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  • キーワード「石井四郎」を含む投稿一覧

キーワード「石井四郎」を含む投稿一覧

  • はじめに

    2020/11/08
    10:22

    この原稿は1997年に書いたものを基本にして、大幅に加筆しました。

     

    731部隊を始めとしたいわゆる4つの細菌部隊の目的は

    捕虜を使った実験だけをしていただけではありません。

    実はこれらの残虐行為はそれ自体が目的ではなく,

    細菌の毒力強化や,効果判定や,大量生産のシステムを

    作り上げるための研究として行なわれていたのです。

    そして本当の目的は実際の戦争で細菌戦を実行する事でした。

    もともと日本の軍事医学は非常に優れていました。

    昔から世界のどの戦争でも、実際の戦闘で死ぬ人よりも

    伝染病その他の病気で死ぬ人の方が多かったそうです。

    ところが日露戦争では日本軍の病死者が少ない事が

    世界の驚異となりました。

    しかも日本軍はとても人道的で,

    多くのロシア人捕虜の病気や怪我を治療して

    送り返した事が欧米諸国から賞賛されたと言う

    エピソ-ドが残っている位です。

     

    しかし石井四郎率いる731部隊が登場してから

    戦争医学は人命を救う事から,

    戦争の手段つまり細菌攻撃をする目的に

    180度変ってしまったのです。

    資源の乏しい日本が大国であるソビエトや

    アメリカと戦争するためには

    最も安上がりな生物兵器が必要だと言う

    石井四郎の意見が通ったせいです。

     

    ●  関東軍司令官 山田乙三大将 ハバロフスク公判供述

     ・・・・731部隊は、主としてソビエト同盟

     並びに蒙古人民共和国及び中国に対する細菌戦の

     準備を目的として編成されたものである

     

    ●  元 731部隊隊員 軍属 篠塚良雄 証言

     生体解剖ともなれば,確かに医者たちは

     自分の研究や野心を満足させるので喜々としてやる。

     植付けた細菌がどの部位でどのような

     変化を与えているか大変興味をもって調べる。

     しかしそれは731部隊の目的からすれば2次的なことだ。

     本来は,そこで細菌の毒力がどれだけ強化されたかを調べ,

     より強力な細菌をとり出すということだ。

     したがって生体実験というものは、

     細菌の毒力、感染力の強化実験と言ってもよい。

     生体解剖が必要なのは、死後の雑菌によって

     植付けた菌の毒力が低下しないためだ。

     

    ●  大阪大学名誉教授 中川米蔵   1994年証言

     私は昭和20年に京都帝国大学に入学した時、

     731部隊幹部である軍医の話を聞きました。

     「医学と言うのは,病気を治したり,

     ケガを治したりするものではない。

     日本は世界を相手に戦っている。

     医学もまた兵器だ」

     

    そして細菌戦はその通り実行されました。

    1938年に日本軍機による細菌爆弾の投下や井戸への

    コレラ・チフス菌の投下などの記録がありますが、

    裏づけの証拠や資料が不足しています。

     

    確実なのは1939年のノモンハン事件からです。

     

    ●  証言 西俊英軍医中佐 731部隊教育部長  

     (1949年12月26日、ハバロフスク裁判公判記録から)

    注:検事の質問は短くして、答えを中心に書きます

     ◎ハルハ河方面事件の際、石井部隊が

      細菌兵器を実用したことを知っています。

      1944年7月、私は孫呉の支部から平房駅の

      第731部隊教育部長に転任せしめられました。

      私は前任者園田中佐から事務を引き継ぎました。

      同日、園田中佐は日本に向けて出発しました。

      私は彼の書類箱を開け、ノモンハン事件、

      すなわちハルハ河畔の事件で、

      細菌兵器を使用したことについて書類を発見しました。

      そこには当時の写真の原版、

      この作戦に参加した決死隊の名簿、

      碇少佐の命令がありました。

      決死隊は将校が2人、下士官、兵役20名からなっていました。

      この名簿の下には血で認めた署名があったのを記憶しています。

     ◎(誰の署名か?)

