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キーワード「ワクチン」を含む投稿一覧

  • 追加:新型コロナウイルスのワクチンについて

    2021/01/02
    11:08

    新型コロナウイルスのワクチンは何時頃できるのか話題になっています。

    ワクチンには色々なタイプがあります。

    まず基礎的な話です。

    ワクチンは体内に入れることによって

    抗体が出来る事を期待するのが目的です。

    抗体を作る一番早い方法は病原体を感染させて、

    身体が自力で治って抗体を持つことです。

    しかし生きた病原体をそのまま身体に入れると

    わざわざ病気になるようなもので危険です。

    その為病原体を発病しない程度に色々な処理をして作るのがワクチンです。

     

    ワクチンには処理の仕方で色々なタイプがあります。

     

    ●生ワクチン

    生きた病原体を使う方法です。

    ウイルスは生きているので体内で増殖します。

    その為抗体もそれに合わせて全身に大量にで出来きます。   

    そのまま使うと感染して発病の危険性があるので、

    発病に関係する部分だけは除去します。   

    但し変異しやすい病原体は危険です。

    その為あまり変化しない病原体に限られます。   

    ☆種類    

    BCG、はしか・風疹混合、水痘(水ぼうそう)、流行性耳下腺炎(おたふく)、

    ロタウイルス(胃腸炎)

     

    ●不活化ワクチン   

    変異が激しいウイルスの場合、感染の危険性を考慮して

    病原体を殺して(不活性化)して使います。

    ウイルスは死んでいるので体内で増殖しませんので

    抗体もあまりできません。

    そのためインフルエンザワクチンは効かないのです。   

    更に細かい成分だけを使用した

    成分ワクチン(スプリット及びコンポ-ネントワクチン)もあります。   

    ☆種類    

    ポリオ、日本脳炎、肺炎球菌、Hib、B型肝炎、

    A型肝炎、黄熱病、狂犬病、インフルエンザ、

    子宮頸がん、コレラ、百日咳

     

    ●病原体の出す毒素の毒性部分を取り除いて使用するワクチン。

    トキソイドと言います。 

    ☆種類

    破傷風、ジフテリア

     

    色々あるワクチンの中で今回の新型コロナウイルスに近い種類では、

    インフルエンザワクチンがあります。

    そのためインフルエンザワクチンの説明をします。

     

    種類はA型、B型、C型の3種類ありますが

    通常問題になるA型を取りあげます。

    ☆種類

    A型は人間にも動物にも感染     

    B型は人間にだけ感染するが変化が少なく多くが抗体を持っている     

    C型は多くが免疫を持っているのでほとんど流行しない

    インフルエンザウイルスは非常に変化が激しいため、

    生ワクチンでは体内で変化する可能性もあり、不活性にした方が安全です。

    →インフルエンザに感染して治ったころには体内で型が変わっていることがある

      注:母里啓子「インフルエンザワクチンは打たないで」から

     

    そして更に不活性でもウイルス全体を使うのではなく

    ウイルスを構成している部分、

    つまり部品を使うのでコンポ-ネントワクチンと言われます。

    ウイルスは中心のゲノム(遺伝子・紐の様なもの)、

    エンベロ-プ(遺伝子を包んでいるカバ-)、

    更に表面のスパイク(糖タンパクの突起物)に分かれます。

    免疫は身体が抗原を認識して抗体を作ります。

    ですから抗体を作るためにウイルスのどこを認識させるかです。

     

    ◎ウイルス全体を抗原として認識させる   

    ◎ゲノムを認識させる   

    ◎エンベロップを認識させる   

    ◎スパイクを認識させる

     

    身体にウイルスが侵入した時、

    最初に私たちの細胞に接触するのはスパイクです。

    そのためウイルスの中身はともかく、

    スパイクを抗原として認識することが出来れば

    いち早く抗体を作る準備が出来ます。

    私たちが出会う人を判断するのに、

    その人の心や身体の中身で判断するよりまず顔で判断するようなものです。

    インフルエンザの場合で話を進めます。

     

    ●インフルエンザウイルスの種類  

    インフルエンザウイルスの表面のスパイクには

    「NA」と「HA」という2種類の蛋白質があります。  

    NA(ノイラミニダ-ゼ)には9種類、HA(ヘマグルニチン)には16種類の型がありますので、

    組み合わせで144種類にもなります。 

    NAは感染した細胞内で増えたウイルスが外に出て感染を拡大する時に働き、

    HAは細胞に感染する時に働きます。      

    今まで流行した型

    H1N1、H2N2、H2N8、H3N2、H3N3、H3N8、H5N6、

    H5N6、H5N8、H7N7、H7N9、H9N2  

    その中で1979年以降はH1N1とH3N2が繰り返し流行しています。  

    特に2009年の新型インフルエンザの騒動の時はH1N1でしたが、

    若干変異した型だった為大流行しました。

     

    ●ウイルスのどこを抗原として認識するか           

    HAはウイルスが細胞に入る時に働く部分です。

    感染に関与していると思われるため、

    ワクチンを作る時はHA部分をウイルスの顔つまり

    抗原として認識するようにしています。  

    単にHAという部品を使うためコンポ-ネントワクチンと言われます。  

    ワクチンを打った時私たちの身体では同じHA抗原にのみ抗体が出来ます。

    HA抗原が少し変異すると認識できず抗体は働けません。

    それに引き換え完全に感染した場合HAが変異しても、

    NAにもエンベロップにもゲノムに対しても強力な抗体が出来ます。

    つまり完全な免疫が出来るです。

    ちなみにNA部分はウイルスが細胞内で増殖して細胞から飛び出して感染拡大をするときに働きます。

    その働きを阻害するのがタミフルです。

     

    ●どのタイプの型をワクチンにするか  

    インフルエンザの場合、毎年WHOで世界中の流行状況を調べて

    次に流行りそうな型を決めます。  

    日本ではその内からA型2種類、B型の計3種類を選定して

    ワクチンメ-カ-で製造します。  

    新型インフルエンザでも何種類かの型が選ばれると思います。

     

    ●コンポ-ネントワクチンの作り方 

    1.ウイルスの増殖  

    まずウイルスの数を増やします。

    日本では鶏の有精卵を使っています。

    有精卵を孵卵器に入れて温めます。

    あとでひよこになる胚が出来ます。

    10~11日後に卵に小さな穴をあけてウイルスを注入します。

    さらに温めるとウイルスが漿尿膜に出てきます。

    それから漿尿膜の水を取り出します。

    そこには大量のウイルスが増殖しています。

    2.ウイルスだけを取り出す

    漿尿水を遠心分離器にかけて卵成分など不要なものを取り除いて

    ウイルスだけを取り出します。 

    3.HA蛋白を取り出す

    増殖したウイルスをバラバラにしてHAだけを取り出しホルマリン処理してワクチンの完成です。

     

    ●不純物の混入

    鶏卵を利用する為、どんなに丁寧に遠心分離機を利用しても

    不純物が残る可能性があります。

    特に卵成分が残った場合卵アレルギ-の人は要注意です。

     

    さて本題の新型コロナウイルスです。

    長々インフルエンザの話をしましたが、

    同じRNAウイルスなのでワクチンを作る場合同じようなやり方になると思います。

    1.ワクチンを作る為に色々ある新型コロナウイルスのどの型を選ぶか

    2.生ワクチンにするのか不活性ワクチンにするのか、

     コンポ-ネントにするのか

    3.コンポ-ネントの場合、新型コロナウイルスのどの部分を抗原にするか

    4.増殖するために鶏卵を利用するのか? その量は間に合うか?

