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キーワード「早尾乕雄」を含む投稿一覧

  • 入城式以降

    2020/09/25
    16:31

    入城式終了後の22日に司令官松井石根は

    上海に帰り、大部隊は次の作戦の為に

    南京を離れました。

    南京には上海派遣軍の第16師団(京都)が残り、

    佐々木到一少将(歩兵第30旅団長)が警備司令官・

    城内粛清委員長・宣撫工作委員長に

    任命されました。

     

    24日から安全区に対して徹底した

    査問工作が始められ、

    市民と難民を登録制にし

    居住証明書(中国語で安居書)を発行しました。

    日本軍が「元兵士である事を自白すれば

    仕事と米を与える」と言ったため、

    一般市民や難民が兵士だと言って自首し

    虐殺されました。

    注:このだます行為も国際法違反です

     

    ● ベイツの日記 英文資料編から        

     元兵隊であろうがなかろうが、

     とにかく元兵隊と認定された者が

     集団虐殺となったということだ。

     ここは、捕虜の生命はさしせまった

     軍事上の必要以外においては

     保障されるという国際法の

     条文を語る場所ではないし、

     日本軍もまた、国際法など眼中になく、

     いま南京を占領している部隊の戦友を

     戦闘で殺したと告白した人間にたいしては

     復讐すると公然と言明したのである。

     

    ● ウイルソンの日記 12月19日 

         牧師・鼓楼病院マネ-ジャ-      

     中国の南京防衛軍が崩壊してから

     ちょうど1週間がたった。

     月曜日(13日)には日本兵たちが

     中山門を行進してきて病院の前を通過し、

     日本の国旗がそちこちに

     見受けられるようになった。

     これからは逃げまどいながら退却する

     中国軍のパニックもなくなり、

     秩序が回復し、

     頭上を飛ぶ飛行機にも不安がることもなく、

     緊張することもなくなるだろうと、

     誰もが安堵の吐息を漏らしたのも

     束の間、1週間がたってみると、

     まさにこの世の地獄であったのだ。   

     思い出すのもおぞましい。

     どこをどうはなしたらよいのか

     見当もつかない。

     このような酷い話は聞いたことも

     見たことも無い。

     レイプ、レイプ、レイプばかり。

     強姦事件は一晩に千件は起こり、

     昼間でもたくさんある。

     日本兵に反抗したり

     不服のような態度でもしようものな、

     銃剣で刺し殺されるか、

     もしくは銃殺だ。・・・・

     

    年が変わって1938年(昭和13年)1月5日に

    敗残兵の査問会は終了しました。

    しかし査問会が終了した後も

    日本軍による捕虜や民間人の虐殺は続きました。 

    昭和13年1月22日南京警備は第11師団の

    天谷支隊(第10旅団・天谷直次郎少将)へと代わり、

    天谷司令官は2月上旬、

    安全区の閉鎖を命令しました。

    安全区は2月18日に名称を

    「南京国際救済委員会」に変更しました。

     

    ● 第11軍司令官・岡村寧次大将陣中回想録  

    (38年6月に第11軍司令官として赴任した)   

     1938年7月13日(少し読み易くしてあります)

     中支戦場到着後、先遣の宮崎参謀、

     中支那派遣軍特務部長原田少将、

     杭州特務機関長萩原中佐等より

     聴取するところよれば、

     従来派遣軍第一線は給養困難を理由として

     俘虜の多くはこれを殺すの悪幣あり、

     南京攻略時において約4~5万に上がる大殺戮、

     市民に対する掠奪、

     強姦多数ありしことは事実なるが如し・・・

    (注:この回想録には「一切転載並公表を禁ず」と

    書かれています)

     

    ● 同上・岡村寧次の講演から 

        (昭和29年4月18日 偕行会総会)        

     軍司令官着任後某師団長(注:稲葉四郎中将)を

     訪問したところ、

     同師団長は「私の師団の将兵は

     戦闘第一主義に徹し、

     勇剛絶倫なるも略奪、強姦等の非行を軽視し、

     団結心強きも排他心も強い。

     南京事件は前師団長(注:谷寿夫中将)時代のことであるが

     相当暴行したことは確実である云々」と、

     公平率直に報告した。・・・・・

     当時各師団は数十名の慰安婦を同行していた。

     兵站の重要なる一機関になっているが、

     強姦予防のため上司も黙認と言う

     有様であったのである。

     日露戦争時代には慰安婦の同行は

     無かったのだが強姦もなかったのである。

     我が陸軍では、

     昭和7年春第一次上海事変の際、

     海軍側に倣って、公然慰安婦を

     設けたのが最初である。

     その当時極めて少数であったが、

     強姦罪が発生したが、

     この慰安婦を始めてからは、

     全くこの犯罪がなくなったのを記憶している。

     しかるに昭和12年の今日慰安婦を同行しても、

     なお多くの強姦する者を続出するのである。

     