      隊長碇の署名です。

      ついで碇の一連の詳細な命令、

      すなわち如何に自動車に分乗し、

      如何にガソリン瓶を利用するか等、

      さらに帰還するかについての指示が若干ありました。

      これら2つの文書から20人乃至30人からなる決死隊が河-

      私はハルハ河と思いますが-を

      汚染したことが明らかになりました。

      翌日私は、これ等の書類を碇少佐に手渡しました。

      私がこれ等の書類を碇に手渡した時、

      さてこの結果はどうであったのかと興味を持ちました。

      碇は黙ったまま書類を引取りました。

      この作戦が行われた事実は争う余地がありませんが、

      その結果に就いては、私は何も知りません。

     

    ●  証言 元731部隊少年隊 千葉和雄、鶴田兼敏、石橋直方

     1989年8月24日 朝日新聞  (要約)

     「ノモンハン事件の戦場に川に、

     私たちの手で大量の腸チフス菌を流した」

     ホルステン川の上流から病原菌を流し、

     下流のソ連軍に感染させる目的で,

     ハルビン平房から軽爆撃機で輸送されて来た

     18リットルの石油缶22~3個に入った

     寒天状の腸チフス菌を川にぶちまけた。

     その際隊員の中に感染者が出て、

     死亡したものもあった。

     腸チフス菌を川に投入すれば流されて

     すぐにも効力がなくなることぐらいは

     石井らも知らないはずはない。

     あの作戦は細菌戦というよりも、私らの士気を高め、

     能力がどのくらいあるのかを調べる訓練のように思う。

     

    その後中国各地で細菌戦を行ない,

    最後には東南アジア、オ-ストラリア、

    アメリカまでが目標になってきます。

    しかし戦後の東京裁判では

    日本は731部隊の事は免責され、

    存在すら認めていなかったのですから、

    細菌戦も当然無かった事とされてきました。

    ところが最近になって細菌戦の実体が

    少しづつ明らかになってきました。

     

    まず1994年10月浙江省崇山村の農民たちが

    損害賠償を求める文書を日本大使館に

    提出しましたが、日本政府は無視しました。

    この動きがきっかけになって,

    1997年8月11日にはその細菌戦で被害をこうむったとして

    108人余りの内、代表で4人の中国人が来日し

    日本政府を訴えました。

    原告の108人は浙江省,湖南省の6ケ所の地域の人達です。

    今回述べる細菌戦は主として

    満州の731部隊と南京の栄1644部隊との

    合同で行なわれたものです。

    細菌戦による被害は1940年から出ていますが,

    米軍による空襲が始った1942年4月からは、

    その米軍基地が浙江省にあると判断した大本営は

    支那派遣軍に対し同省附近の掃討戦を命令し

    浙かん作戦と称され、その一環として

    細菌戦が強化されたのです。

     

    つづきを読む

  • 731部隊の組織

    2020/08/07
    15:42

    組織は本来秘密でしたから正確には分かりません。

    年代によっても変更があり

    人員の移動も激しかったと思われます。

    色々な資料を混ぜて製作しましたので

    その辺考慮して参考にしてください。

    解説ですが、別にして分かりづらいものは、

    少し長くなりますが一覧の中その都度に入れす。

    実際の731関係の資料では「課」は

    「科」になっていますが現代風に課にします。

     

    部隊長 石井四郎 軍医中佐 

           (1936年8月1日~1942年8月1日)京都大学

        北野政次 軍医少将

           (1942年8月1日~1945年3月1日)東京大学

        石井四郎 再任 軍医中将(1945年3月1日~終戦)

     

    総務部  川島清、村上隆、今津綱幹、

         中留金蔵軍医中佐、大田澄大佐

     副官室 景山杏祐、青木広市

     調査課 石光薫技師 川上技師

      翻訳班 秦正氏(軍医中尉・千葉医科大学出身)

      印刷班 小館美実

      写真班 小館兼務  土屋技師

      兵要地誌班

      調査班  臼井竹次郎

      図書室  新井??  田村清

     人事課 本部および支部の軍人、

         軍属の人事、審査などの業務を担当

       山下健次衛生少佐  工藤(嘱託)

