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キーワード「河北省」を含む投稿一覧

  • 地域別・中国

    2020/08/27
    11:26

    兵隊達が慰安所を利用した事や

    捕虜虐殺、放火等は、旧軍人の日記や

    回想録にはある程度出てきます。

    しかし強姦になると加害者側の

    記録があまりありません。

    強姦は恥であると同時に

    軍規で厳しく禁止されていたからです。

    ですから強姦の記録を集めようとすると

    どうしても被害者の証言が

    中心になるのは当然の事です。

     

    1995年に中国の政治協商会議文史資料委員会が

    「侵華日軍暴行総録」という本を出版しました。

    台湾、香港を含む中国全省の聞き取り調査です。

    その中から性暴力に関する部分を

    河北省のみ掲載します。(北京、天津は除く)

     

    「河北省」

    河北省だけで97件ありますので書き切れません、

    適当に省きます。

    番号は原本にある番号のままです。

    尚、この調査では全部で2,272件の

    暴行や強姦が記録されています。

    しかしこれは調査をした範囲ですから

    実際にはこの数倍あったかもしれません。

    強姦事件は中国全域全期間で発生していますが、

    特に三光作戦の時多発しています。

    さらにその中でも解放区

    (中国側が制圧し日本から解放された地区)を

    再度攻めた時、日本軍は腹いせに

    「八路軍地区では何をやってもよい、

    殺人、放火、掠奪、強姦、勝手次第(第1軍田中隆吉少将)」

    ・・・・という政策をとったからです。

    番号

    県

    鎮・郷・村

    年月日

    性犯罪の事例及び概要

    被害者

    1

    万全

    県城

    37.8.27

    30人余の兵士が1女性を輪姦殺害、9名の女性を

    任意に陵辱、屈辱に耐えられず自殺した女性あり

    11

    2

    青県

    流河

    37.9.9

    人妻を輪姦後銃殺、70歳の老女も強姦殺害

    13

    5

    永清

    瓦屋辛庄

    37.9.16

    7ケ月の妊婦を割腹、2人を強姦殺害、他村から

    避難してきた20余名の婦女を発見して輪姦

    多数

    6

    固安

    辛倉村

    37.9.16

    3歳幼女の陰部に銃剣を突き刺し、空中に投げる

    1

    7

    永清

    白?村

    37.9.15

    他村から避難してきた少女7人を強姦殺害

    7

    9

    永清

    徐官営

    37.9.15

    干し草に隠れていた9人の娘を輪姦後刺殺、

    逃げ遅れた女性を輪姦殺害

    10

    11

    滄県

    捷地

    37.9.25

    女子青年を裸にして縛り、強姦後銃剣で刺殺

    不明

    12

    正定

    近郊13村

    37.10.8

    女子青年28名が陵辱を逃れるため6名の幼児を抱えて井戸に投身、24名惨死、娘を輪姦後裸にして殺害

    25

    13

    正定

    カソリック協会

    37.10.9

    9名の外国人聖職者を殺害、多くの修道女を陵辱

    多数

    14

    藁城

    梅花鎮

    37.10.12

    200余名の婦女に対して陵辱、暴力、虐殺、11名の妊婦を割腹輪姦後女性の乳房を切除

    200

    33

    安次

    葛魚城

    38.4.21

    街中を掠奪殺戮、婦女陵辱。人妻を輪姦後斬り殺す

    30

    59

    深県

    北周堡

    42.6.16

    若い女性を陵辱、輪姦後数日後に死亡した女性もいた。

    20余名の女性を日本軍の駐屯地に連行、陵辱

    20以上

    73

    霊寿

    大寨山

    43.10.22

    村の婦女22名を捕縛、数名を陵辱した後、全員を裸にし、

    踊りを強制、不従者は刺殺、最後は大寨山に連行してがけから突き落とし、更に射殺

    20余

    74

    平山

    蘇家庄

    43.秋

    掃討作戦で全村民を監禁し若い婦女を陵辱

    100余

     

    「南京」

    日本の中国侵略の象徴的事件として

    南京事件があります。

    南京大虐殺として有名です。

    加害者、被害者、世界中の報道機関、

    右寄りの学者さえ(きちんとした学者)

