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キーワード「赤筒」を含む投稿一覧

  • 東南アジア・太平洋地域での毒ガス使用

    2020/08/04
    11:08

    アメリカによる日本の毒ガス調査

    (日本軍が化学兵器あるいはガス兵器に訴える

    意図を示す事件および証拠の調査)には

    東南アジアや太平洋地域での使用例が書かれています。

     

    季刊戦争責任研究第40号の吉見嘉明論文を参考にします。

    ●マレ-

     日本軍は青酸手投弾・催涙ガス手投弾を携行している。

    ●ビルマ

     1.赤筒を捕獲

     2.戦車に対する手投弾(青酸)の使用(2回)

    ●南西太平洋

     1)1942年12月25日、ニュ-ギニアのSapetoで、

        日本軍が催涙ガス筒・嘔吐性ガス筒を放棄。

     2)1943年2月6日、ガダルカナル島で青酸ガス手投弾を捕獲

     3)同年2月8日、ガダルカナル島で青酸ガス手投弾を捕獲

     4)同年1月23日・28日、包囲された日本軍部隊がガスを使用

     5)1942年10月28日、ニュ-ギニアで捕獲された

        第144連隊第7中隊記録には、   

        発炎筒を使い果たしたとの記述あり。

     6)ブナで捕獲した捕虜の供述によれば、

        サイパンでガスマスクを置いてくるよう命令された、という。

     7)ブナで捕獲した別の捕虜の供述では、

        ラバウルでガスマスクを置いてくるよう命令された、という。

     8)ポ-トモレスビ-で捕獲した捕虜の供述によれば、

        あか筒・ガス手投弾などを

        ポ-トモレスビ-攻撃のために携行した、という。

     9)ブナで捕獲した捕虜の供述によれば、

        攻撃用の毒ガス訓練は受けなかった、という。

     10)ブナで捕獲したルースリ-フは、

        ガス手投弾が携行されていることを示している。

     11)Kokodaで捕獲した捕虜の供述によれば、

        ラバウルでガスマスクを置いてくるよう命じられたため、

        だれもガスマスクをもっていない、という。

     

    日本軍は1944年7月14日に

    毒ガス使用を中止する命令を出していますが、

    孤立して小さな部隊はその後も使用を続けています。

    ニュ-ギニア北部のビアク島の山中で孤立した部隊です。

     

    ●ビアク島における日本軍の嘔吐性ガス

       使用説に関する総括報告 1945年4月25日

       アメリカ陸軍兵站司令部主任化学将校ジョン・リディック中佐

     1945年3月6日夜8時、日本兵が99式あか筒を2本使用した。

     第579対空警報中隊の5名の兵士が嘔吐した。

     中隊全体に頭痛と眼・咽喉の軽いヒリヒリ感を訴えるものが生じた。

     急襲であったため、ガスマスク装着が間に合わず、

     その防護効果はなかった。

     翌3月7日朝10時15分、フィルム・装備交換所で、

     あか筒2本が使用された。

     附近の兵士が頭痛とノド・鼻の痛みを訴えた。

     ガスマスクの使用は効果があった。

     

     

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  • 毒ガスの実戦使用

    2020/08/03
    10:05

    侵略戦争初期の1937年8月から、

    毒ガスの筒や弾丸、

    爆弾を使用してはいましたが、

    当初は主として催涙ガスや

    くしゃみ性ガスを使用していました。

     

    ●北支那方面軍第一野戦化学実験部の要報 1937年9月

     ・・・・支那軍に対するあか剤の使用は

     極めて有効なり・・・

     

    しかし9月になると早くも

    猛毒のきい弾(イペリット)を使用し始め、

    その後は徐州、山西、武漢と、

    どんどん毒ガス戦をエスカレートさせてきました。

    特に武漢作戦では大量に使用するように

    大本営から命令が出されました。

    中支那派遣軍の資料によれば、

    そのために準備された毒ガス弾は

    30万発(充填された毒ガスは約300トン)で、

    実際に使用したのは53,000発でした。

     

    ●中支那派遣軍の総括報告

     ・・・・武漢会戦では実施総回数は

     375回を下らず、その8割は成功し・・・・

     

    1938年の終り頃になると戦線が拡大し過ぎ、

    補給が追い付かず、悪天候、病気、栄養不良等の為、

    日本軍はかなり弱体化しました。

    それに中国軍の抵抗も重なってかなり苦戦を強いられ、

    負ける戦闘も多くなります。

    そのためますます毒ガスに頼るようになってきました。

    使用する毒ガスの種類も増えました。

     

    ●1939年5月13日 大陸指第452号

     ・・・・きい剤等の特種資材を使用し・・・・

     

    それ以降は「きい」のイペリットや

    ルイサイトをどんどん使用するようになり、

    戦闘にかろうじて勝つようになります。

     