    5.ウイルスの増殖と抗原の抽出をどのようにするのか

    6.効果があるデ-タ-をどのように出せるか

    7.安全確認はどのようにするのか

    これ等を全て考えると、ワクチン開発や販売は半年や1年では困難だと思われます。

     

    ●ワクチンの効果は? 

    危険性を考えると生ワクチンは出来ないと思われます。

    不活性の場合体内でウイルスは増殖しませんので、抗体は増えません。

    さらにコンポ-ネントですとインフルエンザと同じで

    殆ど効果は期待できないと思われます。

    つづきを読む

  • 予防接種・ワクチン

    2020/10/12
    17:21

    話が少しあっちこっちと飛びますが

    ご容赦下さい。

    意厚生労働省では

    新型インフルエンザワクチン優先接種の

    対象者を発表しています。

     

    ● 優先的に接種する対象者について 

        厚生労働省Q&A 2009年版から

     医療従事者(救急隊員を含む) 100万人

     妊婦             100万人

     基礎疾患を有する方        900万人

     1歳~小学校3年生に相当する子 1000万人

     1歳未満の子供の保護者     200万人

     7~18歳までの小中高生徒    1000万人

     基礎疾患のない高齢者     2100万人

    これを見てみるとおかしいことに気がつきます。

    基礎疾患がある人が優先になっていますが、

    ワクチン接種後のトラブル

    特に死亡者は圧倒的に基礎疾患

    つまり持病のある人です。

    また基礎疾患のない高齢者とありますが、

    高齢者は既に抗体を持っていて

    インフルエンザにかかりにくいのです。

    これは次の2つの資料を見ていただければ分かります。

    SCN_0092 罹患者と年齢構成

     

    解説:この表は0~29歳が人口が30.1%なのに、

       インフルエンザには85.5%罹るという事です。

           また60歳以上は人口が28.4%で、

          インフルエンザには2%しか罹らないということです。

     

    これを60歳以上を基準にして考えたのがもう一つのグラフです。

     SCN_0093 60歳以上かかりやすや

     

      解説:60歳以上の高齢者と比べると

          5~9歳で約70倍   

          10~14歳で約72倍

          15~19歳で約58倍

         若い人ほどインフルエンザに

         罹るということです。

    それなのに基礎疾患のない高齢者に

    ワクチン接種をすすめています。

     

    次にワクチンが効くか効かないかと言う話です。

    多くの統計は集団内接種の統計というやり方をします。

    一つの集団を2つ、

    予防接種をした集団と

    しなかった集団に分けて感染率を調べるのです。

    一つの集団を2つに分けた場合、

    分けた両方が同じ条件とは限りません。

    もしかして接種しなかった人は

    体調不良で接種できなかったかもしれません。

    よく調べると当日予防接種をしなかった子供は

    体調不良や元々欠席が多かったことがわかりました。

    これも老人施設でやると、

    予防接種を出来る老人は元々元気なのです。

    普通でも予防接種をするときに

    風邪引いていませんか?とか体調を聞かれますね。

    ですから身体の弱っている

    老人は予防接種が出来ないのです。

    それを無視して1年後の死亡統計をとると

    予防接種をした方の死亡率が少なかった。

    当然ですね。

    これら集団内接種の手法も見直されてきています。

    アメリカではこれはおかしいと言うことで見直されています。

    しかしまだ日本の医療機関では

    お年寄りには良いでしょう・・・・としています

     

    つぎの資料は新聞の切り抜きです。

    見出しに新型ワクチンが安全となっています。

    この見出しは安心しますよね。

    でも記事の内容を見ると逆ですよね。

    重い副作用の報告は0.002%

    従来の報告は  0.0003%

    一桁違いますね。

    7倍くらい危険ですね

    医療従事者への接種では、

    重い副作用は22000人の調査では6人、0.03%

    かなり多いですよね。

    医療従事者は接種後良く観察していますから

    多く出る傾向はありますが。

    逆に考えると一般に人は

    調査漏れの可能性もあります。

    それにもかかわらす、

    新聞の見出しは新型ワクチンが安全となります。

    結論が先に出ていると言うことです。

     

    次の資料はワクチンの製造のグラフです。

     SCN_0088 インフルエンザワクチンの製造ry

    1994年にゼロ近くになっています。

    学童の強制接種が中止になったからです。

    ワクチンの製造は一旦ゼロ近くになって、

    その後また増えてきています。

    なぜこの時期にワクチンの製造がなくなったのか?

    元々、戦後からワクチンはあったのです

    いくらワクチン打っても流行は収まらない

    どうしようかと考えて結局学校で

    接種するようになるのですが、

    その理由は

    大人は全部子供からインフルエンザをうつされる。

    子供は学校から持ってくる

    だから学校で予防接種をしよう。

    このようなことで、じゃあ学童を防波堤に使おう

    学童防波堤理論です。

    それで全部の学校で強制接種が始まりました

    しかしやってもやっても流行が収まらない。

    これはおかしい効かないのじゃないか

    そのうちに事故が増えてきました。

    前橋では1979年にワクチンで

    小学生が重症化したことがあって、

    医師会でワクチンを中止しようと言うことになりました。

    中止したのが前橋市と安中市、

    接種を続行したのが高崎市、桐生市、

    伊勢崎市、太田市です。

    そこで1982年から5年間、

    接種と非接種の比較調査をしました。

    その結果が有名な前橋レポ-トです。

    そうしたらワクチンをやってもやらなくても

    罹る人はかかると言うことが始めて分かりました。

    前橋デ-タ-の図です。

    ◎資料

     SCN_0094 前橋デ-タ- 罹患率

    1984年と1985年2年間の比較です。

    黒いところはインフルエンザに罹った人、

    灰色は罹っていない人です

    それぞれの年で左側はワクチンをやってない地区、

    右側はワクチンをやっている地区です

    1984年にはワクチンやった地区で43.7%、

    やらないところで43.1%、

    1985年にはワクチンやった地区で24.1%、

    やらないところで24%

    つまりワクチンをやっていても

    やっていなくても

    同じだけ罹るのだということがわかります。

    これ以外にも膨大なデ-タ-が発表されました。

    これを前橋デ-タ-といいます。

    世界中にこういうデ-タ-はないのです。

    このような大規模な研究をコホ-ト研究と言いますが、

    このあと同じ子供を5年間追いかけた比較研究もしています。

    世界的研究です。

    こうなると厚生省も認めないわけにはいかなくなりました。

    ここまで効果がないという証拠が出たわけですから!

    それで1994年に中止になったのです。

     

    それから養鶏業者が倒産しました。

    ワクチンを作るのに有精卵を使います。

    それが急に中止になったのですから

    業者が倒産したのです。

    そのころコンビニで有精卵が売られたのを

    覚えているかもしれません。

    余ったのを売ったのです。

    その後厚生省、製造業者などが集まって、

    インフルエンザワクチン市場検討会を

    つくりまして、

    いかにワクチンは重要なものかを研究しました。

    その結果「インフルエンザは風邪ではありません」

    というキャンペ-ンが始まりました。

     

    今の厚生労働省でも国立感染症センタ-でも

    ホ-ムペ-ジにはワクチンは効きますと

    一言も書いていません。

    任意で申請すれば接種することが

    可能ですと書いてあります。

    1994年の段階で国としては

    ワクチンの接種を中止しています。

    今でもその方針は変わっていません。

    ホ-ムペ-ジにはポリオ、麻疹、風疹の

    ワクチンの効果をうたっていますが、

    インフルエンザのことは書かれていのです。

     

    じゃあ誰が効果があると

    言っているのでしょうか

    研究者の中では予防接種に

    予防効果はないというのは常識だと思います。

    やっとNHKのテレビで感染症センタ-の人が

    「ワクチンは予防と言う観点より

    重症化を防ぐことに意味がある」といい始めました。

    またある雑誌ではやはり感染症センタ-の所長が

    「予防効果としては劇的な成果は得られないけれども」

    と書いています。

    それなら素直に効果がないといえばいいのですが

    国はそれが出来ません。

     