    事実としていることです。

    それでもこの事件をまぼろしと主張する

    困った人たちがいます。

    虐殺については別の原稿で詳細に述べますが、

    南京では壮絶が強姦も行なわれています。

    東京裁判の資料では1ケ月に20,000件の

    強姦があったとされています。

    日本軍ではあまりの強姦事件の多さに困って

    軍慰安所を急ピッチで作りました。

    被害者と加害者の証言を書きます。

    このような強姦の被害者が

    南京だけで20,000人いたことを

    想像して読んでください。

     

    ● 蔡玉英さん 証言日 1998年12月15日

     当時(1937年)の住所は、

     南京城内通済門の北大中橋東文思巷に住んでいた。

     家族構成は53歳の父、53歳の母、

     7歳の私の3人家族で父親は竹細工師であった。

     日本軍が侵攻して来ることを知って、

     近所の人々は国際安全区に避難していった。

     父親は、自分たち年寄りや小さな子どもなら

     いくら日本軍が悪いといっても

     危害を加えることはないだろうと思って家に残った。

     まわりでも年寄りや子どものいる家庭は

     こうして残る家が多かった。

     12月13日   

      朝7時か8時ごろ、3~4人の銃と刀を持った

      日本兵が家の扉を開けて入ってきた。

      当時敷地内に3家族住んでいたが、

      銃を乱射して押し入ってきた日本兵に、

      まず管理人のおじいさん、

      朱という家主のおばあさんが撃たれた。

      続いて屋内にいた父が左腕を撃たれて倒れた。

      母も引きずり倒された。

      午後2~3時ころ、再び日本兵が入って来て、

      母を取り囲み、刀で母のシャツや

      身に着けていた衣服を切り裂いた。

      取られまいとしたら身に着けていた

      銀の首飾りやお金を日本兵は奪った。

      母は「やめてください」と言ったが、

      綿入れの上着や布団までなにもかも奪っていった。

     12月14日   

      午後2~3時ころ、父の傷が深いので

      近くの避難所に逃げようとしたが、

      手前で日本兵に銃で遮られ家に追い返された。

      真冬で寒かったので、

      午後庭の陽だまりで日に当たっていると、

      2人の日本兵が馬に乗って入ってきた。

      馬から降りた1人は髭が生えていて、

      急に私に近づいて抱き上げズボンを脱がそうとした。

      激しく抵抗して泣く私に父は

      「泣かないで、泣かないで」と言って、

      日本兵から私を取り戻そうとした。

      父は数度日本兵に顔を殴られ地面に倒れた。

      その場で馬乗りになり、

      首を3度も切りつけられた。

      血が止まらず血溜まりの中で父は動かなくなった。

      母は必死になって父をベッドに運んでいった。

     12月15日  

      午後2~3時ころ台所の下で

      私と母が横になっている所へ、

      再び2人の日本兵が入って来た。

      父は出血で衰弱して横たわったままだった。

      日本兵は父のところへ近づき、

      父の目を指で開き、刀を口に差し込み、

      中国語で「死了、死了」と言った。

      父は意識があったが傷がひどくて

      声も出ず抵抗も出来なかった。

      父が死んだと思って

      1人の日本兵が私に近づいてきた。

      私は恐怖で声も出なかった。

      日本兵は私を押し倒し、

      乱暴にズボンを剥ぎ取った。

      太ももを両手で開き、

      指を膣に押し込んでえぐった。

      痛くて痛くてたまらなかったが、

      殺されるのが恐くて泣く事もできなかった。