     庶務課  本部各部課、各機関の連絡の統括を担当。

         所属部隊に指示、部署当を伝達する       

         高橋伝、篠原岩助衛生大尉、鈴木穐男

    労務班(労工) 工藤与四郎

    庶務室 飯田衛生大尉

    食堂

    酒保

    学校

    郵便局

    小学校

    自動車班

    警備班

     企画課  関東軍の作戦の必要にもとづき、

         細菌戦、毒ガス戦、防疫、給水などの計画を作成

      田部邦之助中佐(軍医学校卒)、

      二木秀雄技師

     経理課 経費の予算、配分、決算を担当。

         物資調達、賃金、物資供与などの業務  

       伊地治俊雄、佐藤??、堀田良一郎

     管理課  中村留八  

      建設班 永松喬 在田勉(技師)   

      工務班 小山博   

      動力班 在田勉   

      運輸班 増田??  

      電話班

     軍需課  鈴木??

     

    第1部 基礎研究

    部長 田部井和(技師・京都大学卒)   

       北川正隆、   

       菊池斉軍医少将(東京大学医学部卒ペストに関する研究者)   

       川島清(軍医大佐)      

      注:この第1部は世界でも一級の

        研究設備を持っていると言われた。        

        設備は細菌培養基製造用1トン容器-4缶        

        培養基滅菌用自閉缶14個

        (自閉缶には石井式細菌培養缶が各30個収容)        

        大型冷蔵庫1度に100個の培養器を収納できる。        

        石井式培養缶は一度に30キログラムの細菌

        (数にして3京と言われる)を製造

     第1課 チフス

      田部班 チフス研究 

       田部井和(技師・京都大学出身)

       古都ヨシオ 

     第2課 コレラ

      湊班 コレラ研究 秦正男、

         瀬戸川??(軍医少佐)

     第3課 生理・捕虜管理・凍傷研究・栄養失調の研究

       吉村寿人(京都大学出身、戦後 京都府立医科大学学長)

      吉田班 健康診断  吉田源二

      宮川班 レントゲン 宮川正

      栗秋班 薬理    栗秋要

      在田班 レントゲン 在田勉

    薬味班 薬理    草味正夫

    石井班 捕虜出入  石井利夫

    蓬田班 捕虜出入  蓬田三平

    志村班

    特別班 特設監獄  石川剛男

     第4課 赤痢

      江島班

      赤痢研究  江島真平(技師)

           藤井(軍医少佐)

     第5課 ペスト

      高橋班 ペスト研究 高橋正彦
                鎌田信雄

     第6課 病理

      石川班 病理研究 

        石川太刀雄丸

           京都大学出身、戦後金沢大学医学部部長

      岡本班 病理研究 岡本耕造  京都大学

     (第7課) 病理

     第8課 リケッチア・ウイルス 

      野口班  リケッチア・ノミ  野口圭一

        笠原四郎技師(北里研究所から、濾過性病原体に関する研究者)

        作山元治軍医少佐(慶応大学医学部卒)

     第9課 水棲昆虫

      田中班 昆虫研究  田中秀雄

      朝比奈正二郎

     第10課 血清    秋元寿恵美

      内海班 血清      内海薫

      小滝班 ツベルクリン  小滝

     第11課  結核・性病 二木秀雄(技師)

      肥之藤班 脾脱疽  肥之藤信三(脾脱疽の研究者)

      樋渡班           樋渡喜一

      降旗班   ペスト       降旗武民(軍医少佐)

      金沢班           金沢謙一

      大田班   脾脱疽(炭疽菌)  大田澄

      貴宝院班  天然痘       貴宝院秋雄(技師)

      二木班  結核       二木秀雄

     

    第2部 実施研究

    部長 早川工敏

       大田澄大佐   

       村上隆   

       碇常重軍医大佐

     第1課  

      航空班   平沢正欣  

      庶務     

      操縦班

     第2課  増田美保

      技術班   松尾光

      無線班   山田二郎

      気象班   山田兼務

      運輸班

     田中班(第3課?) 昆虫  

      田中英雄 技術中佐(理学士、蚤の研究者)    