    じゃあ何でワクチンは効果がないのか・・・・

    ワクチンは劇薬です。

    危険物です。

    生物由来のものを身体に入れる劇薬です。

    毒ガスや細菌兵器と同じです。

    ワクチンには生ワクチンと不活性ワクチンがあります。

    身体に微生物を記憶させるのがワクチンですから、

    通常はワクチンを使わなくても

    一回病気にかかれば記憶されるのです。

    ただ記憶力は少しずつ落ちます。

    少し落ちたところでまた感染します。

    少しは記憶していますので軽くすんで、

    また記憶は強くなります。

    それと同じ事をワクチンでやるのが目的です。

    ワクチンとしてウイルスをそのまま

    身体に入れれば感染してしまいます。

    それでは困るので、ウイルスの中で

    弱毒なものを選んで、それをさらに

    弱毒化して使うのが生ワクチンです。

    ポリオなどはその代表的なものです。

    でも弱毒化したとはいえ

    微生物そのものですから、

    うっかりと感染することもあります。

    からだのコンディションが悪く、

    免疫力が落ちていると危険性があります。

    だから接種の時に「熱はありませんか?

    体の調子は良いですか」と聞かれるのです。

    それとウイルスの種類もあまり

    変化しないものに限られます。

    生きているウイルスを使うので

    身体の中で変な風に変化されては困るからです。

    ところがインフルエンザウイルスは

    ものすごいスピ-ドで変化します。

    感染した人が治った頃には体内で別な形に変化している。

    このくらい変化のスピ-ドが早いのです。

    これでもし生ワクチンをつかって

    体の中で強い病原性のウイルスに

    変化したら大変なことです。

    それで生ワクチンは使えないのです。

    それで不活性化を使います。

    不活性といって死んだウイルスを使います。

    しかもワクチン全体を使わないで、

    ウイルスの一部部分を使って、

    それで身体に記憶させようとします。

    それも安全のためです。

    部分を使ったワクチンなので

    コンポ-ネントワクチンといいます。

    不活性化でしかも部分的ですから効力は弱くなります。

    死んだウイルスですから体内で増殖しません。

    注射で血液にワクチン入れても、

    その場所にあっても感染する呼吸器までは行って増殖できません。

    すると抗体があまり出来ません。

    だからあまり効かないのです。

    そういう理屈なので不活性化のワクチンは

    全体に効きが悪いのです

    いまもっと効果の或るワクチンの研究は進められています。

     

    それとまだ問題があります。

    ワクチンを作るのに生卵を使います。

    しかも有精卵です。

    なぜ有精卵を使うかと言うと、

    ウイルスを注射器で卵に入れます。

    卵の遺伝子を利用して増殖させるのです。

    そのためにはちゃんと生殖できる卵を

    使う必要があります。

    だから有精卵なのです。

    そして増殖できたら、

    遠心分離機でウイルスを分離します。

    しかし卵由来です。

    だから卵アレルギ-の患者さんに

    トラブルの可能性も出ます。

    喘息や妊婦さんのように

    免疫上少し変化がある状態では

    生物由来のものを入れるのは

    注意したほうが良いかもしれません。

     

     

    つづきを読む

  • 新型インフルエンザとワクチン

    2020/10/12
    12:56

    質問は新型インフルエンザについてです。

    結論から言いますと、

    今の新型インフルエンザのワクチンは

    危険だと思われます。

    今まで450万人が接種していますが、

    その事故率、副作用が出た人ですが、

    従来型のインフルエンザのワクチンと比べて

    約7倍になっています。その中の死亡者は21名です。

    450万人の接種で21名の死亡、

    これから大量接種が始まりますから、

    もし10倍の4500万人が接種したとすると

    210名の死亡者が出ることになります。

    ですからこのワクチンは非常に危険だと思われています。

    2つの資料を見てください。

    国立感染症センタ-の資料です。

    12月25日までのを含めた集計です。 

    接種日(2009年)

    推定接種人数

    副反応報告数

    重症報告数

    死亡報告数

    10/19~10/25

    864,862

    107

    7

    1

    10/26~11/1

    711,088

    149

    6

    0

    11/2~11/8

    523,196

    78

    8

    3

    11/9~11/15

    2,502,707

    74

    13

    9

    11/16~11/29

    1,416,579

    264

    92

    57

    11/30~12/6

    3,304,098

    67

    21

    13

    12/7~12/13

    880,028

    78

    24

    12

    12/14~12/25

    4,716,269

    51

    13

    8

    合計

    14,918,827

    868

    184

    103

          注:講演した時以後の数字も追加記入してあります。

            数字は週報ですから話した時点とは食い違っています

     

    先ほどは予防接種の死亡ですが、

    次の資料は、インフルエンザによると

    思われる死亡という毎年の統計です。

    やはり国立感染症センタ-の発表です。

    年

    2003年

    2004年

    2005年

    2006年

    2007年

    2009年

    人数

    1171人

    694人

    1818人

    865人

    694人

    57人

          注:2009年は11月10日までの国立感染症センタ-の集計

    2003年では1100人以上、

    2005年では1800人ですが、

    それ以外では1000人以下です。

    今年は11月10日現在ですから、

    最終統計ではありませんがわずか57人です。

    近年では非常に少ない死亡者数ですね。

    最近では珍しく軽いインフルエンザだということです。

     

    現状ではインフルエンザで

    死んでいる人がわずか57名、

    ワクチンでの死亡者が

    21名(注:12月25日集計では103名)です。

     

    大量接種は始まると大変な死亡者になります。

    そうすると死なないためには

    ワクチンを打たないほうがいいと

    いうことになりますね。

     

    26日の新聞に鹿児島で女性看護師が

    ワクチン接種後初めて死亡・・・・

    という記事がありました。

    基礎疾患あると言うことですが、

    これは基礎疾患があろうとなかろうと・・・・

    インフルエンザの死亡統計に入ります。

    ほかに原因があっても

    インフルエンザによる死亡統計に入ります。

    つまりインフルエンザは怖いというイメ-ジが付きますね!

     

    それに対して予防接種で死んだ場合は

    基礎疾患があれば予防接種の統計に入らないで、

    基礎疾患の統計に入ります。

    何かインチキ臭いですね。

     

    もともと基礎疾患があった人が

    インフルエンザで亡くなったら

    原因はインフルエンザ、

    予防接種で亡くなったら

    原因は基礎疾患・・・

    この考えはおかしいですよね。

     

    私の手元に「新型インフルエンザ予防手帳 Q&A」

    というのがあります。

    このようなパンフレットが

    かなり出回っていますね。

    これは保険組合かなにかで出したものです。

    ここに書かれていることが

    全部正しいと皆さん思っています。

    しかしこれを誰が作っているのかと

    考えたことがありますか?