      そのまま私は日本兵に強姦された。

      母は強姦を恐れて顔に煤を塗っていたが、

      もう1人の日本兵に顔を強くこすられた。

      このときは母日本兵の手を噛んだので

      顔をひどく殴られ強姦されてしまった。

      その後銃口を膣にねじこまれて

      痛くて「やめて」と泣きながら哀願したが

      聞き入れられなかった。

      もし私も泣き叫んだら母も殺されると思っていた。

      母の下半身から沢山の血が流れ止まらなかった。

      動けなくなった父の眼前で

      母と私は日本兵から残酷な蹂躙を受けた。

      日本兵が去った後、私の性器は腫れあがり

      痛くて動くことも出来なかった。

      小便が知らないままに流れ出し

      調節が出来なくなっていた。

      父も母も動けなくなり傷の手当は

      自分でするしかなかった。

      布切れを股にあてていたが、

      小便がしみていたくて身体をうごかすことが出来ず、

      何ケ月たっても前かがみになって

      股を開いた姿でしか歩けなかった。

      父は首を切られたために身体が動かず、

      重体で食物も受け付けず、

      数日後には死んでしまった。

      母も精神的におかしくなり

      悲惨で毎日泣き暮らした。

      日本兵に強姦された時顔を

      強くこすられ目も傷ついて失明し、

      食物も受け付けなくなって

      父のすぐ後に死んでしまった。

      数日後、父の兄弟の妻が安全区から戻ってきて

      私たちの世話をしようとした。

      この人はまだ16歳で、

      家にやって来た3人の日本兵に輪姦されてしまった。

      後で戻ってきた夫はそれを知って

      「日本兵と寝た女」と彼女をひどく殴りつけた。

      夫に解ってもらえず彼女は絶望して

      間もなく池に飛び込んで自殺してしまった。

      また、近所に住んでいた自分より1歳年上の

      遊び友達の女の子は両親の前で日本兵に強姦された。

      父も母も「助けてください、助けてください」と

      跪いて哀願するのも聞き入れられず、

      銃で撃ち殺されてしまった。

      その上、女の子は強姦されたあと、

      酒の瓶の先を性器に差し込まれて

      痛くて泣き叫んでいた。

      日本兵は刀でその子を切り殺した。

      その後も日本兵はたびたびやってきたが、

      私のボロボロになったズボンをずらし、

      下半身が腫れあがっているのを見て

      強姦するのを諦めた。

      しかし、解らない言葉で怒鳴りながら

      私を殴ったり蹴ったりした。

      父も母も日本兵に殺され、

      幼い私は身体の痛みを我慢しながら、

      独りぼっちで生きていかなくてはならなかった。

      物乞いをしてその日の食物を手に入れることがあった。

      悲しくて何度も池に飛び込んで

      死んでしまおうと思った。

      ある日池の端で泣いていると、

      青年がやってきて私に泣いている訳を尋ね慰めてくれた。

      彼は早くに両親を亡くしていて、

      独りぼっちの私の悲しみを理解してくれ

      何度も食物やお金を分けてくれた。

      14歳になった時、私は14歳年上のその人と結婚した。

      彼は優しくて、私のおむつまで洗ってくれる人だったが、

      夫の姉はことごとく私に辛くあたった。

      「日本人と寝た女、汚らしい女」と罵り殴られた。

      両親を奪われ教育も受けられなかった。

      強姦のときの傷がひどく、

      私はいまだにおむつを離せない身体になり、

      60年間辛い思いをしてきた。

     

