お年寄りの話を聞きますと、
日本陸軍は勇猛果敢で強かったと言います。
しかし中国ではどうもそうではなかったようです。
中国側の抵抗が強く
日本軍が負けることがたびたびあったようです。
そこで毒ガスが使用されました。
 
上海戦で日本軍歩兵が防毒マスクをつけて
市街戦をしている珍しい写真がありますが、
陸軍では苦戦を強いられた時、
まず敵の陣地に集中的に毒ガス弾を打ち込んで、
それから防毒マスクをつけた歩兵が攻撃し、
苦しんでいる敵を証拠隠滅のために殺したのです。
 
数年前の地下鉄サリン事件を思い出してください。
あの場面で苦しんでいる人の所に
防毒マスクをつけた兵隊が来て、
一人一人殺すのと同じ事です。
全て証拠を残さないようにしたため
写真もあまりありませんが、
多くの戦闘場面で日本軍歩兵が
防毒マスクをして戦闘したようです。
 
日本の毒ガスの準備は、
将来のソ連やアメリカに対する戦争に
備えるものでした。
中国では実用実験の予定でした。
 
1937年の盧溝橋事変の時には
すでに毒ガスの準備が進んでいたので、
どんどん使い始めました。
 
●1937年7月27日  
 臨参命第65号によって化学戦部隊の派遣命令が出る
同  28日  
 臨命第421号によって、
 適時催涙筒を使用する許可が出ました
 
その後続々と
「適時毒ガスを使用する事」
「極力毒ガスを使用する事」
「毒剤等特殊資材を使用する事」
の命令が次々と出るようになります。
その一方で国際世論やマスコミを
気にしていた政府・軍部は
秘密保持に努めました。
 
●1938年4月11日 大陸指第110号(原文カナ)
指示
 大陸命第39号及第75号に基き更に左の如く指示す
1 左記範囲に於てあか筒軽迫撃砲用あか弾を使用する事を得
 (1) 使用目的 山地帯に蟠居する敵匪の掃蕩戦に使用す
 (2) 使用地域 山西省及びこれに隣接する山地地方
 (3) 使用法  努めて煙に混用し
         厳にガス使用の事実を秘匿し、
        その痕跡を残さざる如く注意するを要す
      注:バレないように注意しろという命令です
2 別紙の如くあか弾及びあか筒を交付す
 昭和13年4月11日
参謀総長 戴仁親王
北支那方面軍司令官伯爵 寺内寿一殿
駐蒙兵団司令官 蓮沼蕃殿
 
●1938年5月2日 大陸指第120号  
 中支那派遣軍にみどり筒使用許可の指示  
                      
●同年5月3日、
「特種資材使用に伴う機密保持に関する指示」  
北支那方面軍参謀総長の指示
1  ガス資材の筒・収容箱の
    標記をあらかじめ削除すること 
   注:証拠になる表示は消せ
2    使用後のあか筒は
   蒐集して持ち帰る事 
  注:証拠品を残すな
3    教育には印刷物を使わず、
   被教育者以外の立ち入りを禁止し、
   習得事項の口外を禁止すること
  注:印刷物等の証拠を残すな
4    使用の場合、使用地域の敵を
   為し得る限り殲滅し
   以って之が証拠を残さざる如く努めること
  注:証拠が残らないように全員殺せ
5    住民の居住地域や外部との
   交通の便利な地点での使用を避けること
  注:目立つ所ではやるな
6    毒がス資材を敵に委せざるを期すること 
  注:残留物を敵に残すな
7    資材の運搬に現地住民や傭役車馬を利用しないこと
8    毒ガスを使用したとの敵側の宣伝に対しては、
   毒煙ではなく単なる煙であると宣明すること
  注:普通の煙だといってごまかせ
 
●1938年8月6日 大陸指第225号  
 武漢攻略戦で、あか弾・あか筒使用許可の指示
 
●1938年12月2日、大陸指第345号  
  閑院宮参謀総長から中国戦線の全日本軍宛
 在支各軍は特種煙(あか筒・あか弾・みどり筒)を
 使用することとを得、
 但之が使用にあたりては
 市街地特に第三国居住地を避け、
 勉めて煙に混用し厳にガス使用の事実を秘し
 その痕跡を残さざる如く注意すべし、
 特種煙の使用並びに利用に関する
 部隊の練成は更に一層向上徹底せしむるを要す
 
●  1939年5月には「きい弾」の使用許可が出ます
大陸指代452号(原文カナ)
指示
  大陸命第241号に基づき更に左の如く指示す
 1 北支那方面軍司令官は現占拠地域内の作戦にあたり
    黄剤等の特種資材を使用し其作戦上の価値を研究すべし
 2 右研究は左の範囲にて実施するものをす
  イ、使用の秘匿に関しては万般の処置を構ず、
   特に第三国人に対する被害を
   絶無ならしむると共に
   秘匿することに関し遺憾なからしむ     
  ロ、支那軍以外の一般支那人に
    対する被害は極力少なからしむ
  ハ、実施は山西省内の僻地に於いて
    秘匿の為に便利なる局地に限定し
   試験研究の目的を達する最小限とす
  ニ、雨下ハ之を行わず
昭和14年5月13日
参謀総長 戴仁親王
北支那方面軍司令官 杉山元殿
 
●1940年の参謀総長の指示 大陸指第699号(原文カナ)
 指示
 大陸命第439号に基づき左の如く指示す
 支那派遣軍総司令官及び南支那方面軍司令官は
 左記により特種煙及び特種弾を使用することを得
1 厳に使用の企図及び事実を秘匿す
   特に其の対外影響を慎重に考察し
   第三国人居住地付近に使用せず
   かつ其の痕跡を残さざる如く注意す
2 雨下ハ之を行わず
昭和15年7月23日
参謀総長 戴仁親王
支那派遣軍総司令官 西尾寿造殿
南支那方面総司令官 安藤利吉殿
 
このような秘密命令が何度も出ています。
さらに外務省からも
「でっちあげて、中国側が使用したように
宣伝すること」という通達が出されています。
そのため、日本国民もマスコミも
事実を知らないまま現在に至ったのです。
ただし被害を受けた中国では
当然分かっている事ですし、
世界中が見ていたのです。
世界中から非難を受けた日本は、
それでも戦争末期まで認めようとはしませんでした。
 
●1944年7月15日 支那派遣軍当局の声明
 皇軍は道徳をかたく守るものであり、
 過去においてかかる事実がなかったし、
 将来においても敵が毒ガスを用いる事がなければ、
 皇軍は絶対に用いるはずがない