    これは専門家が作っているのではありません。

    専門家は監修をしているだけで、

    実は雑誌等の編集者やコンサルタントが

    作っているのです。

    広告代理店や医師会等から依頼されて作ります。

    編集者はインフルエンザのことがわかりませんから、

    インタ-ネットで新型インフルエンザを調べます。

    新型と言う言葉で検索すると、

    半分くらい鳥インフルエンザが出てきます。

    何故かと言うと国では新型の定義を

    鳥インフルエンザとしているからです。

    ですから国のほうの対策はすべて

    鳥インフルエンザの対策になっています。

    その例として成田空港でマスクして

    走り回っていた光景が

    ニュ-スで話題になりましたが、

    あれは鳥インフルエンザ対策です。

    そしてその後で今流行っているインフルエンザを、

    単に新しいから

    新型インフルエンザと呼んでいるのです。

    特にマスコミがです。

    でも国は今でも鳥インフルエンザだけを

    新型としています。

    国ではインフルエンザ対策ではなく

    危機管理対策としています。

    それで若い編集者がパンフレットを作ろうとすると、

    半分くらい鳥インフルエンザの

    情報が入りますから、

    ごちゃ混ぜに文章を作ります。

    すると読んだ人が余計に

    わからなくなってしまいます。

    次にイラストレ-タ-が

    文章に合わせたイラストを書きます。

    ですから訳のわからない

    パンフレットが出来てしまいます。

    それを新型インフルエンザに対する対策です、

    と皆さんにパンフレットを配るのです。

    それで国民がパニックを起こしているのが現状です。

     

    ニュ-ヨ-クタイムスに

    皮肉っぽく書かれましたが

    「日本が国中あげて、

    うがいから手洗いからマスクから

    一丸となって変質狂国家になっている」と

    言うような嘲笑が書かれています。

     

    そのような見方もあるんだということを

    念頭において話を進めたいと思います。

     

    つづきを読む

  • 生体実験の証言

    2020/08/10
    10:46

    ●秋元寿恵 東京帝大出身の血清学者  1984年12月の証言

    部隊に着任して人体実験のことを知った時は

    非常にショックを受けました。

    あそこにいた科学者たちで

    良心の呵責を感じている者は

    ほとんどいませんでした。

    彼らは囚人たちを動物のように扱っていました。

    ・・・・死にゆく過程で医学の発展に

    貢献できるなら名誉の死となると考えていたわけです。

    私の仕事には人体実験は

    関係していませんでしたが、

    私は恐れおののいてしまいました。

    私は所属部の部長である菊地少将に

    3回も4回も辞表を出しました。

    しかしあそこから抜け出すことは出来ませんでした。

    もし出て行こうとするならば

    秘かに処刑されると脅されました。

     

    ● 鎌田信雄 731部隊少年隊  1923年生 1995年10月 証言

    私は石井部隊長の発案で集められた

    「まぼろしの少年隊1期生」でした。

    注:正式な1期から4期まではこの後に組織された

    総勢22~23人だったと思います。

    平房の本部では朝8時から午後2時までぶっ通しで

    一般教養、外国語、衛生学などを勉強させられ、

    3時間しか寝られないほどでした。

    午後は隊員の助手をやりました。

    2年半の教育が終ったときは、昭和14年7月でした。

    その後、ある細菌増殖を研究する班に所属しました。

    平房からハルビンに中国語を習いに行きましたが、

    その時白華寮(731部隊の秘密連絡所)に立ち寄りました

    ・・・・200部隊(731部隊の支隊・馬疫研究所)では、

    実験用のネズミを30万匹買い付けました。

    ハルビン市北方の郊外に毒ガス実験場が何ケ所かあって、

    安達実験場の隣に山を背景にした実験場があり、

    そこでの生体実験に立ち合ったことがあります。

    安達には2回行ったことがありますが、

    1~2日おきに何らかの実験をしていました。

    20~30人のマルタが木柱に後手に縛られていて、

    毒ガスボンベの栓が開きました。

    その日は関東軍のお偉方がたくさん視察に来ていました。

    竹田宮(天皇の従兄弟)も来ていました。

    気象班が1週間以上も前から風向きや天候を調べていて

    大丈夫だということでしたが、

    風向きが変わり、ガスがこちら側に流れてきて、

    あわてて逃げたこともあります

    ・・・・ホルマリン漬けの人

    体標本もたくさんつくりました。

    全身のものもあれば頭や手足だけ、

    内臓などおびただしい数の標本が並べてありました。

    初めてその部屋に入ったときには気持ちが悪くなって、

    何日か食事もできないほどでした。

    しかし、すぐに慣れてしまいましたが、

    赤ん坊や子供の標本もありました

    ・・・・全身標本にはマルタの国籍、性別、

    年齢、死亡日時が書いてありましたが、

    名前は書いてありませんでした。

    中国人、ロシア人、朝鮮族の他にイギリス人、

    アメリカ人、フランス人と書いてあるのもありました。

    これはここで解剖されたのか、

    他の支部から送られてきたものなのかはわかりません。

    ヨーロッパでガラス細工の勉強をして来た人が

    ピペットやシャ-レを造っていて、

    ホルマリン漬けをいれるコルペもつくっていました。

    731部隊には、子どももいました。

    私は屋上から何度も、中庭で足かせを

    はめられたままで運動している

    “マルタ”を見たことがあります。

    1939年の春頃のことだったと思いますが、

    3組の母子の“マルタ”を見ました。

    1組は中国人の女が女の赤ちゃんを抱いていました。

    もう1組は白系ロシア人の女と、4~5歳の女の子、

    そしてもう1組は、これも白系ロシアの女で,

    6~7歳の男の子がそばにいました

    ・・・・見学という形で解剖に立ち合ったことがあります。

    解剖後に取り出した内臓を入れた

    血だらけのバケツを運ぶなどの仕事を手伝いました。

    それを経験してから1度だけでしたが、

    メスを持たされたことがありました。

    “マルタ”の首の喉ぼとけの下から

    まっすぐに下にメスを入れて胸を開くのです。

    これは簡単なのでだれにでもできるためやらされたのですが、

    それからは解剖専門の人が細かくメスを入れていきました。

    正確なデータを得るためには、

    できるだけ“マルタ”を普通の状態で

    解剖するのが望ましいわけです。

    通常はクロロホルムなどの麻酔で

    眠らせておいてから解剖するのですが、

    このときは麻酔をかけないで

    意識がはっきりしているマルタの手足を

    解剖台に縛りつけて、

    意識がはっきりしているままの

    “マルタ”を解剖しました。

    はじめは凄まじい悲鳴をあげたのですが、

    すぐに声はしなくなりました。

    臓器を取り出して、色や重さなど、

    健康状態のものと比較し検定した後に、

    それも標本にしたのです。

    他の班では、コレラ菌やチフス菌を

    スイカや麦の種子に植えつけて栽培し、

    どのくらい毒性が残るかを究していたところもあります。

    菌に侵された種を敵地に撒くための研究だと聞きました。

    片道分の燃料しか積まずに敵に体当りして

    死んだ特攻隊員は、

    天皇から頂く恩賜の酒を飲んで出撃しました。

    731部隊のある人から、

    「あの酒には覚醒剤が入っており、部隊で開発したものだ」

    と聞きました

    ・・・・部隊には,入れかわり立ちかわり

    日本全国から医者の先生方がやってきて、

    自分たちが研究したり、

    部隊の研究の指導をしたりしていました。

    今の岩手医大の学長を勤めたこともある医者も、

    細菌学の研究のために部隊にきていました。

    チフス、コレラ、赤痢などの研究では

    日本でも屈指の人物です。

    私が解剖学を教わった石川太刀雄丸先生は、

    戦後金沢大学医学部の主任教授になった人物です。

    チフス菌とかコレラ菌とかを

    低空を飛ぶ飛行機からばらまくのが「雨下」という実験でした。

    航空班の人と、その細菌を扱うことができる者が

    飛行機に乗り込んで、

    村など人のいるところへ細菌をまきます。

    その後どのような効果があったか調査に入りました。

    ペスト菌は、ノミを介しているので

    陶器爆弾を使いました。

    当初は陶器爆弾ではなく、

    ガラス爆弾が使われましたが、

    ガラスはだめでした。

    ・・・・ペストに感染したネズミ1匹に

    ノミを600グラム、だいたい3000~6000匹たからせて落とすと、

    ノミが地上に散らばるというやり方です

    ・・ベトナム戦争で使った枯葉剤の主剤はダイオキシンです。

    もちろん731部隊でもダイオキシンの

    基礎研究をやっていました。

    アメリカは、この研究成果をもって行って使いました。

    朝鮮戦争のときは石井部隊の医師達が朝鮮に行って、

    この効果などを調べているのですが、

    このことは絶対に誰も話さないと思います。

    アメリカが朝鮮で細菌兵器を使って

    自分の軍隊を防衛できなくなると困るので

    連れて行ったのです。

    1940年に新京でペストが大流行したことがありました。

    (注:731部隊がやったと言われている)