    ● 井戸 直次郎(仮名)  1914年7月生まれ   

        第16師団歩兵第33連隊第3大隊 

        2000年5月証言

     (強姦は)そこら中でやっとった。

     つきものじゃ。

     そこらじゅうで女を狙いおるのや、

     女を強姦しとるのをみたで。

     婆さんも見境いなしじゃ。

     強姦して殺すんじゃ。

     もう無茶苦茶じゃ。・・・・

     家の長持ちの蓋を開けると

     中に若い嫁さんが隠れとったんじゃ。

     纏足で速く逃げられんで、

     そいつを捕まえて、

     その場で服を脱がせて強姦したんじゃ。

     ズボン1つでパンツみたいな物をはいておらんで、

     すぐに出来た。

     やった後「やめたれ」って言うたんやけどな、

     銃で胸を撃って殺した。

     後で憲兵隊がきてばれると

     罪になるから殺したんじゃ。

     それを知っとるさかい、やった後殺すんじゃ。

     だいぶたって治安が良くなるとな、

     部隊のみんなを並ばせて、

     憲兵隊が強姦された女を連れてきて、

     誰がやったと調べたこともあった。

     平時と違って罪にはならんかったが、

     「やめとけよ!」と怒られる程度じゃった。

     悪い事し放題やった。

     10人おって9人までは強姦しとらん者はおらん。

     自慢話にもなっとる。

     慰安婦いうて、30人位の女を

     たいがいの部隊では連れ歩いておった。

     ほとんどは朝鮮人の女じゃった。

     わしらの部隊でも慰安所を作ったわな、

     中隊やなく、野田部隊の連隊で作っておった

     街の中でも女が隠れてとる所をよく知っといたわ。

     若いもんも、お婆も、みんなやった。

     それからばれたらまずいから殺すんじゃ。

     南京に入る前から、

     南京に入ったら女はやり放題、

     物は取り放題じゃ、と言われておった。

     「70くらいのお婆あをやった。腰が軽うなった」と

     自慢しよる奴もおった。

     街中にも女はぎょうさん残っておった。

     たいがい穴の中に隠れておってね。

     慰安所作っても強姦減らんわ。・・・・

     わしの分隊はまだましやったけど、

     他の兵隊は無茶苦茶や、

     分隊の兵隊はほぼ皆やっとった。

     街に行ったら「ただ」やからな。

     ほとんど女ばっかりの

     難民区(金陵大学か?)にも行って、

     部屋に入ったらこれとこれと、

     指差して、女は遊び放題やった。

     その場でやってしまうんや。・・・・

     昼夜お構いなしじゃ。

     大体1個分隊で行った。

     10数回は行ったやろうかな。

     各分隊みんなそんなもんじゃった。・・・・

     

    つづきを読む

  • 河北省北担村毒ガス事件

    2020/08/04
    10:59

     注:北担村の担は「瞳」」と書く場合もあります。

    山西省以外でも比較的多いのが河北省です。

    河北省は三光作戦でも有名な場所ですが、

    北支那方面軍の燼滅掃討作戦「冀中作戦(三号作戦)」中に

    起きた事件です。

     

    ●冀中作戦(三号作戦)

    この作戦の時期は1942年5月1日から6月20日です。

    ◎作戦時期

     作戦第1期 1942年5月1~10日

     作戦第2期  同月11~15日

     作戦第3期 前段作戦 同月16~25日

     作戦第4期 後段作戦 同月26~6月20日

    1942年5月27日、

    第110師団歩兵第163連隊第1連隊が

    北担村とその周辺の村を包囲した時、

    中国共産軍と民兵が地下道に退避しました。

    日本軍が地下道口に

    毒ガスを投入したため多数の被害が出ました。

    中国側の調査では800人以上とも言われています。

    歩兵第163連隊に含まれる

    歩兵第110連隊第11中隊の記録を書きます

    「戦争責任研究」第42号、上羽修論文を参考にします。

    文中の北成村は北担村と推察されます。

     

    ◎小田中隊報告書 (原文はカナです))