    ● 歩兵第65連隊第11中隊と第12中隊の陣中日誌から

     1939年の襄東会戦での部分です

    「戦闘要報」

      江口隊命令 7月26日14時於漢川

     1    密偵報に依れば脈旺嘴付近に在る

        128師大隊長周幹臣は

        部下主力(約7百、砲2門)を以て

        近時盛んに跳梁を試みつつあるものの如し。

     2 大隊は一部を以て該敵情捜索し、

        要すれば敵を求めて攻撃し之を捕捉殲滅せんとす。

     3    第11中隊は中隊の主力、

        今井少尉の率いる機関銃1箇中隊、擲弾筒1箇分隊(3筒)、

        小行李より、赤筒1駄を併せ指揮し、

        本26日24時漢川出発

        先ず分水嘴に至り当地警備隊を其の指揮下入れ

        脈旺嘴官山付近の敵情並びに地形を偵察すべし。

    「日誌」から

     14時より下士官集合教育西南門外において

     矢吹少尉教官、夜間より払暁にわたり陣地攻撃。

     対抗部隊第12中隊、

     個人空砲30発防毒面携行、

     赤筒および緑筒を使用す。(8月17日)

     

    毒ガスの使用は圧倒的に中国で行われていますが、

    東南アジアでも使用されたことが

    アメリカ軍の押収資料にあります。

    吉見義明教授が確認したものです。

     

    ● 守備隊参考綴  

       アドミラリティ諸島のロスネグロス島で押収(原文カナ)

     住民からの情報を得る方法について

     ・・・・検索は恫喝的手段にして

     赤筒又はみどり筒を使用し、

     或いは部落の焼却、住民の鏖殺を宣言し

     又空包実包を使用する等各種の手段あり・・・・

     赤筒の使用に関しては全住民

     (壮年の男子のみ老人婦女子を除く)を

     適当なる一室に入れ赤筒を炊き

     適当なる時期に扉を開放し

     全住民(男子)を室外に出し

     新鮮なる空気を吸入せしむべし 

     量及び時間を誤りては犠牲者を出す怖あるが故なり 

     (6~8坪の室に於て赤筒1本にて夏季3分間 

     其の他約4分間迄は可なり) 

     之を3~4回(3~4回以上の赤筒使用は危険)反復す・・・・

      注:住民から情報を得るために

        毒ガスを使って脅迫したのでしょう

     

     

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  • 河北省北坦村の虐殺と毒ガス

    2020/07/14
    15:48

    当時中国共産党が遊撃戦で日本に抵抗した地域は

    形の上では日本に制圧されていたが、

    半農半兵の村民がほとんどで敵と味方の区別も出来ず、

    日本としての治安を保つことが困難でした。

    特に多くの村では地下道を作って抵抗していました。

    冀中(河北省中央)作戦は

    1942年5月1日から6月20日までの作戦でしたが、

    北坦村の虐殺は作戦第3期の5月27日に起きました。

    参加した部隊は

    日本軍第110師団(師団長飯沼守中将)

    163連隊(連隊長上坂勝)大江大隊です。

     

    ●大江大隊長の回想 歴史叢書 北支の治安戦(2) 原文カナ

     当地区は中共側が平原地拠点の

     モデル地区と称していた所であり、

     交通壕、地下壕の構築が進み、

     ほとんどの部落が地下施設を設け、

     三ケ村約7~8キロの間を

     地下壕で連接したところさえあった。

     また部落民の抗日意識が強く、

     半農半兵の状態で、

     老幼婦女すら何らかの抗日団対を組織しており、

     ために各隊の実施する粛清は極めて困難であった。

     (5月27日)・・・・大隊は払暁までに北坦村を完全に包囲した。・・・・

     直ちに部落外囲の坑道及び

     部落内の坑道を捜索し、

     隣村に通ずる坑道は遮断した。

     部落内の坑道、地下道には敵兵が充満しており、

     頑固に抵抗するので手間取ったが、

     これをことごとく殲滅し多数の鹵獲品を得た。・・・・

     敵は苦しまぎれに次々と穴の中から出てきた。・・・・

     本当の住民もいたであろう。

     

    日本軍はこの時地下の入口に毒ガスを投入しました。

    毒ガスは通称「あか」ジフェニ-ルシアンアルシンでした。

    多くの人はガスで死にましたが、

    地下から引きずり出された瀕死の赤ん坊や

    老人民兵は皆殺しされました。

    女性は強姦されてから殺されました。

    被害は800人とも1000人とも言われています。

     

    ●日本軍第163連隊長上坂勝の供述 

         1956年中国人民共和国最高人民法院軍事法廷にて

     ・・・・内容は全て事実である。

     私がその虐殺を直接に命令した・・・・

     私の命令により、

     この地域で人間の目玉をくり抜き、

     鼻をそぎ、耳をそいで殺した

     

    ●1955年5月14日の上坂勝の供述記録には

     毒ガス兵器の赤筒と緑筒を傘下の大隊に配った

     第一大隊はそれを使用した

     毒ガスの使用は110師団の命令であった

     

     

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