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キーワード「BC級裁判」を含む投稿一覧

  • 知られなかった慰安婦問題

    2020/08/27
    16:03

    日本の戦争犯罪者に対する裁判は、

    A級裁判として主要戦争犯罪人、

    BC級裁判として通常の戦争犯罪人が裁かれました。

    中華人民共和国はABC裁判に属さず

    独自に軍事法廷を開きました。

    A裁判は東京で開かれた極東国際軍事裁判(通称東京裁判)、

    BC級はアジア各地で開かれました。

    (BC級と中国の軍事法廷については別の

    「大東亜共栄圏のレポ-トに書きました」)

     

    そのどの裁判でもオランダのBC級スマラン事件や

    桂林の事件を除いては、ほとんど取り上げられていません。

     

    ● スマラン事件 

     インドネシアで日本軍の捕虜になった

     オランダ人女性が強制的に慰安婦にさせられた事件です。

     オランダがインドネシアで開いたBC級裁判で、

     11人の軍人軍属が死刑を含む有罪判決を受けました。

     しかし、被害者の対象は、ほとんどアランダ人の女性に限られ、

     アジア人女性のことは取り上げられていません。

     欧米人のアジア蔑視があるように思われます。

     スマラン事件については後で書きます。

     

    東京裁判では、

    戦争犯罪の罪名は沢山ありますが、

    強姦は殺人や掠奪、強盗と一緒に取り上げられています。

    その為多くの訴えや証言がありながら、

    強姦罪としては裁かれませんでした。

    そこで何故最近まで問題にならなかったのか

    理由を考えてみました。

     

    ● 戦争をするのも男、裁くのも男、

     兵士(男)は戦争が終わって、勝てば英雄として帰国し、

     負けても死者は神として国家で祭られ、

     生きていれば一生年金(恩給)をもらえます。

     このような男中心の社会では

     「戦争に強姦や売春はつきもの」

     と言う考え方が万国共通の意識だったのです。

     だから女性に対する人権侵害だとする意識がありませんでした。

     慰安婦に対する訊問でも単に売春婦として扱われています。

    注: VAWW-NETJapan(戦争と女性への暴力-日本ネットワ-ク)が

        1999年8月15日と2000年4月23日に

        靖国神社に集まった元軍人たちに

        「慰安婦」についてアンケ-ト調査をしました。

        それによると、3分の2以上が「慰安所制度は必要」

        「慰安婦に謝罪・補償の必要はない」と、答えたそうです。

        そこには 戦争犯罪、性奴隷制、

        女性への人権侵害という意識は見られません。

    ● 裁くほうも、裁かれるほうも男ですから、

     戦争で人を殺したことは堂々と言えます。  

     しかし強姦や慰安所へ行く事はみっともなくて

     口に出しづらい面があり、  

     ぼかして済ませてしまう傾向があります。

    ● 強姦は陸軍刑法で厳しく罰せられていたので

     加害証言が出づらい。

    ● 日本軍が関連文書を徹底的に焼却し証拠隠滅を図った。

     しかしまだかなりの証拠文書が

     国に隠されていて非公開になっています。  

     少しずつは公開が始まっていて

     市民団体の調査が進んでいます。

     また国会議員でも超党派で取り上げられようとしています)

       注:自治省(総務省)だけで見ると2万メ-トルにも及ぶ

         戦争資料が保存されているといわれます。

                     (2003年現在)

     注:100名以上の国会議員が超党派で

       戦争資料調査及び公開に関する議案を

       国会に提出しています。

          (2013年現在国会ではまだ取り上げられていません)

    ● 戦勝国の政治的思惑

     東京裁判では途中で朝鮮や台湾に関する事が

     ウヤムヤになってしまいました。

     このことは恐らく日本の植民地政策を裁くと

     連合国が自らの首を絞める事につながるので

     政治判断で避けたものと思われます。

    ● アジアの被害国は、当面、

     戦乱で荒れた国土を再建し、

     経済復興を最優先にしなければなりませんでした。

     そのため、日本からいかに金を取るか、

     経済的に友好を保つかが目的で、  

     慰安婦の問題もさることながら、

     国民個人の被害についても後回しにしていまいました。

    注:2002年2月に田嶋陽子議員(当時)が

      インドネシアを訪問した時に、

      インドネシアのユスリル法務人権大臣は

      「インドネシアと日本の経済発展のためには

      過去の事よりも、日本との経済関係の

      未来のことの方が重要だ」と発言しています。

    注:マレ-シアでも名乗り出た元慰安婦に対して、

      マレ-シア政府は政府間で決着済みで

      経済協力が大事だとして、

      元慰安婦の訴えを却下しています。

     