    敗残兵や民間人の殺害は

    南京戦が終わった後も続いています。

    12月20日から南京の警備をは

    第16師団が担当しました。

     

    ● 第16師団第30旅団長・佐々木到一少将の私記      

     1月5日査問会打ち切り、

     この日までに城内より摘出せし

     敗残兵約2千、旧外交部に収容、

     外国宣教師の手中にありし

     支那傷病兵を俘虜として収容。

     城外近郊にあって不逞行為を

     続けつつある敗残兵も逐次捕縛、

     下関において処分せるもの数千にたっす。

     

    ● 早尾乕雄陸軍中尉のレポ-ト「戦場心理の研究」から 

    早尾中尉は金沢医科大学教授で予備将校(原文カナ)

     1938年8月5日(南京戦終了後約9ケ月・原文カナ)     

     余が南京へ入った日は

     陥落後1週間であったから市街には

     頻々と放火があり、

     見る間に市内の民家は

     日本兵により荒らされて行った。

     下関には支那兵屍体が累々と重なり、

     これを焼き棄てるために集められたのである。

     目を揚子江に転ずれば

     ここに山なす屍体であった。

     その内に正規兵の捕虜の処置が始まり、

     海軍側は機関銃を以て、

     陸軍は惨殺、銃殺を行い

     その屍体を揚子江に投じた。

     死に切れないものは下流に泣き叫びつつ

     泳ぎ行くを更に射撃する。

     これを見ても遊戯位にしか感じない。

     中には是非遣らせてくれと

     首切り役を希望する将兵もある。

     揚子江に沈んだ正規兵の屍体は

     おおよそ2万位と言われる

     

    南京事件はまぼろしだと主張する人たちは

    「戦闘中の行為だから殺害はやむを得ない・・・・

    戦闘中は行きがかりで色々なことがある」と主張するので、

    私達はつい信じてしまいがちです。

    しかし多くの事件は南京陥落後に起きていますし、

    しかも占領後1ケ月以上も続いたのです。

     

    ニュ-ヨ-ク・タイムスの記事を見てみます。

    ● ニュ-ヨ-ク・タイムス 1938年1月24日 

         ハレット・アベンド      

     軍事的必要その他の日本側の

     口実をすべて剥ぎ取ってみるに、

     日本軍の中国前首都攻撃から

     1ケ月と10日たった南京の現状は、

     日本当局が外交官以外のいかなる

     外国人の南京訪問をも許可できないほど

     無法で野蛮である

     という赤裸々な事実が残る。

     12月26日、上海の日本側高官たちは

     南京で略奪、暴行が続いていることを

     残念ながら認めると言い、

     記者に対し、軍規劣悪、命令不服従の部隊は

     小部隊ずつ長江北岸に移動されているところであり、

     その守備範囲は精選された、

     軍規厳正、行動良好の部隊によって

     替わられる、と約束した。   

     さらに1月7日にも日本当局は記者に、

     遺憾ながら南京はまだ嘆かわしい

     情況であると認め、

     統制を逸し、日々何百という婦人や少女へ

     暴行を働いている軍の師団は

     2~3日中に南京から撤去される

     見込みだと、保証した。

     だが1月20日の遅きに至っても

     無法の支配は何ら抑制されることなく

     続いている。

     もし約束どおりに部隊の交替が

     行われたのならば、新来の部隊も

     同様に無規律ということになろう。

     先週金曜日夜、

     上海の日本当局は率直に、

     この情況に関する電信報告は

     検閲を通過しないと通告し、

     事実上、日本軍の権威を傷つけるおそれある

     「悪意ある」報告の打電を禁止する旨宣言した。

     

    つづきを読む

  • 徴発に関した兵士の手記と記事

    2020/09/17
    11:21

    徴発に関した兵士の手記をいくつか取り上げます。

     

    ◎永井仁左右 陣中日記 野戦重砲第15連隊

    1937年11月14日

     ・・・・朝食後陣地変更。

     太倉に入る。

     豚、鳥を取りて夕食とす。

     但し先行班のみ。

     支那酒又豊富なり・・・・

     