    ・・・・そのとき隊長の命令で、

    ペストで死んで埋められていた死体を掘り出して、

    肺や肝臓などを取り出して標本にし、

    本部に持って帰ったこともありました。

    各車両部隊から使役に来ていた人たちに

    掘らせ、メスで死体の胸を割って

    肺、肝臓、腎臓をとってシャ-レの培地に塗る、

    明らかにペストにかかっていると

    わかる死体の臓器をまるまる

    持っていったこともあります。

    私にとっては、これが1番いやなことでした。

    人の墓をあばくのですから・・・・

     

    ● 匿名 731部隊少佐 薬学専門家

    1981年11月27日 毎日新聞に掲載されたインタビュ-から

    昭和17年4月、731と516両部隊が

    ソ満国境近くの都市ハイラル郊外の草原で

    3日間、合同実験をした。

    「丸太」と呼ばれた囚人約100人が使われ、

    4つのトーチカに1回2~3人ずつが入れられた。

    防毒マスクの将校が、

    液体青酸をびんに詰めた「茶びん」と呼ぶ毒ガス弾を

    トーチカ内に投げ、

    窒息性ガスのホスゲンをボンベから放射した。

    「丸太」にはあらかじめ心臓の動きや

    脈拍を見るため体にコードをつけ、

    約50メートル離れた机の上に置いた心電図の計器などで、

    「死に至る体の変化」を記録した。

    死が確認されると将校たちは、

    毒ガス残留を調べる試験紙を手に

    トーチカに近づき、死体を引きずり出した。

    1回の実験で死ななかった者には

    もう1回実験を繰り返し、全員を殺した。

    死体はすべて近くに張ったテントの中で解剖した。

    「丸太」の中に68歳の中国人の男性がいた。

    この人は731部隊内でペスト菌を注射されたが、

    死ななかったので毒ガス実験に連れて来られた。

    ホスゲンを浴びせても死なず、

    ある軍医が血管に空気を注射した。

    すぐに死ぬと思われたが、死なないので

    かなり太い注射器でさらに空気を入れた。

    それでも生き続け、最後は木に首を吊って殺した。

    この人の死体を解剖すると、

    内臓が若者のようだったので、

    軍医たちが驚きの声を上げたのを覚えている。

    昭和17年当時、

    部隊の監獄に白系ロシア人の婦人5人がいた。

    佐官級の陸軍技師(吉村寿人?)は

    箱状の冷凍装置の中に彼女等の手を突っ込ませ、

    マイナス10度から同70度まで順々に温度を下げ、

    凍傷になっていく状況を調べた。

    婦人たちの手は肉が落ち、骨が見えた。

    婦人の1人は監獄内で子供を産んだが、

    その子もこの実験に使われた。

    その後しばらくして監獄をのぞいたが、

    5人の婦人と子供の姿は見えなくなっていた。

    死んだのだと思う。

     

    ●山内豊紀 証言  1951年11月4日 中国档案館他編「人体実験」

    われわれ研究室の小窓から、

    寒い冬の日に実験を受けている人がみえた。

    吉村博士は6名の中国人に一定の負荷を背負わせ、

    一定の時間内に一定の距離を往復させ、

    どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。

    みていると彼らは日ましに痩せ衰え、

    徐々に凍傷に冒されて、一人ひとり減っていった。

     

    ●秦正 自筆供述書 1954年9月7日 中国档案館他編「人体実験」

    私はこの文献にもとづいて

    第一部吉村技師をそそのかし残酷な実験を行わせた。

    1944年冬、彼は出産まもない

    ソ連人女性愛国者に対して凍傷実験を行った。

    まず手の指を水槽に浸してから、

    外に連れだして寒気の中にさらし、

    激痛から組織凍傷にまでいたらしめた。

    これは凍傷病態生理学の実験で、

    その上で様々な温度の温水を使って「治療」を施した。

    日を改めてこれをくり返し実施した結果、

    その指はとうとう壊死して脱落してしまった。

    (このことは、冬期凍傷における手指の

    具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた)

    その他、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた。

     

    ●上田弥太郎 供述書 731部隊の研究者 1953年11月11日 

            中国档案館他編「人体実験」

    1943年4月上旬、7・8号棟で体温を測っていたとき

    中国人の叫び声が聞こえたので、すぐに見に行った。

    すると、警備班員2名、凍傷班員3名が、

    氷水を入れた桶に1人の中国人の手を浸し、

    一定の時間が経過してから取り出した手を、

    こんどは小型扇風機の風にあてていて、

    被実験者は痛みで床に倒れて叫び声をあげていた。

    残酷な凍傷実験を行っていたのである。

     

    ●同上 上田弥太郎 中国人民抗日戦争記念館所蔵の証言

    ・・・・すでに立ち上がることさえできない

    彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、

    足を動かすたびにチャラチャラと

    鈍い鉄の触れ合う音をたてる

    ・・・・外では拳銃をぶら下げたものものしい

    警備員が監視の目をひからせており、

    警備司令も覗いている。

    しかし誰一人としてこの断末魔の叫びを

    気にとめようともしない。

    こうしたことは毎日の出来事であり、

    別に珍しいものではない。

    警備員は、ただこの中にいる200名くらいの

    中国人が素直に殺されること、

    殺されるのに反抗しないこと、

    よりよきモルモット代用となることを監視すればよいのだ

    ・・・・ここに押し込められている人々は、

    すでに人間として何一つ権利がない。

    彼らはこの中に入れば、

    その名前はアラビア数字の番号と

    マルタという名前に変わるのだ。

    私たちはマルタ何本と呼んでいる。

    そのマルタ000号、彼がいつどこから

    どのようにしてここに来たかはわからない。

     

