラを飼って

     蚊を繁殖させるのに使うんだ」と言っていた。

     

    ● 天野良治 1918年生れ  陸軍防疫研究室の経理部勤務

     ・・・・小動物(ネズミ、ノミ、ニワトリなど)は

     埼玉県の粕壁、川辺、南桜井(庄和町)の

     生産組合から週1回ほど納入され、

     月に5万匹(1匹5~6銭)ほど

     調達していと記憶しております。

     納入されたものを防疫研究室分、

     731部隊分、1644部隊分などに区分し、

     定期に運行している航空機により

     立川から運んでいきました。

     私たち主計は陸軍の階級のほかに、

     “前渡金管理官”という肩書もありました。

     ここで私が支払をしていた品物としては、

     細菌培養缶、寒天、肉、実験用のネズミ、サルなどがあげられます。

     

     

    つづきを読む

  • 岡9420部隊(威9420部隊)

    2020/08/12
    9:06

    正式のシンガポ-ル陥落は、

    1942年2月15日との事ですが、

    2月12日には防疫給水部隊の先遣隊は上陸していました。

    部隊としては4月1日(3月26日と言う資料もある)に、

    軍令で細菌戦を準備するための

    防疫給水部として正式に編成されました。

    そして5月5日南京で編成され、

    天皇に上奏の上6月20日に

    部隊はシンガポ-ルに正式上陸しました。


    当初の人数は200人で、後では600人になりました。

    シンガポ-ルのエドワ-ド7世医科大学病院の

    一角を接収して本部を設置しました。

    この部隊もやはり細菌戦目的の部隊で、

    ペストノミを大量に生産していましたが、

    実際に細菌戦を行なったかどうかはよく分かっていません。

    但し1945年6月に米国蝶報機関が

    マッカ-サ-司令官に提出した「日本の秘密戦」には、

    日本の南方軍でマラリヤの人体実験がおこなわれたと

    報告されていますので、

    細菌戦を行った可能性はあります。

    松村知勝関東軍参謀副長の証言では

    「太平洋諸地域における戦況悪化で、

    アメリカ、イギリス、その他の国々に対して

    731部隊の細菌兵器が使用される筈で・・・・」

    とありますが、間に合わずに敗戦を迎えたと言われています。

     

    「組織」

    部隊長 北川正隆軍医大佐(1944年死亡)

        羽山良雄軍医大佐(後に少将)

    総務科(庶務)
     総務部長 内藤良一軍医少佐

          731部隊で乾燥血漿の研究をした後、

          東京の軍医学校の教官をしていた。

          戦後ミドリ十字を創設した。

    資材科

    経理課

    検疫科

    細菌研究班

     所属は不明ですが勤務していた部隊員

      市川利一  731部隊から転任

      貴法院秋雄 京都大学出身 731部隊では天然痘の研究

      早川正敏軍医中尉

    松井蔚 戦後の帝銀事件で犯人はこの名前の名刺を使っていた

      大快良明 軍属

      柴田 軍属

      岡野 軍属

      高具安三郎 衛生大尉

      星子 衛生曹長

      村井 獣医

      稲葉 通訳

    支部

     マニラ

      支部長 軍医少佐 帆刈喜四郎

     ジャカルタ

     泰緬(タイ・ビルマ)国境

     バンドン

     

    「部隊の見取り図」

    SCN_0095 細菌部隊シンガポ-ル図

     

    ペストノミを大量に生産した部隊と書きましたが、

    ペストは主としてネズミを介して感染するので、ネ

    ズミが多い南方は研究に有利になります。

    もともとペストが多ければ、

    細菌戦をしてもばれないので、

    このシガポ-ルの部隊でも研究は進んでいました。

     

    1943年4月に参謀本部で開かれた

    「ホ号打合」の会合の内容を業務日誌から見てみます。

     

    ●金原節三大佐(陸軍省医務局医事課)の業務日記から

    南方軍、

     イ、昨年9月より研究を開始す。

       ケオピス(注:Keopisネズミの事)

       粟南方において発育良好なり。

       繁殖力も大なり。

     ロ、南方では山稜地区に肺Pestあり

       (気温15℃)、海岸には腺Pestあり。

       一般に四季を通じ散発しあり。

     ハ、南方のKeopisは硬度大なり。

       熱に対する抵抗も強し。

       アスファルト道路(45℃)では1分で死亡するも、

       草原その他では2日以上生存す。

     ニ、原法。使用場所小。使用人、餅麦。増殖率小 

       改良第一法。南方に適。

       改良第二法。保存適。

     ホ、捕鼠は捕鼠器の約1割弱

       (南方1年を通じ同率で捕獲し得)。

       北方は時季により異なる。

     ヘ、南方では気候の干渉で四季増殖に適す。

       雨と日光とを避ければ到る処飼育場となる。

     ト、北方より輸入の鼠は馴化に1ケ月を要す。

     チ、種餅を1回輪入すれば、あとは現地自活も可能なり。

     リ、人員265名を要す。50kgの生産可能なり。


    ●真田業務日記(参謀本部第一部長真田穣一郎少将)