    ◎渡辺卯七 南京戦の思い出 

       第9師団経理部将校の回想

     徴発品の代金の支払は

     いかにされて居ったのか、

     軍隊は強盗でも山賊でもない。

     必ず代金を払って買わねばならないのである。

     しかし物はあっても人が逃れて居らぬ時、

     生きん為に食うものは

     是非必要という時は徴発と云うことになる。

     従ってこれについては

     国際法等で厳重な規定がある。

     後日所有者が代金の請求が

     出来るようにして置かねばならない故に

     徴発書はかねて印刷配布して

     所要の事項を記入すればよいようにして

     記載要領や注意事項も細部印刷して

     一読すれば誰にでも分かるのである。

     しかるに後日所有者が代金の請求に

     持参したものを見れば、

     その記入がはなはだ出鱈目である。

     例えば○○部隊先鋒隊長加藤清正とか

     退却部隊長蔣介石と書いて、

     品種数量を箱入れ丸升とか

     瓶詰少量と云うものや

     全く何も記入していないもの、

     はなはだしいのは

     単に馬鹿野郎と書いたものもある。

     全く熱意も誠意もない。

     

    ◎N・Y一等兵手記(第9師団歩兵第6旅団歩兵第7連隊)

     畑にはネギがあったり、

     部落にはおどおどした土民が

     自分たちを見ていた。

     自分たちはてんでにネギを取って

     夜食の汁に入れることを考えていた。

     部落に入るときまって2,3人の兵が

     竿をふり回して鶏を追いかけるのであった。

     名も知らぬ部落にクリ-クの

     水を汲んでネギや鶏を入れた汁を

     啜りながら夕食をすませたのは、

     11時すぎであった。

     夕食を終えてから又出発をする

     

    ◎井家又一上等兵 日記 同上部隊

     11月13日上海の地近く

     七宝鎮より追撃の戦いを進め、

     鉄路に陸に野に山に水に

     幾度生死の巷を出で、

     寒さに雨に風にそして

     糧秣は与えられず、

     交通とて橋は落とされ

     鉄橋は破壊せられて糧秣は続かず、

     支那家屋に侵入して

     徴発すること幾十度あった。

     ある時は支那人の芋を炊き

     暖かき蒸気の出ている奴を

     叩きつけて取り来ること幾十度、

     小羊・豚・牛・犬と野にいる

     家畜は一度は食ってみた。

     

    ◎木左木久少佐 日記 第16師団後方参謀

     午後2時常州を自動貨車にて立ち、

     行軍部隊を追い越して奔牛鎮に至る。

     物資徴発のため、部落内をあさる。

     米800俵、小麦1千俵、砂糖百俵、

     小蒸気2杯等々挑発は実に面白い

     

    ◎北山与 日記 第16師団歩兵第20連隊

    12月3日 

       途中毛布工場があって

       毛布を15枚徴発する。

       次から次へみんなどの部隊も徴発している

       16日 

       途中北洋飲料店と書いた店屋がある。 

       入って見るとサイダ-が山ほど積んである。

         一本抜いてみる。

       甘いなんとも言えない美味しい味だ。 

       さっそく付近で人力車を一台徴発し、

       你公(ニーコ-・中国人の蔑称)に

       一杯載せて曳いて戻る。 

       外の者も寝台、家具、酒、砂糖、飴、

       蓄音機などたくさんもって戻っている

       17日 

       小隊の連中が是非教えてくれというので、 

       各分隊から2名ずつ連れて朝食後

       サイダ-を取りに車両を曳いて行く。 

       昨日から早や大分減じている。

       車に2台、2ダ-ス箱を60近く持って戻る。 

       鉛筆、石鹸、銀製のフォ-クなぞ徴発している。 

       午後城内を見て廻る。

       美しい衣服の家を見つける。

     

    ◎上羽武一郎 日記 同上師団衛生兵

     徴発にでる。面白し。

     洋服を着るやら、トランクをさげるやら、

     種々様々の服装でもはや凱旋気分いっぱいだ

     

    ◎山田栴二少将 日記 第13師団歩兵第103旅団長

     ☆徴発のふしだらさは、

      結局与うべきものを与えざりし悪習慣なり。

     ☆徴発に依りて自前なるゆえ、

      或る所は大いにご馳走にありつき、 

      或る所は食うに食なしの状を呈す。

      先に処女地に行く隊のみ、

      うまきことをすることとなる。

     ☆兵の機敏なる、

      みな泥棒の寄集まりとも評すべきか。

      旅団司令部にてもぼやぼやし居れば

      何でもなくなる、持っていかる、

      馬まで奪られたり

     