    軍事機密

      小あか筒利用セル北成村附近の戦闘に就いて

      歩兵第110連隊第11中隊長 陸軍中尉 小田貞良

     1 一般の敵情

    省略

     2 戦闘経過の概要

      歩兵団予備隊たる小田中隊(1小欠、MG1分人員69名)は

      5月26日滝冀作命第100号を受領し

      安国において大江少佐の指揮下に入る

      大隊は明払暁を期し要員第1に示す態勢に展開を完了し

      東城・西城・北成・南成の敵を包囲攻撃す

      中隊は大江部隊命令に基き

      北方より前進中途中少数の敵を南方に潰走せしめ

        所命の部落を包囲攻撃せるも敵影を認めず

        西城を掃討中北成村方向に於て熾烈なる銃声を聞き

        中隊は直ちに該村を東方及び南方より攻撃前進す

        敵は部落外周の土塀の銃眼及屋上を利用し

        頑強に抵抗するも

        交通壕の利用麦畑内を匍匐前進する等

        逐次敵に近接し敵前約50米迄前進するを得たり

        9時30分頃MG及び擲弾筒の

        掩護射撃により果敢なる突撃を敢行し

        指揮班前面の1火点を奪取せり

        左第1線小隊は東南方より逐次に麦畑を匍匐し

        一挙に突入突角の1火点を奪取せるも

        尚屋上及び土壁銃眼より頑強に抵抗し

        前進意のごとくならざるとの報告に接し

        屋上にMG陣地を占領せしめ

        左第1線小隊の正面屋上の敵を側射せしめ

        この機に乗じ小隊は主力をもって突撃を敢行

        約50米前進するを得たり 

        小隊が突入するも1兵の敵なし

        不思議に思い中隊長に報告せり 

        中隊長は突入地点附近を調査中穴あるを発見し

        地下坑道内に退避せるものと判断し

        要図第3に示す箇所に小あ筒を使用し

        其の入り口を布団をもって密閉せしめた

        中隊は依然手榴弾および小銃による

        熾烈なる敵火力を逐次に排除し

        12時部落中央附近に進出するを得たり

        この時部落外に残置せる分隊の伝令1名来りて

        「敵1名地中より出たり」との報告に接し

        直ちに東方に反転すると共に

        その情況を大隊本部に報告せり

        現場において詳細調査するに

        西城に通する地下坑道内は喧騒を極め

        その周章狼狽振りは地上においても想像に余りあり

        尚も小あ筒をもって西城部落に脱逸せんとする

        敵の退路を遮断すると共に

        要所に兵を配置し厳重監視に任めしめたり

        部落内の坑道入り口も逐次に発見し

        小あ筒を投入密閉し脱出を封止せり

        敵は愈愈あ筒の効力により

        思わざる地点に脱出を企員せるも

        各要点に配置せる兵により逐次に刺殺又捕虜とせり

        その間、坑道内は手榴弾の爆音、阿鼻叫喚その極に達す

        斯する内に坑道の上部所々に縦穴を穿ち

        苦力を使用して内部の状況を調査せしむると共に

        掃討を実施せしめたり

        (坑道内は濡れ手拭いをもって口を覆へば約13分間作業は可能)

        中隊も瓦斯希薄なる箇所に手拭にて口を覆い

        3人を1組とし逐次構内を掃蕩し

        夜間は現体制のまま露営をなし 

        28日早朝より再び坑道内を徹底的に反復掃蕩を実施し 

        16時兵力を結集し定県に向かい帰還せり

     

    当時北担村の作戦を現地で指揮した、

    第110師団歩兵第163連隊第1大隊の

    大江大隊長の記録文書です。

     

    ●粛清建設計画大江隊

    大江部隊の掃蕩治安戦にて

    特筆大書すべき戦闘は

    定県、安国を警備中大隊の全力を以て

    毒瓦斯を利用し共産軍第1大隊を

    包囲殲滅せる北担、南担附近の○○戦なり・・・・

    1  省略

    2 定県南方召村付近の河川に沿う地区、

       特に安国県境に沿う地区は治安特に悪く、

       民衆は日本軍に親しますず、

       再々付近を掃蕩せるも

       空室清野戦法にて○の姿を見ずに終われり

    3    斯くする内に南担、北担に画村に敵の大部隊あり。

       当部落には坑道を掘りある状況を知り

       大隊は現駐屯地より夜間行動を起し

       特に道路を避けて行動し払暁全村を包囲攻撃せり

    4 午前5時頃全村を完全に包囲し

       敵の銃声と共に射撃戦を開始し

       漸時包囲線を圧縮し部落に突入せり。

       然るに今まで猛烈射撃しありし敵の姿全然なし。

       部落中にて尾根より○○○○を受け

       又入口にて地雷の爆発を受く・・・・

       直ちに部落外囲の坑道を捜索せしめ

       又部落中の井戸其他坑を捜索せしめ毒瓦斯を投入せしむ。

       然る所斯く共産軍の騒ぐ声聞きぬ。

       村より隣村に通える坑道を遮断せしめ

       坑道内にて共匪の数百名を窒息殲滅せしめ

       小銃、○○等約120挺鹵獲し

       我方にも○○以下数名の死傷ありたり。

       爾来定県南方河川流域の治安急速に良好となる

     

     この冀中作戦の状況を

    「戦史叢書 北支の治安戦2」から見てみます。

     

    ●方面軍参謀部第2課調整資料(原文カナ)