    被害にあった女性は戦争が終わっても

    心や体の傷は一生消えることはありません。

    女性たちは・・・・

    純潔を失えば女性として無価値と言う

    意識に一生縛られたとえ強制とはいえ、

    売春したという罪悪感を持ち           

    生まれ故郷では汚い裏切り者と唾をかけられ           

    家族は「家の恥じ」と考え           

    社会は売春婦として蔑み

    この中で一生を生きるのです。

    ですから黙っていて名乗り出なかったのです。

     

    そして90年代に入って、

    やっと韓国の元慰安婦が証言を始め、

    その後続々と証言者が現れるようになったのです。

     

    つい最近1990年代の事です。

     

     

    つづきを読む

  • 英国の BC級裁判記録

    2020/08/21
    10:17

    次はBC級裁判記録からです

    ● 英国によるBC級裁判での訊問記録です。

     この事件は、ビルマ南東部モ-ルメン地方の

     インド人の村、カラゴンを襲った日本軍が

     600人以上の住民を虐殺した事件です。

     日本軍の部隊は第33師団歩兵第215連隊第3大隊です。

     この裁判で大隊長の市川清義少佐は

     死刑判決を受けています。

     その中で慰安婦に関する部分の

     検察と大隊長のやり取りです。

     このやり取りを見ると、

     女性の調達が軍の命令で行われた事がわかります。

          

    Q.どのようにして彼女たちを選んだのですか?      

    A.私は女性たちに、

     チャウンナクアで我々のために働きたいと考える者で、   

     子どもがいない者は志願してよいと言いました

    Q.選ばれた女性たちはみんな

     若い女性であったというのは事実ですか?

    A.はい

    Q.一般的に慰安婦として知られているように、

     日本軍に奉仕させるために地元の女性を集めるのは、

     日本軍がいつもやることではないですか?

    A.一般的な考えがどうであったのかは分かりません。

     私は彼女らを連れてくるように

     直接、命令され、そして連れてきたのです。

    Q.あなたは日本軍の慰安婦にするために

     彼女たちを連れてきたのではないか?と

     私は言っているのです。

    A.日本軍では師団からの命令がなければ、

     慰安所でサ-ビスする女性たちを

     雇うことは出来ません。

                    以下省略

     

     

    つづきを読む

  • ビルマの住民虐殺

    2020/07/23
    12:52

    1942年1月4日、

    日本陸軍第15軍はタイで編成されたビルマ独立義勇軍と共に

    タイ国境からビルマへと侵入を始めました。

    3月にラング-ン、5月にはマンダレ-と

    占領地を広げ軍政を開始しました。

     

    ●ビルマ独立義勇軍

     開戦前に日本軍は密かに

     ビルマのタキン党員30人を軍事訓練し、

     それらが中心になってタイ領内で

     ビルマ独立義勇軍が組織されました。

     

    8月1日に第15軍は「ビルマ中央政府」の開庁を指示し、

    行政長官にバ-・モウ氏が指名されました。

    翌1943年8月1日には

    「日本・ビルマ同盟条約」が結ばれました。

    その後連合軍の反撃で戦況は悪化し、

    1944年3月8日からのインパ-ル作戦は敗北で

    7月2日に中止されました。

    インパ-ル作戦は72,480人の日本兵が

    戦死、病死した作戦でした。

    日本・ビルマ同盟条約の内容は

    日本の大東亜戦争に協力する内容になっています。

     

    ●日本国ビルマ国間同盟条約 昭和18年条約第9号 

    8月1日発効、8月4日公布 原文カナ

    第1条 日本国「ビルマ」国は大東亜戦争完遂の為

         軍事上、政治上及び経済上あらゆる協力をすべし

    第2条 日本国「ビルマ」国は大東亜各国の共栄を趣旨とする自主的発展

         及び大東亜興隆の為の共同の建設に付相互に緊密に協力すべし

            以下省略

     

    ビルマでも日本軍による住民虐殺は沢山あったようです。

     