    ● 篠塚良雄  731部隊少年隊 1923年生  1994年10月証言

    ・・・1939年4月1日、

    「陸軍軍医学校防疫研究室に集まれ」という指示を受けました

    ・・・・5月12日中国の平房に転属になりました

    ・・・・731部隊本部に着いて、まず目に入ったのは

    「関東軍司令官の許可なき者は

    何人といえども立入りを禁ず」と

    書かれた立て看板でした。

    建物の回りには壕が掘られ

    鉄条網が張り巡らされていました。

    「夜になると高圧電流が流されるから気をつけろ」

    という注意が与えられました

    ・・・・当時私は16歳でした。

    私たちに教育が開始されました・・・・

    「ここは特別軍事地域に指定されており、

    日本軍の飛行機であってもこの上空を飛ぶことはできない。

    見るな、聞くな、言うな、これが部隊の鉄則だ」

    というようなことも言われました。・・・・

    「防疫給水部は第1線部隊に跟随し、

    主として浄水を補給し直接戦力の保持増進を量り、

    併せて防疫防毒を実施するを任務とする」と強調されました

    ・・・・石井式衛生濾水機は甲乙丙丁と

    車載用、駄載用、携帯用と分類されていました

    ・・・・濾過管は硅藻土と澱粉を混ぜて焼いたもので

    “ミクロコックス”と言われていました

    ・・・・細菌の中で1番小さいものも

    通さないほど性能がいいと聞きました

    ・・・・私は最初は動物を殺すことさえ

    直視できませんでした。

    ウサギなどの動物に硝酸ストリキニ-ネとか

    青酸カリなどの毒物を注射して

    痙攣するのを直視させられました。

    「目をつぶるな!」と言われ、

    もし目をつぶれば鞭が飛んでくるのです

    ・・・・私に命じられたのは、

    細菌を培養するときに使う菌株、

    通称“スタム”を研究室に取りに行き運搬する仕事でした。

    江島班では赤痢菌、田部井班ではチフス菌、

    瀬戸川班ではコレラ菌と言うように

    それぞれ専門の細菌研究が進められていました

    ・・・・生産する場所はロ号棟の1階にありました。

    大型の高圧滅菌機器が20基ありました

    ・・・・1回に1トンの培地を溶解する溶解釜が

    4基ありました

    ・・・・細菌の大量生産で使われていたのが石井式培養缶です。

    この培養缶1つで何10グラムという細菌を作ることができました。

    ノモンハンのときには1日300缶を培養したことは

    間違いありません

    ・・・・ここの設備をフル稼働させますと、

    1日1000缶の石井式培養缶を操作する事が出来ました。

    1缶何10グラムですから膨大な細菌を作ることができたわけです

    ・・・・1940年にはノミの増殖に動員されました

    ・・・・ペストの感受性の一番強い動物は

    ネズミと人間のようです。

    ペストが流行するときにはその前に

    必ず多くのネズミが死ぬと言うことでした。

    まずネズミにペスト菌を注射して感染させる。

    これにノミをたからせて低空飛行の飛行機から落とす。

    そうするとネズミは死にますが、

    ノミは体温の冷えた動物からは

    すぐに離れる習性を持っているので、

    今度は人間につく。

    おそらくこういう形で流行させたのであろうと思います

    ・・・・柄沢班でも、生体実験、生体解剖を

    毒力試験の名のもとに行ないました

    ・・・・私は5名の方を殺害いたしました。

    5名の方々に対してそれぞれの方法で

    ペストのワクチンを注射し、

    あるいはワクチンを注射しないで、

    それぞれの反応を見ました。

    ワクチンを注射しない方が1番早く発病しました。

    その方はインテリ風で頭脳明晰といった感じの方でした。

    睨みつけられると目を伏せる以外に方法がありませんでした。

    ペストの進行にしたがって、

    真黒な顔、体になっていきました。

    まだ息はありましたが、

    特別班の班員によって裸のまま解剖室に運ばれました

    ・・・・2ケ月足らずの間に5名の方を殺害しました。

    特別班の班員はこの殺害した人たちを、

    灰も残らないように焼却炉で焼いたわけであります。

     注:ノモンハン事件

       1939年5月11日、満州国とモンゴルの国境付近の

       ノモンハンで、日本側はソ連軍に攻撃を仕掛けた。

       ハルハ河事件とも言う。

       4ケ月続いたこの戦いは圧倒的な戦力の

       ソ連軍に日本軍は歯が立たず、

       約17,000人の死者を出した。

       ヒットラ-のポーランド侵攻で停戦となった。

       あまりにみっともない負け方に

       日本軍部は長い間ノモンハン事件を秘密にしていた。

       731部隊は秘密で参加し、ハルハ河、ホルステイン河に

       赤痢菌、腸チフス菌、パラチフス菌を流した。

       参加者は、隊長碇常重軍医少佐、草味正夫薬剤少佐、

       作山元治軍医大尉、瀬戸尚二軍医大尉、

       清水富士夫軍医大尉、その他合計22名だった。

       ハバロフスクの裁判記録に証言があります。

     

    ● 鶴田兼敏 731部隊少年隊 1921年生

    1994年731部隊展の報告書から

    入隊は1938年11月13日でしたが、

    まだそのときは平房の部隊建物は建設中でした

    ・・・・下を見ますと“マルタ”が収容されている

    監獄の7・8棟の中庭に、

    麻袋をかぶった3~4人の人が輪になって歩いているのです。

    不思議に思い、班長に「あれは何だ?」と聞いたら、

    「“マルタ”だ」と言います。

    しかし私には“マルタ”という意味がわかりません。

    するとマルタとは死刑囚だと言うんです。

    軍の部隊になぜ死刑囚がいるのかと疑問に思いましたが、

    「今見たことはみんな忘れてしまえ!」と言われました・・・・

    基礎教育の後私が入ったのは昆虫班でした。

    そこでは蚊、ノミ、ハエなど

    あらゆる昆虫、害虫を飼育していました。

    ノミを飼うためには、18リットル入りのブリキの缶の中に、

    半分ぐらいまでおが屑を入れ、

    その中にノミの餌にするおとなしい

    白ネズミを籠の中に入れて固定するんです。

    そうするとたいてい3日目の朝には、

    ノミに血を吸い尽くされてネズミは死んでいます。

    死んだらまた新しいネズミに取りかえるのです。

    一定の期間が過ぎると、缶の中のノミを集めます。

    ノミの採取は月に1,2度行なっていました

    ・・・・ノモンハン事件の時、

    夜中に突然集合がかかったのです

    ・・・・ホルステイン川のほとりへ連れていかれたのです。

    「今からある容器を下ろすから、

    蓋を開けて河の中に流せ」と命令されました。

    私たちは言われたままに作業をしました

    ・・・・基地に帰ってくると、

    石炭酸水という消毒液を頭から足の先までかけられました。

    「何かやばいことをやったのかなあ。

    いったい、何を流したのだろうか」という疑問を持ちました

    ・・・・後で一緒に作業した内務班長だった

    衛生軍曹はチフスで死んだことを聞き、

    あの時河に流したのはチフス菌だったとわかったわけです

    ・・・・いまだに頭に残っているものがあります。

    部隊本部の2階に標本室があったのですが、

    その部屋でペストで殺された“マルタ”の生首が

    ホルマリンの瓶の中に浮いているのを見たことです。

    中国人の男性でした。

    また1,2歳の幼児が天然痘で殺されて、

    丸ごとホルマリンの中に浮いているのも見ました。

    それもやはり中国人でした。

    今もそれが目に焼きついて離れません。

     

    ●小笠原 明 7311部隊少年隊 1928年生れ 

              1993~94年の証言から

    ・・・・部隊本部棟2階の部隊長室近くの

    標本室の掃除を命じられました

    ・・・・ドアを開けたところに、

    生首の標本がありました。

    それを見た瞬間、胸がつまって

    吐き気を催すような気持になって目をつぶりました。

    標本室の中の生首は「ロスケ(ロシア人)」の首だと思いました。

    すぐ横の方に破傷風の細菌によって死んだ人の標本がありました。

    全身が標本となっていました。

    またその横にはガス壊疽の標本があり、

    太ももから下を切り落としてありました。

    これはもう生首以上にむごたらしい、

    表現できないほどすごい標本でした。

    拭き掃除をして奥の方に行けば、

    こんどは消化器系統の病気の

    赤痢、腸チフス、コレラといったもので

    死んだ人を病理解剖した標本がたくさん並べてありました

    ・・・・田中大尉の部屋には

    病歴表というカードがおいてあって、

    人体図が描いてあって、

    どこにペストノミがついてどのようになったか

    詳しく記録されていました。

    人名も書いてありました。

    このカードはだいたい5日から10日以内で名前が変ります。

    田中班ではペストの人体実験をして数日で死んだからです

    ・・・・田中班と本部の研究室の間には

    人体焼却炉があって毎日黒い煙が出ておりました

    ・・・・私は人の血、つまり“マルタ”の血を

    毎日2000から3000CC受取ってノミを育てる研究をしました

    ・・・・陶器製の爆弾に細菌やノミやネズミを

    詰込んで投下実験を何回も行ないました

    ・・・・8月9日のソ連の参戦で

    証拠隠滅のためにマルタは全員毒ガスで殺しました。

    10日位には殺したマルタを

    中庭に掘った穴にどんどん積み重ねて焼きました。

     