    日本軍の中に蔓延した徴発と称した

    略奪や強姦は日本側でも困っていて、

    法務部や憲兵隊と連絡を取って

    金沢医科大学の教授が召集されて調査をし、

    「戦場神経症並びに犯罪について」という

    報告書をまとめています。

     

    ● 軍医官の戦場報告意見集から 

         早尾乕雄陸軍軍医中尉

         金沢医科大学教授

     今事変に見る犯罪の種類は

     ことごとく内地においては重罪のもとに

     処刑せらるべきものなり。

     しかるに戦場においては

     無遠慮におこなわれ、

     その初めにおいては毫も制裁を受けず、

     かえってこれに痛快を感じ

     ますます奨励せらるるがごとき観ありき、

     例の徴発のごとき公然ゆるされし事さえ、

     最初は躊躇せる者がついには

     徴発に大なる興味を感じ

     ついては競争心さえ起こすにいたる。

     ついては不必要なる(軍隊生活には)物品を

     自己の利欲より徴発をなすにいたり、

     これらを内地に向かって送りし例も少なからず、

     あるいは徴発により上官の機嫌を取り結び

     自己の進級等に利益をはかりし例も存せり。

     徴発はゆるされたる行為なれども

     これを次第に意義を換え濫用となりし結果が、

     犯罪構成に立ちいたりしものにして、

     実に徴発なる教えは極めて兵卒の心を

     堕さしめたる結果をしめせり。

     軍隊には「員数をつける」という言葉あり、

     これは一種の窃盗行為なり。

     ・・・・徴発はこの「員数をつける」を

     さらに大にして公にせしものの如くに 

     解釈せるの観あり。

     ついには掠奪となり強奪ともなり、

     しかもこれらの行為を恥ずるなきまでに

     いたりしものと思われる。

     兵卒の大部分は性善良なりしを疑わず、

     しかるも戦場に来るや予想せざるし

     不良行為が平然と行われ

     しかも何らの制約なきを見るや、

     いたずらに遠慮をなし不自由なる思いをなすより

     「員数をつける」心持ちの下に余

     分の物品まで掠奪をあえてなすに

     いたりしものと解釈すべきなり

      注:黄色線 

        徴発そのことは書類がきちんとしていれば

        合法ですが・・・

     

    略奪に関してはアメリカの

    新聞にも取り上げられています。

     

    ● ニュ-ヨ-クタイムス  

       F・ティルマン・ダ-ディン記者 

       1937年12月17日

     上海アメリカ船オファ-号発特電

     ・・・・日本軍の略奪は、町ぐるみを

     略奪するかと思うほどであった。

     日本兵はほとんど軒並みに侵入し、

     ときには上官の監視のもとで

     侵入することもあり、

     欲しい物はなんでも持ち出した。

     日本兵は中国人に

     しばしば略奪品を運ばせていた。

     なによりも欲しがったのは食料品であった。

     その次は、有用なもの、

     高価な物を片っ端から奪った。

     とくに不名誉なことは、

     兵隊が難民から強奪を働くことであり、

     集団で難民センタ-を物色し、

     金や貴重品を奪い、

     ときには不運な難民から

     身ぐるみ剥いでいくこともあった。

     アメリカ伝道団の大学病院の職員は

     現金と時計を奪われた。

     ほかに、看護婦の宿舎からも

     品物が持ち去られた。

     日本兵はアメリカ系の金陵女子文理学院の

     職員住宅にも押し入り、食料と貴重品を奪った。

     大学病院と金陵女子文理学院の建物には、

     アメリカ国旗が翻り、

     扉には、アメリカ所有物であることを

     中国語で明記したアメリカ大使館発行の

     公式布告が貼られていた。

      注:発電は上海からとなっていますが、

        時期的には南京に付いての内容です。    

        特派員は日本軍から退去を命じられたので、

        上海から発電となっています。

     

    ● シカゴ・デイリ-・ニュ-ズ   

        レジナルド・スウイ-ト記者 

        1938年2月9日  上海発外信部特電

     南京占領軍の10名以上の軍人が

     軍紀紊乱の件で軍法会議を受け、

     重罰に処せられた旨、

     本日、当地日本代理大使から発表があった。

     彼らの犯した罪は

     この前首都における中国人・外国人財産を

     襲撃・略奪したことである。

     日本当局は軍法会議にかけられた者の中に

     将校がいるかどうかの言明を拒否したが、

     「軍人」という語は将校も含むものとしても

     解釈されるということを示唆した。

     いかなる処罰が加えられたか

     日本側は説明を拒んでいるが、

     最高のもので懲役10年である旨、

     私はある日本側非政府筋から情報を得た。

     

     

    つづきを読む

  • 陸軍刑法

    2020/08/23
    12:18

    それでは軍は刑法上、

    強姦をどのように考えていたのでしょうか?