    その中でも最も大規模な事件はカラゴン村の虐殺です。

    ビルマ南東部モ-ルメン地方にある

    インド人の村カラゴンは

    イギリスの136部隊に好意的な村でした。

    スパイ行為の疑いを持った

    第33師団歩兵第215連隊第3大隊と憲兵隊は、

    1945年7月7日その村を襲い村人を集め取調べをしました。

    そして翌日の7月8日、約640人の村人を虐殺したのです。

    生き残った村長が確認したところ、

    殺されたのは、男174人、女195~196人、子ども266~267人、

    合計で637人になりました。

    11日に戻って来た日本軍は村に火をつけ、

    約10人の女性を連行しました。

    この事件はイギリスによるBC級裁判で裁かれ

    第3大隊長市川清義少佐は死刑になっています。

     

    ●その時の市川の訊問内容です。

     Q:あなたは女性や子どもが日本軍に敵対する行為を行なっていたと本当に考えているのですか

     市川:はい

     Q:幼児を殺した事をどの様に正当化するのですか

     市川:子ども達を扱う他の選択肢はありませんでした

     Q:もう少し詳しく説明してください

     市川:第一に、私が受けた命令の中に

        子ども達を殺す事も含まれていました。

           もし私が子ども達を救っても、

        彼らは孤児になり生きていく事は出来なかったでしょう。

           時間を節約し、私の任務を遂行するために

        私は彼らを殺さざるをえなかったのです。

     

    当時討伐がどの様な雰囲気で行なわれたのか資料を見てみます。

     

    ●兵隊蟻が歩いた  古山高麗雄陸軍1等兵

     ・・・・あの匪賊討伐というのも変なものであった。

     班長の話では、兵隊がたるんでいるので、

     気合を入れるための匪賊討伐だという。

     演習代わりだというのであった。

     本当にそういう趣旨のものであったのか、

     それは単に班長がそんなふうに言っただけなのか、

     私には分からないが、

     その討伐では、村が焼かれ、

     見せしめの為の公開斬首が行なわれた。・・・

     ビルマ族は親日的、カレン族は親英的、

     従ってカレン族はスパイであり匪賊とされた。

     神国の軍隊には、そのような考え方で、併

     せて演習代わりに匪賊討伐に出かける体質があった。・・・・

     

     

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  • インドネシアのロ-ムシャ・労務者

    2020/07/23
    11:22

    1943年になると軍への労務提供、

    特に拡大した戦線の防衛工事に

    強制的にロ-ムシャが連行されました。

     

    ●労働力を集める手段として、

     最初は青年団や警防団が組織され

     勤労奉仕隊に組み込まれていきましたが、

     1943年には県や州ごとに「労務協会」が設置され、

     日本軍から各行政機関に強制的に割り当てされるようになりました。

    ●1943年7月、

     ジャワの第16軍とマカッサルの海軍当局との間で

     「労務供給に関する陸海軍現地細目協定」が締結され、

     10月には南方各軍労務主任者会議が開かれて

     労務者の強制募集が始まりました。

     

    強制的に徴用された「ロ-ムシャ」は、

    ジャワ以外のニュ-ギニアや

    ビルマの泰緬鉄道に連行されただけでも、

    日本側資料で20数万人、

    インドネシア資料では30万人とされています。

    そのうち約70,000人が死亡したといわれます。

    ロームシャ、兵補、慰安婦・・・・

    その他色々な名目で強制連行された人数まで入れると

    インドネシア資料では410万人となっています。

     

    戦況が悪化してくると、

    日本軍はインドネシアの独立を匂わせながら、

    アメリカからの攻撃を防ぐために

    日本軍の補助として「兵補」の制度を作りました。

    兵補については次の項目で説明します。

     注:ヘイホと言う言葉も現地に残っています。

       兵補は4~5万人が採用され、

       ビルマやニュ-ギニアの戦線に15,000人が送り込まれた。

       しかし実態はよく分かっていません。

     

    ロ-ムシャやヘイホ等で農村の

    耕作人口が減ったにもかかわらず、

    日本軍による米の強制供出が強化され、

    そのためにジャワのスマラン病院だけで、

    1943年には4ケ月で168人、

    1944年には2ケ月で199人が餓死しています。

     

    ロームシャに関する証言を2つ

    ●E・J・Hコーナ- 思い出の昭南博物館 から

    博物館と私たちが住む小さな家との間にある

    バラックには、数百人のジャワ人が詰込まれているのに、

    彼らの渇きを癒すための水道の蛇口は1つしかなかった。

    夜になると、せきとたんを吐く声が絶え間なく聞こえてきた。

    私は耳に脱脂綿をつめ、ばんそこうでふさいたが、

    それでも寝られなかった。

    どぶねずみが死体を貪り食らって繁殖していった。

    ハエも死体に群がった。

    まるで地獄絵、地獄とはこのようなものであろうかと

    道行く者は身震いした。

     

