沖縄戦

傷病兵虐殺
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最終更新日:2014/01/25 10:24

戦時国際法では野戦病院は安全を保証されていましたが、

日本軍の軍律では戦陣訓で捕虜になる事は許されなかったので、

南部へ撤退する時に足手まといになる重傷兵士を手榴弾や毒薬で殺すことが決められました。

   * 南風原の陸軍病院で約2,000名の患者が青酸カリで自決した

   * 新城の山部隊野戦病院では約1,000名を衛生兵が銃剣で刺殺した

  玉那覇春子さんの話

具志頭村新城のガラビガマ(ガラビ洞窟)に山部隊(第24師団)の野戦病院分院ができた。

足腰の立つ者は全部部隊に協力した。6月に入ってから、前線から兵隊が撤退してきた。

避難民に退去命令が出、野戦病院は解散した。

新城の女子救護班の話では、撤退する時、重症患者は自決させられたという。

洞窟内には約1,000名くらいの傷病兵が収容されていたが、自分で歩けない者には青酸カリが配られた。

最後には衛生兵が銃剣で一人一人刺し殺したということであった。

 

その他各地の病院でも同様であったとされ、5,000人から6,000人が殺害されたと言われています。

 

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