     

    ●明治41年施行の陸軍刑法(原文カナ)

     第9章 掠奪の罪

      第86条 

       戦地又は帝国軍の領土地において

       住民の財産を掠奪したる者は

       1年以上の有期懲役に処す。  

       罪を犯すに当たり婦女を

       強姦したるときは

       無期又は7年以上の懲役に処す。

     

    と、ありますが、

    掠奪のついでに強姦した場合のみが

    対象になっていました。

    強姦のみの場合は陸軍刑法ではなく、

    一般刑法が適用とされました。

    その場合親告罪(被害者本人の告訴が必要)でしたので、

    実際にはほとんどが泣き寝入りだったと思います。

    軍隊の強姦に対する考え方は

    この程度だったのでしょう。

     

    掠奪、強姦、殺人、放火等の犯罪に

    困っていた陸軍では

    1938年に兵士の心得を出します。

     

    ● 大日本陸軍部「従軍兵士の心得 第2号(軍紀風紀に就て)」

             (原文カナ)

           1938年11月

     本書は先に公布せる「従軍兵士の心得 第1号」の姉妹編である、

     特に軍紀風紀に就い記述したのであるが

     第1号と共に熟読するを要する

     (二)刑法の部

      (1)強姦の罪

     ・・・・総て強姦の罪に対しては

     2年以上15年以下の懲役を科し

     殺したり傷を負わせたりすれば

     重きは死刑に、軽きも無期もしくは

     3年以上の懲役に処せられるのである

     

    それでも収まらない軍紀違反に困った

    第11軍司令官だった岡村寧次は、

    日本に帰還した1940年3月、

    戦時強姦罪の設定を阿南陸軍次官に訴えています。

    阿南はただちに同意し、改正に着手しますが

    なかなか改定されませんでした。

    2年後の1942年2月20日に陸軍刑法は改正され、

    強姦の罪という単独の項目になりました。

    改正に際して

    「世界に冠たる皇軍の規律が疑わしいとは何事だ・・・!」

    という反発を予想して、

    法務局は次の回答を準備しています。

     ◎準備された回答

      支那事変勃発以来軍は相次ぐ動員編成により、

      その包容する人員激増し性格、能力、

      体力等において種々雑多 者を迎え、  

      中には素質低劣の、教育不十分なる者を

      免れず遺憾ながら抗命、   

      上官暴行殺傷強姦等の罪を犯す者も

      相当の数に上っ ているのであります」

     ◎改正された陸軍刑法

      第9章 掠奪強姦の罪

       第88条-2

        ・・・・前項の罪を犯す者、

        人を傷したるときは

        無期又は3年以上の刑に処し、

        死に至らしたるときは無期

        もしくは7年以上の懲役に処す

     

    第9章に強姦と言う言葉が入りましたが、

    刑は7年から3年に軽くなりました。

    そして一般刑法から陸軍刑法の

    適用になったため親告罪ではなくなりました。

    ところが実際には現地では、強

    姦に陸軍刑法を適用せず、

    一般刑法で処理した事が多々ありました。

    一般刑法では先ほども述べたように

    被害者が自分で訴える親告罪でしたので、

    多くの事件がうやむやにされ、

    又は訴えられないように

    強姦後殺害してしまったのです。

    では、陸軍刑法を改正して強姦は減ったのでしょうか?

    相変わらず多かったようです。

     

    まず岡村寧次が進言した改正作業の途中です。

     

    ● 陸軍省局長会報での大山文男法務局長の説明

    19418月9日 金原節三「陸軍省業務日誌摘録」

     ・・・・軍法会議の上半期において

     取扱件数1,900余件あり、内軍人1,126人・・・・

     兵士に比し幹部に多し、

     現役者と下士官に多く・・・・

    掠奪39件・・・・

    横領100件以上、

    収賄69件、

    強姦39件・・・・

    (注:軍法会議にかかるのはわずかで、

    強姦の多くは秘密に処理されていた)

     

    次は改正後の資料です。

     

    ● 「軍参謀長口演要旨」 昭和17年9月22日 

         第14軍司令部

         (フィリピン)イロイロ憲兵分隊執務参考綴り  

         (比島防衛546)から  (原文カナ)