    ●千田英男 1917年生れ 731部隊教育隊 1974年証言

    ・・・・「今日のマルタは何番・・・・何番・・・・何番

    ・・・・以上10本頼む」

    ここでは生体実験に供される人たちを

    ”丸太”と称し、一連番号が付けられていた

    ・・・・中庭の中央に2階建ての丸太の収容棟がある。

    4周は3層の鉄筋コンクリ-ト造りの建物に囲まれていて、

    そこには2階まで窓がなく、

    よじ登ることもはい上がることもできない。

    つまり逃亡を防ぐ構造である。通称7,8棟と称していた・・・・

     

    *石橋直方   研究助手

    私は栄養失調の実験を見ました。

    これは吉村技師の研究班がやっていたんだと思います。

    この実験の目的は、

    人間が水と乾パンだけでどれだけ生きられるかを

    調べることだったろうと思われます。

    これには2人のマルタが使われていました。

    彼らは部隊の決められたコ-スを、

    20キログラム程度の砂袋を背負わされて

    絶えず歩き回っていました。

    1人は先に倒れて、2人とも結局死にました。

    食べるものは軍隊で支給される乾パンだけ、

    飲むのは水だけでしたからね、

    そんなに長いこと生きられるはずがありません。

     

    ●越定男  731部隊第3部本部付運搬班

    1993年10月10日、山口俊明氏のインタビュ-

    -東条首相も視察に来た

     本部に隣接していた専用飛行場には、

     友軍機と言えども着陸を許されず、

     東京からの客は新京(長春)の飛行場から

     平房までは列車でした。

     しかし東条らの飛行機は専用飛行場に

     降りましたのでよく覚えています。

    -マルタの輸送について

     ・・・・最初は第3部長の送り迎え、、

     郵便物の輸送、通学バスの運転などでしたが、

     間もなく隊長車の運転、

     マルタを運ぶ特別車の運転をするようになりました。

     マルタは、ハルピンの憲兵隊本部、特務機関、

     ハルピン駅ホ-ムの端にあった憲兵隊詰所、

     それに領事館の4ケ所で受領し

     4.5トンのアメリカ製ダッジ・ブラザ-スに積んで運びました。

     日本領事館の地下室に手錠をかけた

     マルタを何人もブチ込んでいたんですからね。

     最初は驚きましたよ。

     マルタは特別班が管理し、

     本部のロ号棟に収容していました。

     ここで彼らは鉄製の足かせをはめられ、

     手錠は外せるようになっていたものの、

     足かせはリベットを潰されてしまい、

     死ぬまで外せなかった。

     いや死んでからも外されることはなかったんです。

     足かせのリベットを潰された時の

     マルタの心境を思うと、やりきれません。

    -ブリキ製の詰襟

     私はそんなマルタを度々、

     平房から約260キロ離れた安達の牢獄や

     人体実験場へ運びました。

     安達人体実験場ではマルタを十字の木にしばりつけ、

     彼らの頭上に、超低空の飛行機から

     ペスト菌やコレラ菌を何度も何度も散布したのです。

     マルタに効率よく細菌を吸い込ませるため、

     マルタの首にブリキで作った詰襟を巻き、

     頭を下げるとブリキが首に食い込む

     仕掛けになっていましたから、

     マルタは頭を上に向けて呼吸せざるを得なかったのです。

     むごい実験でした。

    -頻繁に行われた毒ガス実験

     731部隊で最も多く行われた実験は

     毒ガス実験だったと思います。

     実験場は専用飛行場のはずれにあり、

     四方を高い塀で囲まれていました。

     その中に外から視察できるようにした

     ガラス壁のチャンバ-があり、

     観察器材が台車に乗せられて

     チャンバ-の中に送り込まれました。

     使用された毒ガスはイペリットや青酸ガス、

     一酸化炭素ガスなど様々でした。

     マルタが送り込まれ、毒ガスが噴射されると、

     10人ぐらいの観察員がドイツ製の

     映写機を回したり、ライカで撮影したり、

     時間を計ったり、記録をとったりしていました。

     マルタの表情は刻々と変わり、

     泡を噴き出したり、喀血する者もいましたが、

     観察員は冷静にそれぞれの仕事をこなしていました。

     私はこの実験室へマルタを運び、

     私が実験に立ち会った回数だけでも

     年間百回ぐらいありましたから、

     毒ガス実験は頻繁に行われていたとみて間違いないでしょう。

    -逃げまどうマルタを

     あれは昭和19年のはじめ、

     凍土に雪が薄く積もっていた頃、

     ペスト弾をマルタに撃ち込む実験の日でした。

     この実験は囚人40人を円状に並べ、

     円の中央からペスト菌の詰まった細菌弾を撃ち込み、

     感染具合をみるものですが、

     私たちはそこから約3キロ離れた所から双眼鏡をのぞいて、

     爆発の瞬間を待っていました。

     その時でした。

     1人のマルタが繩をほどき、マルタ全員を助け、

     彼らは一斉に逃げ出したのです。

     驚いた憲兵が私のところへ素っ飛んで来て、

     「車で潰せ」と叫びました。

     私は無我夢中で車を飛ばし、

     マルタを追いかけ、

     足かせを引きずりながら逃げまどう

     マルタを1人ひとり潰しました。

     豚は車でひいてもなかなか死にませんが、

     人間は案外もろく、直ぐに死にました。

     残忍な行為でしたが、

     その時の私は1人でも逃がすと中国やソ連に

     731部隊のことがバレてしまって、

     我々が殺される、という思いだけしかありませんでした。

    -囚人は全員殺された

     731部隊の上層部は日本軍の敗戦を

     いち早く察知していたようで、

     敗戦数ケ月前に脱走した憲兵もいました。

     戦局はいよいよ破局を迎え、

     ソ連軍が押し寄せてきているとの情報が伝わる中、

     石井隊長は8月11日、隊員に最後の演説を行い、

     「731の秘密は墓場まで持っていけ。

     機密を漏らした者がいれば、

     この石井が最後まで追いかける」と脅迫し、

     部隊は撤収作業に入りました。

     撤収作業で緊急を要したのはマルタの処理でした。

     大半は毒ガスで殺されたようですが、

     1人残らず殺されました。

     私たちは死体の処理を命じられ、

     死体に薪と重油かけて燃やし、

     骨はカマスに入れました。

     私はそのカマスをスンガリ(松花江)に運んで捨てました。

     

    被害者は全員死んで証言はありませんが、

    部隊で働いていた中国人の証言があります。

     

    ●傳景奇 ハルピン市香坊区 1952年11月15日 証言

    私は今年33歳です。

    19歳から労工として「第731部隊」で働きました。

    班長が石井三郎という石井班で、

    ネズミ籠の世話とか他の雑用を8・15までやっていました。

    私が見た日本人の罪悪事実は以下の数件あります。

     1. 19歳で工場に着いたばかりの時は秋で

      「ロ号棟」の中でいくつかの器械が

      血をかき混ぜているのを見ました。

      当時私は若く中に入って仕事をやらされました。

      日本人が目の前にいなかったのでこっそり見ました。

     2. 19歳の春、第一倉庫で薬箱を並べていたとき

      不注意から箱がひっくりかえって壊れました。

      煙が一筋立ち上がり、我々年少者は煙に巻かれ気が遠くなり、

      涙も流れ、くしゃみで息も出来ませんでした。

     3. 21歳の年、日本人がロバ4頭を程子溝の棒杭に繋ぐと、

      しばらくして飛行機からビ-ル壜のような物が4本落ちてきた。

      壜は黒煙をはき、4頭のロバのうち

      3頭を殺してしまったのを見ました。

     4. 22歳の時のある日、日本人が昼飯を食べに帰ったとき、

      私は第一倉庫に入り西側の部屋に死体がならべてあるのを見ました。

     5. 康徳11年(1944年)陰暦9月錦州から来た

      1200人以上の労工が工藤の命令で

      日本人の兵隊に冷水をかけられ、

      半分以上が凍死しました。

     6. 工場内で仕事をしているとき

      動物の血を採っているのを見たし、

      私も何回か採られました

     