        注:戦後 大阪市立医科大学長 

          私立兵庫医科大学で教鞭      

          約70人以上の人体実験 

          ネズミの習性に関する研究

          ネズミを使ってのノミ繁殖研究

       (班員)     

        田中淳雄軍医大尉(京都大学出身)     

        阿部徳光薬剤大尉     

        松田兵技中尉     

        米沢衛生中尉     

        浜崎曹長小山曹長     

        中井軍曹     

        渡辺伍長

     篠田班(第4課?) 昆虫(ハエとカの研究)   

        篠田統(技師)     

        八木沢班 植物菌    

        八木沢行正(技師)

     第5課  安達実験場  

        西田重衛

     

    第3部  防疫給水

    部長 今瀬一夫    

       江口豊潔(濾水機の研究者)    

       増田知貞薬剤少佐       

      注:正規の病院運営と給水が仕事だったが、  

        1944年からは細菌爆弾の製造をするようになった

     庶務課   中田秋市

     第1課 検索 佐藤??

     第2課 毒物検知 河島三徳(薬剤少佐)

     第3課  濾水機、弾筒製造窯

      濾水班

      給水班

      運輸班 越定男

      焼成班 鈴木重夫

      瀬越ケンイチ

         (ハバロフスクの証言では材料部第4課と証言)

      工作班 濾水機 小原定夫

          濾水機・弾筒製造窯

     

    第4部 細菌製造

    部長 川島清軍医少将

       注:1949年のハバロフスク裁判の

         川島清少将の証言によれば

          「・・・・第4部にあった生産能力

         及び全設備を最大限に利用すれば、

         この部が1ケ月にペスト菌300キログラム、

         或いはチフス菌800-900キログラム、

         炭素病菌500-700キログラム、

         コレラ菌1トン製造できたのである・・・・

       大田澄   

       大谷薬剤少将

     第1課  培養生産  

        鈴木啓之(軍医中佐)

        柄沢十三夫(軍医少佐・東京医専出身)

        軍属 尾関シゲオ

      培地班 班長 早川清    

        大量生産隊  小林隊(小林孝吉?)       

        技手    今野信次          

        篠塚良雄

     第2課  ペスト、脾脱疽 

        野口圭一

     第3課  乾燥菌、ワクチン   

        三谷恒夫軍医大尉  

        大西芳雄技師大尉  

        江田武一曹長

     第4課 ワクチン    

        小滝秀雄

      有田班 発疹チフスワクチン  

        有田正義 少佐

      植村班 ガス壊疽、脾脱疽   

        植村肇 大尉

    不明  朝比奈班  ワクチン製造  朝比奈正二郎

     

    教育部

    部長  

      園田太郎(軍医中佐)    

      西俊英(軍医中佐、孫呉支部長兼任)    

      永山太郎(軍医中佐)        

     部員 

        篠原鶴男             

        千田英男      

        大竹康二      

        溝渕俊美伍長

       注:1945年現在600名 

         主として衛生兵としての訓練が9ケ月行なわれた。  

         最初の3ケ月、個人教練、分隊教練、

         中隊教練等一般的な戦闘行動の基礎教育。  

         6ケ月は衛生部門に関する教育。  

         その後731部隊の各部門に配属された

     庶務課  佐藤実

     教育課  山下建次

     衛生兵

     炊事班

     診療所

     錬成隊

     少年隊 少年隊員を訓練し各所で作業をさせた

      隊長 田部邦之助軍医少佐  
         佐々木重吉(衛生少尉)
      隊員 阿部徳光    

         斉藤和勝    

         藪本勇    

         小笠原明    

         篠塚良雄    

         鎌田信雄    

         鶴田兼敏

     

    資材部

    部長 大谷章一(薬剤少将)

       柴野金吾
     庶務課 萩原博治

     第1課(薬品合成)  草味正夫    

      山口班(細菌弾) 山口一孝    

      堀口班(ガラス) 堀口鉄夫

     第2課(購買補給)  浜武正喜

     第3課(濾水機)    鈴木??