     1.-3. 省略

     4. 軍紀風紀について

      東軍上陸以来の犯罪非行の状況をみると、

      作戦初期においては強姦著しく多く

      一時憂慮したが・・・・

      近頃窃盗横領等の散発を見る。

      特に将校、下士官にして

      この種の犯罪を犯す者がある・・・・

      役種別に状況を見ると、

      強姦や対上官犯は共に召集者に断然多く、

      窃盗横領は現役者に多い・・・・

             以下省略

     

    ● 「軍法会議取扱人員表」       

         昭和17年1月から12月  

         第一野戦憲兵隊会議書綴 から

      陸軍刑法 戦地強姦     7名

           戦地強姦致死   1名

      刑法   強姦       37名

           強姦未遂       2名

        注:逮捕されて処罰された人数です。

          実際はこの何10倍もあったでしょう

     

    ● 第64師団戦史から 

        1944年7月に華北から第11軍に配属された

     ・・・・湖南省に到着して将兵一同驚いたここは、

     第11軍将兵全般の民衆に対する暴戻ぶりであった。

     即ち、第11軍各兵団は「戦いには強いが

     民衆に臨むには暴であった」との感を強くした。・・・・

     いくたびかの第11軍の長沙攻略により、

     戦禍を蒙った住民の中には、

     放火、掠奪、強姦、殺傷等により、

     怨恨の骨髄に徹するものあり・・・・

     

    このように慰安所を作っても、

    陸軍刑法を改正しても強姦事件は

    増えるばかりでした。

    この項目の最後に、

    国府台陸軍病院の早尾軍医中尉が

    軍の委託を受けてまとめた

    「戦場に於ける特殊現象と其の対策」という

    論文を資料に使います。

    その中の「性欲と強姦」という項目です。

     

    ● 性欲と強姦  国府台陸軍病院附 金沢医科大学教授

     陸軍軍医中尉 早尾乕雄 1939年6月  

       (原文カナ、意訳)

     ・・・・出征者に対して性欲を長く抑制することは、

     自然に支那婦人に対して

     暴行することになるだろうと

     兵站部は気をきかせ、

     中支那にも早々に慰安所を開設した。

     その主要な目的は性の満足により将

     兵の気分を和らげ皇軍の威厳を

     傷つける強姦を防ぐ事にあった。

     慰安所の急設は確かにその目的の一部は達した。

     しかしあの多数の将兵に対して

     慰安所の女の数は問題にならない。

     上海や南京には慰安所以外に

     その道は開けているから(注:民間の売春宿があった)、

     慰安所の不足した地方や前線へ送り出せたが、

     それでも地方では強姦の数は相当あり、 

     また前線にもこれを多く見る。

     これは女の供給が不足していることが

     原因であるが、

     やはり留学生が西洋女に興味を持つと

     同様で支那女に好奇心が湧くとともに

     内地では到底許されないことが

     敵の女だから自由になるだろうという

     考えが非常に働いているため

     支那娘をみたら憑かれた様に引き付けられて行く、

     従って検挙された者こそ不幸なんで、

     陰ではどれ程あるか分からない・・・・

     部隊長は兵の元気を作るために

     必要として見て見ぬ振りをしたのさえあった・・・・

     勝利者なるが故に金銀財宝の掠奪は言うに及ばず、

     敵国婦女子の身体まで汚すとは

     誠に文明人のする行為とは考えられない。

     東洋の礼節を誇る国民として慙愧に耐えぬことである。

     昔、和倭は上海に上陸し

     南京に至るまでこのような暴挙に出たため

     非常に野蛮人として卑しめられ嫌われたというが、

     今においても尚、同じ事が繰り返されるとは

     何とした恥辱であろう・・・・

     日本の軍人は何故このように

     性欲に理性が保てないのかと、

     私は大陸上陸と共にただちに痛感し、

     戦場生活1年を通じて始終痛感した。

     しかし軍当局はあえてこれを不思議とせず、

     この方面に対する訓戒は耳にした事がない。・・・・

     軍当局は軍人の性欲を抑えることは

     不可能だとして、

     支那婦人を強姦しないように慰安所を設けた。

     しかし強姦ははなはだ盛んに行なわれて、

     支那良民は日本軍人を見れば必ず恐れた・・・・

     

     

    つづきを読む

  • 軍も困っていた

    2020/07/07
    14:25

    軍が慰安婦の連行や強姦に困っていたことは事実のようです。

    国家や正規軍がこのようなことを推奨するわけはなく、

    結果として起きてしまったからです。

    勿論、国家や軍に責任があるのは当然のことです。

     

