河北省潘家戴荘の虐殺

●周樹恩さんの証言 1913年生まれ

 八路軍の遊撃隊が私たちの村を通って行ったので

 日本軍は村人が遊撃隊と通じているとして

 大虐殺を行なったのです。

 棍棒で殴る、銃剣で突く、生埋めにする、

 焼き殺すなどで1,280人ほどが殺されました。

 そして約100人の女性が強姦され、

 妊娠していた女性63人が殺されました。

 私の妻もその中の1人でした。

 腹を切り裂き胎児を銃剣で突き刺した日本人の姿は、

 本当に恐ろしくて体が震えてなりませんでした。

 母親に抱かれていた赤ん坊も、

 日本兵は奪い取るなり地面へたたきつけました。

 脳みそが出てその悲惨さは言葉で言えるものではありません。

 

●鈴木啓久の証言  同上

 ・・・・命令を副官松原順一郎をして

 第1連隊長田浦竹二に伝達せしめたる結果、

 田浦は当時私の部署下にありました騎兵隊と結合して

 潘家戴荘の中国人民の農民1,280名を或いは銃殺し、

 或いは刺殺し、或いは斬殺し

 又は生埋めをなす等の野蛮なる方法をもって

 集団屠殺し尽くし、部落全戸800を焼却し尽くし、

 主食千斤、被服多数を、又家畜約40、

 車40輌をことごとく掠奪し尽したのであります・・・・