     第4課(倉庫)     萩村兼務

     第5課(兵器保管)   目黒??

     第6課(動物飼育)   石井三男

     

    診療部  

    部長 永山太郎軍医大佐(流行性出血熱の研究者)

    注:診療部といわれていますが、

      他の部と協力して生体実験をしています。

        他の部隊員の証言では

        診療部から来る時は

       看護婦が同行していたことで分かったそうです。

      看護婦  赤間まさ子

      ハルピン伝染病棟        

      平房診療室        

      家族診療所

    薬剤部

     薬理研究室     

        現地資源利用に関するさまざまな薬理研究を担当

     衛生材料補給課   

        機械、薬品、消耗品の生産および

        修理、備蓄、供給などの 業務を担当

     憲兵室  乙津一彦
          田坂千晴(憲兵曹長田坂具隆と同一か?)       

          酒井??

      保機隊

     

    731部隊の実際の関係書類では

    色々な氏名が出てきます。

    しかし所属が「科」のみで「部」が書いてありません。

    そこで氏名だけを書いてみます。

     

    ●論文「きい弾射撃に因る皮膚障害並一般臨床的症状観察」

     池田苗夫 軍医少佐

       注:加茂部隊、池田苗夫となっています。

         加茂部隊は731部隊の事です。

     

    ●論文「破傷風毒素並芽胞接種時に於ける筋(クロナキシ-)に就いて    

     池田苗夫 軍医少佐

     荒木三郎 陸軍技師

        注:恐らく診療部の所属と思われます。

     

    ●第5回石井部隊研究会記事   昭和15年4月24日

     第1科   佐藤大雄  陸軍軍医少佐

            村田良介  陸軍軍医中尉

            村上醇    陸軍軍医中尉

          村上仁男   陸軍軍医少尉

           山中太木   陸軍技師

     第2科    柴田進     陸軍軍医少尉

           笠木甲一  陸軍軍医少尉

           岡田子    陸軍軍医少尉

     第3科  小川透     陸軍軍医少尉

           児子廉夫   陸軍軍医少尉

           樋口正人   陸軍軍医少尉

     第4科  星野隆一   陸軍技師

           工藤益夫   陸軍薬剤中尉

     

    ●研究報告「満州に於ける流行性出血熱の発生並に分布(其の三)」

       所属不明  陸軍技手 楠本健二

     

    ●本部の平面図です。

    SCN_0090

     

     

     

    つづきを読む

  • 防疫給水部から731部隊に

    2020/08/05
    16:54

    [ 陸軍軍医学校防疫研究室 ]
    1932年4月1日、陸軍軍医学校内に

    防疫研究室(防研)が梶塚隆二を主幹として

    設立されましたが、これは名目上で、

    実際には8月に石井四郎を中心にして

    活動し開始したようです。

     

    ● 陸軍軍医学校50年史から(読みやすくしてあります)

     ・・・・ひるがえって事変(注:満州事変の事)前における

     世界の情勢と本邦医学界における現況とに鑑み、

     学校においては戦疫予防に関する

     研究の1日もおろそかにすべからずを痛感し、

     1部これの研究に着手していたが、

     たまたま今次事変の突発に際し、

     本予防法の研究はいよいよ切迫せる

     国防上の要務となりし為、

     遂に上司の承認する所となりて

     昭和7年4月防疫部建物地下室の1部を改造し

     応急的に防疫研究室(主幹2等軍医正・梶塚隆二)の

     新設を見るにいたれり・・・・

     小泉親彦教官の絶大なる支援の下に

     上司の認むるところとなり、

     軍医学校内に石井軍医正を首班とする

     研究室の新設を見るにいたりしものなり・・・・

     8月・・・・石井軍医正以下5名の軍医を

     新たに配属せられ防疫研究室を開設す・・・・

    注:防疫部の設立は1922年(大正11年)で

      ワクチン生産が目的でした。

     防疫研究室の目的は今までの防疫学教室や

    防疫部や軍医学校とは 少し異質な

    生物戦の研究にあったのです。


    1933年秋、防疫研究室は

    鉄筋2階建の独自の研究棟に移り、

    細菌の大量培養が行なわれました。

    この研究室は軍医学校と言うより

    陸軍省上層部の意向で作られたもので、

    通称石井機関と呼ばれ、

    全国から優秀な医学者が集められるようになりました。

     