    ●軍慰安所従業婦等募集に関する件   

       1938年3月4日 陸支密第745号(原文カナ、意訳)

       陸軍省兵務課起案 

       副官より北支那方面軍及び中支那派遣軍参謀長宛通牒案

        (梅津美次郎陸軍次官や今村均兵務局長の決裁印があります)

     支那事変地における慰安所設置のため、

     内地においてこれが従業婦などを募集するにあたり、

     ことさらに軍部了解などの名義を利用し、ために軍の威信を傷つけ、

     かつ一般民の誤解を招くおそれある者、

     あるいは従軍記者、慰問者などを介して不統制に募集し、

     社会問題を惹起するおそれある者、

     あるいは募集に任ずる者の人選適切を欠き、

     ために募集の方法、誘拐に類し、警察当局に検挙、取り調べを受ける者あるなど、

     注意を要するもの少なからざるについては、

     将来これらの募集にあたりては、派遣軍において統制し、

     これに任ずる人物の選定を周到、適切にし、

     その実施に当たりては、関係地方の憲兵および警察当局との連携を密にし、

     もって軍の威信保持上、ならびに社会問題上、遺漏なきよう配慮相成りたく、

     命(注:天皇の命令)により通牒す。

     ◎解説:以前でも軍が選定した業者が慰安婦の募集をしていましたが、

      その選定業者があまりにひどい募集をするので、

       困った軍は今後しっかりと選定しさらに警察や憲兵と協力するという意味です。

      そしてこの文章から分かる事は、

      内地つまり日本国内ですら誘拐まがいのひどい募集をしていた事です。

      国内ですらそうですから、

      植民地や占領地では慰安婦をどのように集めたのか分かるというものです。

      そしてもし軍の威信を守り、社会問題化を防ぐなら

      慰安婦制度そのものを禁止すればよいのであって、

      周到にしてうまくごまかそうとしています。

      なお、この通達の時期は南京事件の直後だったことも重要です。

     

    ●「軍参謀長口演要旨」 17年9月22日 第14軍司令部

       (フィリピン)イロイロ憲兵分隊執務参考綴り(比島防衛546)から

       (原文カナ)

     1-3 省略

     4 軍紀風紀について

     当軍上陸以来の犯罪非行の状況をみると、

     作戦初期においては強姦著しく多く一時憂慮したが・・・・

     近頃窃盗横領等の散発を見る。

     特に将校、下士官にしてこの種の犯罪を犯す者がある・・・・

     役種別に状況を見ると、強姦や対上官犯は共に召集者に断然多く、

     窃盗横領は現役者に多い・・・・

         以下省略

     

    ●「軍法会議取扱人員表」 昭和17年1月から12月  

     第一野戦憲兵隊会議書綴 から

      陸軍刑法 戦地強姦    7名

       戦地強姦致死  1名

    刑法   強姦    

         強姦未遂    2名

       注:逮捕されて処罰された人数です。実際はこの何10倍もあったでしょう

     

    ●第64師団戦史から 1944年7月に華北から第11軍に配属された部隊

     ・・・・湖南省に到着して将兵一同驚いたここは、

     第11軍将兵全般の民衆に対する暴戻ぶりであった。

     即ち、第11軍各兵団は

     「戦いには強いが民衆に臨むには暴であった」との感を強くした。・・・・

     いくたびかの第11軍の長沙攻略により、戦禍を蒙った住民の中には、

     放火、掠奪、強姦、殺傷等により、怨恨の骨髄に徹するものあり・・・・

     

    このように慰安所を作っても、

    陸軍刑法を改正しても強姦事件は増えるばかりでした。

    国府台陸軍病院の早尾軍医中尉が軍の委託を受けてまとめた

    「戦場に於ける特殊現象と其の対策」という論文があります。

    その中の「性欲と強姦」という項目には次のように書かれています。

     

    ●性欲と強姦 

       国府台陸軍病院附 金沢医科大学教授 陸軍軍医中尉 早尾乕雄

       1939年6月(原文カナ、意訳)

