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上海、塘沽、大連から船に乗せられた
中国人労務者は日本の
下関、大阪、神戸、富山等に上陸し、
そこから全国に転送されました。
当時は戦争末期で日本に不利な状況で、
海上輸送は非常に危険を極め、
さらに物資を運ぶ船さえも
不足していた状態だったのです。
その為中国人たちは貨物船に
石炭、塩、鉱石と一緒に積み込まれ、
危険を避けるために迂回して航行したため、
かなりの日数を要しました。
日数は早いもので4日、長
いもので39日もかかっています。
連行と収容所での生活でかなり
衰弱していた中国人たちは、
日本への輸送途中や各地の作業所への
転送途中でもかなり死亡しています。
●途中での平均死亡率 2.1%
特にひどいのは
●伊藤組置戸作業所へ配送された
労務者の途中死亡率 16.6%
●北海道炭鉱空知天塩への配置では
23%が途中死亡しています。
この数字は連行や作業だけではなく、
輸送途中でも残酷だったことを物語っています。
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