    ●関成貴 ハルピン市香坊区 1952年11月4日 証言

    私は三家子に住んで40年以上になります。

    満州国康徳3年(1936年)から第7731部隊で

    御者をして賃金をもらい生活を支えていました。

    康徳5年から私は「ロ号棟」後ろの「16棟」房舎で

    日本人が馬、ラクダ、ロバ、兎、ネズミ(畑栗鼠とシロネズミ)、

    モルモット、それにサル等の動物の血を注射器で採って、

    何に使うのかわかりませんでしたが、

    その血を「ロ号棟」の中に運んでいくのを

    毎日見るようになりました。

    その後康徳5年6月のある日

    私が煉瓦を馬車に載せて「ロ号棟」入り口でおろし、

    ちょうど数を勘定していると

    銃剣を持った日本兵が何名か現れ、

    馬車で煉瓦を運んでいた中国人を

    土壁の外に押し出した。

    しかし私は間に合わなかったので

    煉瓦の山の隙間に隠れていると

    しばらくして幌をつけた大型の自動車が

    10台やってきて建物の入り口に停まりました。

    この時私はこっそり見たのですが、

    日本人は「ロ号棟」の中から毛布で体をくるみ、

    足だけが見えている人間を担架に乗せて車に運びました。

    1台10人くらい積み込める車に10台とも全部積み終わり、

    自動車が走り去ってから私たちはやっと外に出られました。

    ほかに「ロ号棟」の大煙突から煙が吹き出る前には

    中国人をいつも外に出しました。

     

    ●羅壽山  証言日不明

    ある日私は日本兵が通りから

    3人の商人をひっぱってきて

    半死半生の目にあわせたのを

    どうすることもできず見ていました。

    彼等は2人を「ロ号棟」の中に連れて行き、

    残った1人を軍用犬の小屋に放り込みました。

    猛犬が生きた人間を食い殺すのを見ているしかなかったのです。

     

    つづきを読む

  • 細菌戦の目的と手段

    2020/08/07
    15:45

    [ 731部隊の目的 ]
    731部隊は世界に類のないほど

    残酷な生体実験を繰り返しました。

    しかし実験そのものは目的ではなく単なる手段でした。

    目的は   

     1.細菌兵器の細菌培養や用剤の研究   

     2.使用方法の研究   

     3.細菌からの防衛研究

     

    これらの目的のために

    人体実験を必要としたのです。

    その結果細菌戦に使用する微生物は12種類となり、

    18種類のワクチンを開発したと言われています。

     

    [ 細菌攻撃の手段 ]
    細菌を使って敵を攻撃する手段は

    色々と考えられました。

    実験を繰り返し、成功したり失敗したりで、

    そのつど罪もない中国人が犠牲になりました。

    1.砲弾の研究  

     先端に細菌の液が詰まった75ミリの砲弾を

     開発したが実用性がなく、用されなかった

    2.爆弾

     イ型 鉄製

     ロ型 鉄製

     ハ弾 

      外側が薄い鋼性の爆弾で、

      中に1500の小片が炭疽菌液に浸されていた。

      爆弾が破裂して1500の小片が

      人を傷つけて炭疽病を感染させる目的で開発された。

     ニ型

     ウ型

     宇治型爆弾 

      鋼の外膜の爆弾で中に細菌を詰め込んだが、

      落下と爆発時の発熱で

      細菌が死んでしまうためうまくいかず、

      改良を重ね陶磁器を使った宇治型爆弾となった。   

      長さ70センチ、直径18センチで

      約10リットルの菌液を内蔵できた。     

      旧式宇治型、宇治50型、宇治70型、

      宇治100型と改良されていった

     RO爆弾  

      高度投下用爆弾だがうまく出来なくて中止

     母と娘達爆弾 

      落下中の発熱を防ぐため、

      地面すれすれで爆発するように開発された。    

      母爆弾を先に落とし

      細菌液を抱えた娘爆弾が後から落とされ、    

      母爆弾の爆発の信号で娘達爆弾が爆発する仕組みだった。    

      コストがかかりすぎて実用化されなかった。

    3.スプレ-   

      細菌を霧状にしてスプレ-する方法。   

      農薬の空中散布と同じ万年筆や

      杖の形をしたものまで暗殺用に開発した。

    4.人力で撒く  

      川や井戸に入れたり、汚染された食料を配る

    5.風船爆弾    

      今でも名前が残っているくらい有名です。    

      かなり高度を飛ぶため細菌が死んでしまい、

      改良が重ねられました。


    細菌戦や生体実験について

    軍の参謀本部はかなり細かく把握していました。

     

    ●医事課長大塚文郎大佐備忘禄第6巻から

      1944年5月23日、満洲に出張した小出中佐の報告

      (原文カナ、不明な字は?)

    チフス保菌者治療

    胆嚢部超短波 サルバルサン注射が効果あり

    サルバルサン、注射ワクチン-着手せんとす、

    手術的治療-マルタ実験 胆嚢?-縮、膿菌を入れる、

    効果あり(中略)

    ウジ弾(注:陶磁器製爆弾)-製作の希望あり、

    宮田参謀に申せり、予算を申出よとの事なり

    ホ号(注:細菌戦)高々度よりする集中攻撃 

    命中及濃度構成ありしが、

    現在効果をあげる見込みなき如し

    Px(注:ペストノミ)生産 田中少佐の研究  

    餅(注:ネズミ)の使用1/12となる  

    丸太(注:中国人)500名

    局長、餅を犬にしては如何 犬を使用し実施し在り

    今冬より春にかけ演習成果

    ペストの液菌は弾でやる(破片より入る)

    傷者の10-30%発症、

    弾子につれていくウジ弾 弾子20の中1割発症

    乾燥ペスト菌成功せず、

    1立米4ミリの濃度を必要とするとの見込

    混菌 寒い所で凍って発症せず

    将来関東軍は面に乾燥菌で

    耐寒耐熱膠着性を考えいかんとす

    脾脱疽 

    食道感染は疑問なりしが効果あり、

    ウジ弾で行かんとす

    局長-消化器からは入りしならん

    辰見大尉及部下2名感染す、

    皮膚より入る、生命はとりとめた、

    第2攻撃に参加する若い将校は良くやって居る

    脾脱疽 消毒薬はない、之が製造も研究の要あり(中略)

    ◎丸太使用実験は中央として

     多いに全軍的に重要な事を解決せしむる為也

     Pxは弾丸の有効性の問題 

     草知参謀 秘密事項今発表せんで可ならん 

     高山参謀 有功章をやる如く連絡す、発表の方法を考慮しようと
      (中略)
    発疹チフス予防施療液

    5万人分を有す 

    関東軍は労務者に使用し在り、

    効果ある如し

    ワクチンを作る時の残滓は

    ワイルフェリックス反応のみ明瞭に反応するとの事、

    軍隊にも使用して可ならん

    大連衛研 第4性病の診断液良好なる?たり

     

     

     

     

     

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