    ●アミルディン・ジュマディ  1985年4月22日 証言

    ロ-ムシャたちの状態は非常に深刻でした。

    そのほとんどが痩せ細っていて、私が見たところ、

    樹の皮で急所を隠すだけの人もいました。・・・・

    彼らがどうやって食べているのか私には分かりませんでした。

    私たちでさえ食事に事欠く時代だったからです。

     

    労務者の人数に関して日本側が調べた調査があります。

    日本側の資料ですから実際よりはかなり少ないでしょう。 

    またほとんどが強制と考えてよいと思います。

    ●1944年11月、日本軍の労務者分類調査

    分類

    人数

    兵補

    15,271人

    義勇軍

    36,067人

    常用労務者(女性 450,998人)

    1,356,271人

    臨時労務者(女性 69,345人)

    738,844人

    技能者(女性 12,605人)

    277,153人

    勤労士

    200,085人

    合計

    2,623,691人

     

     

    アジア各地ではどこでも同じでしたが、

    日本軍が占領した所ではすべて

    「ケンペイタイ」と言う言葉が残っている位、

    憲兵は恐れられていました。

     

    ●バルカ・アルガニス・バスウエダンさんの証言 

    1975年8月22日

    私が覚えている事は、恐らくケンペイタイが

    あまりに乱暴だったからでしょう。

    人々が日本に協力する事を恐れていた事です。

    それで、自分から進んで日本のために

    仕事をしようとする人はいませんでした。

    当時は、怖がる人の方が多かったのです。

    ですからみんな日本に協力して利を追うよりも

    自分の命を大切にしようとしていました。

    なぜなら、何か間違いを犯したら

    日本の罰則では死刑になると思っていたからです。

    日本軍が入ってきた時にはすでに役所で働いていた人たちは、

    そこから移ることが出来ませんでした。

    ちょっとした過ちでも平手打ちでしたので、

    みんなは特に体罰を恐れていました。

    バゲロ-(馬鹿野郎)と言って頭を叩くのです。

    私がケンペイタイと聞くと震え上がってしまうのは、

    私の親友が彼らの暴力を受けて怪我をして、

    障害者になってしまって以来のことです。

     

    ●アミルディン・ジュマディさんの証言 1985年4月22日

    忘れられない出来事としては、

    プルンパン地区近くの川辺で、何の罪かは知りませんが、

    日本人が7人に首斬りの刑を執行したことがあります。

    多分ケンペイタイだったと思います。

    おおぜいの人が見物していましたが、

    私は遠くから対岸から見ていただけでした。

    なぜなら、悲しくて恐ろしかったからです。

    日本人はその7人を埋めるための穴を用意していたそうです。

     

    敗戦が近くなると、インドネシア住民が

    アメリカ軍に通じているのではないかと疑いを持った日本軍は

    見せしめに住民を虐殺しています。

     

    ●ポンティアナ(ボルネオ島西海岸)  

     1973年から翌年にかけて 1,500人の住民を処刑

    ●ババル島(チモ-ル島の東)

     横暴な日本軍に対して弓矢と山刀だけで

     抵抗し山に立てこもった島人に対して、

     3回の討伐作戦を行ない、

     逮捕したり説得に応じて投降してきた住民を

     銃殺、刺殺しました。

     海軍を守備隊が引上げた後、

     森林内から戻ってきた住民は90人ほどでした。

     もともと700~800人の地域でしたから、

     600~700人が虐殺されたと思われます。

     さらに連行された10~20人の女性は慰安婦にされています。

    注:この事件は1994年2月19日、

      テレビ朝日系「ザ・スク-プ」で放映されました。

      事件に関与した元日本兵は証言で、

      山中に避難していた女性・子供を含む住民を誘い出し、

       無抵抗の状態で殺した事を認めました。

     

    敗戦後のBC級裁判では、

    インドネシア地域で延べ1,000人あまりの

    日本軍人・民間人が有罪とされました。

    しかし、ほとんど連合軍つまり欧米人に対しての罪名で、

    現地住民に被害を与えた事に対する

    裁判は少なかったとされています。

     

     