    ・・・・出征者に対して性欲を長く抑制することは、

    自然に支那婦人に対して暴行することになるだろうと兵站部は気をきかせ、

    中支那にも早々に慰安所を開設した。

    その主要な目的は性の満足により将兵の気分を和らげ

    皇軍の威厳を傷つける強姦を防ぐ事にあった。

    慰安所の急設は確かにその目的の一部は達した。

    しかしあの多数の将兵に対して慰安所の女の数は問題にならない。

    上海や南京には慰安所以外にその道は開けているから

    (注:民間の売春宿があった)、

    慰安所の不足した地方や前線へ送り出せたが、

    それでも地方では強姦の数は相当あり、また前線にもこれを多く見る。

    これは女の供給が不足していることが原因であるが、

    やはり留学生が西洋女に興味を持つと同様で

    支那女に好奇心が湧くとともに

    内地では到底許されないことが

    敵の女だから自由になるだろうという考えが非常に働いているため

    支那娘をみたら憑かれた様に引き付けられて行く、

    従って検挙された者こそ不幸なんで、陰ではどれ程あるか分からない・・・・

    部隊長は兵の元気を作るために必要として見て見ぬ振りをしたのさえあった・・・・

    勝利者なるが故に金銀財宝の掠奪は言うに及ばず、

    敵国婦女子の身体まで汚すとは誠に文明人のする行為とは考えられない。

    東洋の礼節を誇る国民として慙愧に耐えぬことである。

    昔、和倭は上海に上陸し南京に至るまでこのような暴挙に出たため

    非常に野蛮人として卑しめられ嫌われたというが、

    今においても尚、同じ事が繰り返されるとは何とした恥辱であろう・・・・

    日本の軍人は何故このように性欲に理性が保てないのかと、

    私は大陸上陸と共にただちに痛感し、戦場生活1年を通じて始終痛感した。

    しかし軍当局はあえてこれを不思議とせず、

    この方面に対する訓戒は耳にした事がない。・・・・

    軍当局は軍人の性欲を抑えることは不可能だとして、

    支那婦人を強姦しないように慰安所を設けた。

    しかし強姦ははなはだ盛んに行なわれて、支那良民は日本軍人を見れば必ず恐れた・・・・

     

    そのあたりの事を、金原節三「陸軍省業務日誌摘録」から見てみます。

    (文章は適時意訳します)

    ●陸軍省課長会報での法務局長報告  1942年2月12日

     富兵団(第25軍)において敵前逃亡112、強姦3、掠奪3の報告あり・・・・

     比島(フィリピン)方面でも相当強姦(14名)あり、

     下士官の婦人傷害事例もありたり。・・・・

    ●局長会報(大山文雄法務局長と田中隆吉兵務局長のやりとり)1942年5月2日

     (法務局長) 第25軍の独立速射砲第1大隊の現役大尉が

          クアラルンプ-ルにおいてマレ-人の妻女を強姦、

          その時計5~6個を掠奪し、さらにジョホ-ルの第3王女を騙し、

          写真機を詐欺し、強姦、掠奪、詐欺の犯罪を犯せる者あり。

     (兵務局長) 第25軍はクアラルンプ-ルに来るまではとかくの評判ありしも、

        この事件を契機として今後面目を一新せり。

     (法務局長) フィリピン方面においても強姦多かりしが、

          厳重なる取締まりをなしたる結果、犯罪激減せり。

     (兵務局長) フィリピンは他の地域に比し比較的多かった。

        しかし、支那事変に比すれば少ないといえる。

            注:中国での強姦が相当酷かったか分かる発言です。

    ●局長会報 大山法務局長の報告  1942年5月9日

     南方軍の犯罪件数23件。

     大体において支那事変に比し少なし。

     第14軍(司令官本間雅晴中将)には強姦が多し。

     女が日本人向きなるをもってなり。

       注:女が日本人向きだから強姦が多いとは変な理屈です。

    ●局長会報 大山法務局長の報告 1942年5月27日

     南方犯罪の状況:掠奪強姦76件(開戦以来)、

     強姦は14軍に多し、犯罪が多きは、14軍、15軍、16軍、南方総軍、直轄、の順で、

     軍律違反も14軍に多し。

           注:第14軍はフィリピン、第15軍はタイ・ビルマ、

             第16軍はインドネシアを担当

    ●局長会報 田中兵務局長の報告 1942年6月3日

     ・・・・マレ-では支那婦人に対する暴行が5月の1ケ月だけで8件あった。

    ●局長会報 大山法務局長の報告 1942年8月12日

     南方の犯罪610件、強姦罪多し、支那よりの転用部隊に多し。

     慰安設備不十分、監視監督不十分に起因す。

     拘禁所にはどこも200名あて収容しあるが、いずれも3~4名の法務官が処理しあり

     

    これらの局長会報を見ると、いかに中国での強姦が凄まじかったかが分かります。

    その結果中国から転進してきた部隊が

    南方に来てさらに強姦事件を起こしていることが分かります。

     

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