     ・・・・冀中共産軍は中央の一般方針に基つき 

     只管我との正面衝突を避け、自己勢力の拡大、

     組織の強化を図りつつありて

     対外的には宣伝を重点とする

     政治攻勢を以て我に対抗すると共に

     対内的には民心の把握と自己食糧増産の為

     春耕援助工作を強化しつつあり・・・・

     広地域に小兵力点在するか為に

     之が捕捉は困難にして、

     又此等基幹隊撃摧の為には大兵力を要せす

     企図の秘匿急襲を必要とす・・・・

     彼等大部分か生産と完全に一致しあるか為に

     匪民分離を困難にし且民衆動員による連防組織は

     遠距離よりする包囲奇襲を困難ならしむ・・・・

     (作戦終了後)沙河、水道溝河に沿う地区

     (注:北担村を含む)は、

     中共側が平原地拠点の

     モデル地区と称していた所であり、

     交通壕、地下壕の構築がはなはだしく進捗しており、

     ほとんどの部落が地下施設を設け、

     3ケ所約7~8キロの間を地下壕で連接した所さえあった。

     また部落民の抗日意識が強く、

     半農半兵の状態で、

     老若婦女すら何らかの抗日団体を組織しており、

     ために各隊の実施する粛清はきわめて困難であった。・・・・

     不期に遭遇するか、あるいは

     追いつめられたときの戦意は相当に強く、

     特に部落による防御戦闘はきわめて強靭で、

     最後の一人になるまで抵抗した例は珍しくない。

    ◎本作戦についての所見と教訓(原文カナ)

     中共軍は平原地帯の抵抗拠点として

     各種の地下施設に最大の苦心を払っていた。

     たとえば、各家庭内床下に地下室を設けて相互に連設し、

     更にこれを部落外の秘密連絡点まで坑道で連絡するか、

     時には部落間に連絡用暗路を設けた所もあった。

     地下室は大小様々のものがあり。

     百数十名の兵員を収容できるものから、

     軍需品の一部を隠匿、格納するためのものまである。

     坑道の入り口を発見するのは非常に困難であり、

     社寺院、廟、古井戸、堆肥小屋、堤防、

     物置、森林の中などによく秘匿されていた。

     畑などの凹道とか、丘の中腹には

     潜伏用の横穴がたくさん設けられていた。

     

    地元の記念碑に刻まれた被害者への弔文です。

     

    ●1942年の527は、

     1000人の英雄たちの血の海の1日だ。

     「527」、それは偉大な民族解放戦争が

     敵味方の互いに譲らない段階に入った中でも

     最も悲しみの大きな1日だった。

     人を喰らう猛獣、日本侵略者と

     そのその走狗は、冀中の長期的統治の確保を狙い、

     華北に戦闘用の溝や堡塁を構築し、

     人民に対して血も凍る虐殺を展開した。

     定県の民族の愛国者800人-優秀な中国共党員と

     勇敢な戦闘指導員、民兵、農民たち-は、

     まさにこの日、民族の不滅のために

     日本鬼子という獣どもと頑強に

     戦闘するなかで栄光の戦死を遂げた。

     我々が「527」の惨状を忘れることは、永遠にあり得ない。

     まだ母親の懐を離れない多くの乳飲み子と

     彼らの母親が、ともに虐殺された。

     烈士の鮮血は、黄土を赤く染めた。

     800人の遺体は、北担村内の通りいっぱいに横たわった。

     子供らは父母を探し、父母は子供らの安否をたずねた。

     流れる熱い涙で人々の目は赤くなった。

     この恨みと傷心の日、それが「527」だ。

     だれがこの日を忘れられようか!

     (毒ガスについて)

     親愛なる死者たちよ。

     あなた方は、民族の自由と解放のために

     日本侵略者の壊滅的な「蚕食掃蕩」を粉砕した。

     我々の故郷をまもるため、

     あなた方は勇敢にも武器を持って立ち上がった。

     我々の武器は手製の銃であり大砲であり、

     自家製の手榴弾や地雷だった。

     一方の日本鬼子は、これに100倍も勝る

     機関銃や大砲、戦車、毒瓦斯を持っていた。

     あなた方は郊外で、家屋の上で、地道の中で戦った。

     銃弾が雨あられと降るなかで、

     また毒ガスが充満するなかで、

     あなた方は激しく頑強に戦いを堅持した・・・・

     

     

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