          1943年11月28日 原文カナ

     南方軍、「ホ号(細菌戦)関係、あわ(ノミ)の

     生産は馬来(マレ-)の精神病院のあとで

     黒もち(ネズミ)を使い生産す。

    注:タンポウと言う町のプルマイ病院

     黒モチは日(月?)量2.5疋とれる

     一応の目途あるものの如之

     今93、-所有、(ジャバ)が一番繁殖大-、

     黒モチでpX(ペストノミ)を作る。

     pX(ペストノミ)30kgに回復するには来2月までかかる

     pX仕上げ完成には更に暇かかる

     「マレイ」の支部はpXの生産に専念、

     運用は他より部隊をよこされ度

     

    証言内容からも見てみます。

     

    ●大快良明  1917年生れ 1993年の聞き取り、

         及び1996年の庄和高校での講演禄から

     ・・・・昭和19年になり、

     大本営が「細菌戦用にノミを5トン製造せよ」

     という命令を出したと聞きました。

     そのために石油缶を5万個集めようとしたといいます・・・・

     10月に入って大本営から南方軍防疫給水部に

     “衛生材料宰領”と言う命令が出ました。

     衛生材料とはネズミの事です。

     私は同じ軍属の柴田と岡野の3名で

     ネズミ輸送の命令を受けました。

     飛行機に乗り、サイゴン、台北に1泊ずつして、

     10月24日に東京の立川飛行場に到着しました。

     そして新宿の陸軍軍医学校に行きました。

     休暇をもらい・・・・

     帰途につくために立川飛行場に行ったときには、

     すでに731部隊の専用機3機、

     これは97Ⅱ式重爆撃機でしたが,

     これにネズミ数万匹が積み込まれていました・・・・

     ネズミは縦40センチ、横30センチ、高さ30センチ、

     ぐらいの金網の篭にギュウギュウ詰めに入れられて、

     重爆の胴体部分に積み込まれたわけです。

     1機に5000匹ぐらい、

     3機で15000匹を運びました・・・・

     結局シンガポ-ルに着いたときには、

     3分の1は死んでいました。

     こうして運んできたネズミは、

     本部とジョホ-ルバルの梅岡部隊、

     クアラピラの飼育場にトラックで運んでいきました。

     このようにしてわたしは

     10月から11月にかけて2回のネズミ輸送に従事しました。

     計画では5万匹を輸送するつもりでしたが、

     結果は3万匹ぐらいだったわけです。

     これらのネズミは、

     埼玉県などの農家に依頼して生産していました。

     本部に戻ってからは春日部から

     空輸したネズミを飼育するので、

     マレ-半島中央にある小さな街

     クアラピラと言う所の英国の中学校を接収し、

     ネズミ数万匹を飼育したのです。

     私は動物の餌を作るための

     大きな山を開墾し、農園を始めました。

     クアラピラ飼育場は隊長が

     衛生大尉高具安三郎、衛生曹長星子、

     飼育係りは獣医の村井技手と

     稲葉通訳技手等でした。・・・

     南方最前線で米国本土攻撃のため、

     あらゆる努力と準備をしていたのでした。・・・・

     ノミを養う石油缶などを5万個位購入して

     グランドに積んでありました。

     ネズミを使って生産した細菌は、

     アメリカ軍に対して使う予定でした・・・・

     結局、南方軍防疫給水部隊は

     細菌戦の準備はしていたものの、

     私が知っている限りでは

     実戦に使用したことはなかったのではないかと思います・・・・


    ●オツマン・ウオク

    17歳の頃、岡9420部隊で2年以上勤務

    戦後スンガパ-ル社会問題大臣

     実験場で働いていた中国人、

     インド人、マレ-人の少年7人は、

     ネズミにたかっているノミを捕らえて

     容器に入れる役割を与えられていた。

     日本人およそ40人がシンガポ-ル中の

     ネズミを捜しまわり、獲物を実験場に持込んだ。

     次にネズミにクロロホルム麻酔をかけ、

     少年たちがピンセットでノミを集めた。

     その後の作業は日本人スタッフが引き継いだ。・・・・

     ペスト菌に汚染されたノミを、

     砂、馬の乾燥血液、未確認の化学物質を入れた

     石油缶に移し、およそ2週間繁殖させた。

     繁殖したペスト汚染ノミは、

     シンガポ-ルから出されて、

     タイに送られたとのことです。


    ● 上記 オツマン氏新聞のインタビュ-記事 

    (上記内容と重複している可能性もあります)

    シンガポ-ルのストレ-ツ・タイムス1991年9月19日

     1942年半ば、当時17歳だったオツマン氏は

     職探し中に叔父に紹介され、

     市内のカレッジ・ロ-ドにある

     古い医科大学の建物の中の、

     秘密の研究所に勤めることになった。

     そこでは、ネズミにペスト菌が注入され、

     そのネズミにノミをたからせて

     ペストノミを「生産」する作業に従事させられていた。

     不注意から、ネズミに指をかまれた日本人職員が発病した例を挙げ、

     同所が細菌戦準備のための組織だったことは

     間違いないとしている。

     

    こうした点について同誌の記者は松村高夫

    慶応大学教授に照会して、確認したと書かれている。

     

    ここまで731を初めとした

    日本の5つの細菌戦部隊について個別に書きました。

    次に全体として、今まで述べなかった細菌戦に付いて書きます。

     

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