三光作戦

河北省野場村の虐殺
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最終更新日:2014/05/06 10:04

1943年5月7日、日本軍の来襲に備えて天然の洞窟「月児洞」や畠の中に隠れていた

村人約200人は日本軍に追い立てられ平地に集められました。

そして朝8時頃機関銃の掃射が始まり、終了後は銃剣で刺殺しました。

* 中国共産党機関紙「晋察冀日報」 1943年5月27日

日本侵略軍は野場東北部の谷間で

200人近い民衆(野場、龍王水、玉家荘、解放村)を捕らえ、1ケ所に集めた。

うち大多数は老人、婦女、児童だった。・・・・

日本軍の機関銃が唸りを上げた。

婦女と子供が凄惨に泣き叫び、激しく罵り、その血肉は乱れ飛び、

亡骸はそこら中倒れて積み重なった。

ある者は頭が飛び、ある者は腹を打ち砕かれた。・・・・

こうして118人の同胞が死に、54人が重傷を負った。

野場村だけで4世帯が死に絶えた。・・・・

日本軍がわれわれを殺し尽くそうと企図するなら、

われわれはあくまで日本軍を消滅しなければ自らは守れない。

彼らを消滅しなければ、われわれが彼らに消滅されるだろう。

戦う以外に道はない・・・・

日本軍のこの作戦は「18春冀西作戦」通称「は号作戦」と言われ、

共産党軍の撃滅、根拠施設の徹底的壊滅が目的とされた。

その中の第2期作戦の報告には「諸隊は5月10日までに掃蕩剔決を実施した」とだけ簡単に述べている。

(戦史叢書北支の治安戦 2)

 

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