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  • 取り上げられなかった慰安婦問題

    2020/07/06
    14:42

    日本の戦争犯罪者に対する裁判は、A級裁判として主要戦争犯罪人、

    BC級裁判として通常の戦争犯罪人が裁かれました。

    中華人民共和国はABC級裁判に属さず独自に軍事法廷を開きました。

    A級裁判は東京で開かれた極東国際軍事裁判(通称東京裁判)、

    BC級はアジア各地で開かれました。

    そのどの裁判でも慰安婦の事は

    オランダのBC級スマラン事件、

    桂林の事件などわずかしか取り上げられていません。

     

    ●スマラン事件 

     インドネシアで日本軍の捕虜になった

     オランダ人女性が強制的に慰安婦にさせられた事件です。

      オランダがインドネシアで開いたBC級裁判で、

      11人の軍人軍属が死刑を含む有罪判決を受けました。

      スマラン事件については後で書きます。

     

    東京裁判では、戦争犯罪の罪名は沢山ありますが、

    強姦は殺人、掠奪、強盗と一緒に取り上げられています。

    その為多くの訴えや証言がありながら、

    強姦罪としては裁かれませんでした。

    そこで何故強姦や慰安婦のことが最近まで問題にならなかったのか理由を考えてみました。

     

    ●考えられる理由

    1.戦争をするのも男、裁くのも男、兵士(男)は戦争が終わって、

     勝てば英雄として帰国し、負けても死者は神として国家で祭られ、

     生きていれば一生年金(恩給)をもらえます。

     このような男中心の社会では

     「戦争に強姦や売春はつきもの」と言う考え方が万国共通の意識だったのです。

     だから女性に対する人権侵害だとする意識がありませんでした。

     慰安婦に対する訊問でも単に売春婦として扱われています。

    *VAWW-NET Japan(「戦争と女性への暴力」日本ネットワ-ク)が

       1999年8月15日と2000年4月23日に

       靖国神社に集まった元軍人たちに「慰安婦」について

       アンケ-ト調査をしました。

       それによると、3分の2以上が

       「慰安所制度は必要」「慰安婦に謝罪・補償の必要はない」と、答えたそうです。

       そこには戦争犯罪、性奴隷制、女性への人権侵害という意識は見られません。

    2.裁くほうも、裁かれるほうも男ですから、戦争で人を殺したことは堂々と言えます。

     しかし強姦や慰安所へ行く事はみっともなくて口に出しづらい面があり、

     ぼかして済ませてしまう傾向があります。

    3.強姦は陸軍刑法で厳しく罰せられていたので加害者からの証言がなかなか出ない。

    4.日本軍が関連文書を徹底的に焼却し証拠隠滅を図った。

     しかしまだかなりの証拠文書が国に隠されていて非公開になっています。

     (少しずつは公開が始まっていて市民団体の調査が進んでいます。

     また国会議員でも超党派で取り上げられようとしています)

    5.戦勝国の政治的思惑

     東京裁判では途中で朝鮮(慰安婦が一番多かった)や

     台湾に関する事がウヤムヤになってしまいました。

     このことは恐らく日本の植民地政策を裁くと、

     連合国が自らの首を絞める事につながるので

     政治判断で避けたものと思われます。

    6.アジアの被害国は、当面、戦乱で荒れた国土を再建し、

     経済復興を最優先にしなければなりませんでした。

     そのため、日本からいかに金を取るか、

     経済的に友好を保つかが目的で、

     慰安婦の問題もさることながら、

     国民個人の被害についても後回しにしていまいました。

     *2002年2月に田嶋陽子議員(当時)がインドネシアを訪問した時に、

      インドネシアのユスリル法務人権大臣は「インドネシアと日本の経済発展のためには

      過去の事よりも、日本との経済関係の未来のことの方が重要だ」と発言しています。

     *マレ-シアでも名乗り出た元慰安婦に対して、

      マレ-シア政府は政府間で決着済みで経済協力が大事だとして、

      元慰安婦の訴えを却下しています。

    7.被害にあった女性は心や体の傷のため名乗り出られなかった。

     *「純潔を失えば女性として無価値」と言う意識に一生縛られ

     *たとえ強制とはいえ、売春したという罪悪感を持ち

     *生まれ故郷では汚い裏切り者と唾をかけられ

     *家族は「家の恥じ」と考え

     *社会は売春婦として蔑み

     

    そして90年代に入って、やっと韓国の元慰安婦が証言を始め、

    その後続々と証言者が現れるようになったのです。

    つい最近1990年代の事です。

     

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