    [ 陸軍防疫給水部 ]
    新宿の戸山に出来た陸軍軍医学校防疫給水研究室は

    陸軍軍医学校と陸軍参謀本部の

    両方から指揮・命令を受けていて、

    軍医学校から見ると防疫研究室と呼ばれ、

    参謀本部からみると防疫給水部となります。

    部隊は石井四郎軍医少将をトップに

    技師、技手、技術雇員、医学部の学者、

    研究者、医師等で組織される300人位の集団でした。

    組織は1研から17研の研究室に別れていました(1943年当時)

     

    この防疫給水部(研究室)はほかにもあった

    多くの部隊を統括した中枢機関でした。  

    ◎統括した組織  

     731部隊を始めとした5つの防疫給水部隊(細菌戦部隊)
     各支部としての部隊
     60以上の師団の防疫給水部
     野戦防疫給水部


    では何処に秘密の仕事をしていた

    防疫給水部隊はあったのでしょうか?

     

    現在わかる範囲です。
     満州・ハルビン 関東軍防疫給水部      通称 731部隊
     中国・北京     北支那派遣軍防疫給水部 通称 甲1855部隊
     中国・南京     中支那派遣軍防疫給水部 通称 栄1644部隊   
     中国・広東     南支那派遣軍防疫給水部 通称 波8604部隊
     シンガポ-ル    南方軍防疫給水部    通称 岡9420部隊

     

    これらの5つの部隊は

    それぞれ多くの支部をもっていましたから、

    かなりの大きな組織になります。

    またこれら以外にも、

    満州には馬の病気を研究する

    関東軍軍馬<獣>防疫廠(通称100部隊)があり、

    そちらも細菌戦を行っていて、

    アメリカで問題になった炭素菌の

    人体実験を行なっています。

    日本国内では陸軍の

    登戸研究所が細菌戦の研究を行なっています。

     

    話を先に進める前に、

    簡単な各部隊の設立や場所の地図を掲載しておきます。

        注:字が細かいので拡大してみてください。

     SCN_0089

     

    [731部隊へのスタ-ト]

    細菌戦を目的とした防疫給水部隊は、

    この731部隊から始まりました。

    まずはどの様にしてこの部隊が出来たのでしょうか?

    1925年(大正14年)、

    生物化学兵器の使用を禁止する

    ジュネ-ブ議定書が締結されましたが、

    石井四郎は逆にこれを利用する事を

    思い付いたと言われています。

    陸軍の中で地位が低かった

    軍医の立場を上げるために

    細菌兵器の研究や準備をしようと思ったのです。

    1923年(昭和3年)から2年間石井が20ケ国の海外視察をしました。

    帰国後石井は軍医学校防疫部の教官になり、

    気迫と熱弁で戦争に於ける細菌戦の必要性を説き、

    陸軍省医務局衛生課長梶塚隆二や

    小泉親彦(後の医務局長)の支持を得ました。

     

    ●「陸軍軍医学校50年史」 から石井の発言

     ・・・・最強諸国は細菌戦の準備を行なっており、

     もし日本がかかる準備を行なわないならば、

     将来戦に於いて日本は大きな困難に遭遇するだろう・・・・

     

    資源の乏しい日本で安い費用で生産が出来、

    殺傷力が強い・・・・と言う石井の主張は、

    参謀本部の鈴木率道(作戦部第1課長)や

    陸軍省の永田鉄山(軍務局軍事課長)を動かしました。

    陸軍は予算が乏しかったにもかかわらず、

    裏金として特別会計から20万円が石井四郎にあたえられ、

    毎年のようにこの極秘予算は増額されました。

     

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