1945年8月15日に日本は敗戦を迎えましたが、
香港の日本軍は敗戦の事実を秘密にしていました。
連合軍もまだ香港の日本軍の解体を始めていませんでした。
住民の一部では日本の敗戦の情報が流れましたが
立ち上がるだけの軍事力がありませんでした。
敗戦の4日後、
8月19日になっても日本軍はまだ虐殺を行っています。
この事実は大変な問題です。
日本国家・天皇が敗戦の宣言をした後で
軍事行動を取る事は重大な国際法違反です。
しかしこの件はその後も問題になることはありませんでした。
敗戦後の虐殺は香港から1時間ほどのランタオ島の4つの村で、
5日間の「抗日遊撃隊討伐」の作戦名目の中で行なわれました。
●ランタオ島 日本軍戦争犯罪記録から 原文英語
8月19日
少数の抗日遊撃隊が銀鉱山に駐屯していた日本軍兵舎を襲撃した。
日本軍は報復のため、村を襲った。
村人全員が逮捕され、掠奪されたり放火されたりした。
村人たちは海岸の日本軍兵舎に連行された。
男や女や子ども達が見ている前で、
2人の村の長老がひどく殴られた。
その夜、2人は首を斬られてから焼かれて穴に埋められた。
村人たちは殴られたり拷問を受けた。
20日
2人の漁夫と1人の村人は、
負傷した日本兵を船で運ぶように命令された。
この3人は2度と帰ってこなかった。
女と子ども達は釈放されたが、
男達20人は、棒に縛られて拷問された。
爪先が地面にかろうじてつくくらい位に棒に縛 られ、
そのままにされた。
食事も与えず、殴ったり蹴ったりされた。
村をパトロ-ル中の日本兵は、
2人の住民を見つけて 縛り上げて殴った。
それでもあきたらずに首を斬ってしまった。
22日
日本軍はT村を急襲して1人を射殺し、
もう1人を兵舎まで連行して首を斬った。
日本軍に気がついて山に逃げようとしていた
女性は太股を撃たれて負傷した。
23日
この村のすべての家屋が破壊された。
●徐顴保さん 証言
今、戦争中のことを話していると、
あの頃のことを思い出して悔しいやら哀しいやらで、
泣きたいような思いに駆られて来るよ。
日本とか日本人という言葉を耳にすると、
良い思いは決して浮かばない。
日本兵だぞ、と誰かが叫ぶと山に逃げて震えていたもの。
鬼か悪魔みたいに思い、
近づかないことが一番いいことだと親から聞かされていたよ。
それにウソツキで威張りやだった。